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人生旅録 わたしを探して

2024ももうおしまいだから、一年を振り返る記事を書こうと思って久々note。書くたびにもっと頻繁に書きたいと思うのに、結局時間が空いちゃうんだよね。まあそれでも今、年越す前にまた記事書いてるから良し!ということにしよう。

もりだくさんの2024

 2024年始まりの一日は、オーストラリアワーホリ中。友達と和食パーティをしてた。あれからまだ一年!?って感じるのは、今年があまりに濃かったからだと思う。
 最初の3か月は、世界をたくさん開拓した。オーストラリアで車を買って行動範囲は広がったし、すこし遠くの都市を旅行してみたり、心友とニュージーランドまで飛んだり、いろんな場所に行って、いろんな自分を知った。
 次の3か月は、全力で自分を信じて未来を創った。順調すぎたワーホリの途中で、家も仕事も失った。ゼロからの再スタートなら、心踊る場所に住もうと、憧れていた町に引っ越しを決めた。家も仕事も見つかりづらいエリアだったのに、どちらも驚くほどスムーズに決まった。ご縁も運も、信じて進めばついてくるものなのかもって学んだ。
 次の3か月は、天国だった。大好きな町の中で、陽気なハウスメイト2人と猫2匹と、夢に描いたようなおうちにのんびり住みながら、ビーチ沿いのカフェで働く毎日。パンを焼いたり本を読んだり、滝で遊んだり地域のマーケットに行ったり、生きている幸せをゆっくりかみしめる生活だった。町の景色も海も大好きで、毎日お散歩できるだけでも嬉しくて、世界がおひさまの色をしていた。
 最後の3か月は、帰国して5年ぶりにカナダに行って、また帰国して大学に復学して、生活に目が回っている間に気づいたら終わっていた。カナダも大学も、感動も新たな出会いも学ぶことも多くて、ずっとバタバタしてた気がするほど、充実してた。

 振り返ってみれば盛りだくさんな2024だったけど、自分にとって一番大きな挑戦は、発信を始めたことだったと思う。

発信を始めたのは、ありのままの私を愛したかったから

 日本で大学生をしていた私は、こうありたい、こうあらねば、という理想像をとても強く持っていた。常にいろいろなことに挑戦して努力していて、弱音は吐かずににこにこしている人でいたかったし、自分に厳しく人にやさしい人でありたかった。そして、それができないと自分には価値がないと思っていたから、毎日必死に「理想の自分」を演じて生きていた。というより、自分にすら嘘をついて、「理想の自分」以外の自分は存在しないかのように押し殺していた。
 だから、私の日本での大学生活は、いつもいっぱいいっぱいだった。いろんなことに挑戦していたかったから予定は詰め詰めだし、そのすべてで理想の自分を貫きたかったから頭も心もフル稼働だった。無理をしてこの生き方を続けたらこの先何度でも精神を壊す気がしたから、1年間お休みを取って、異国の地で、頑張りすぎない生き方を模索することにした。

 そんな気持ちでオーストラリアに渡って、自分への理想のハードルはとんでもなく下がった。頑張りすぎない毎日を送るのが目標だったし、どうせ一年しかいないし、誰も私のこと知らないし、私がどこで何してようと怠けようとさぼろうと困る人がいなかったし。おおらかでのんびりとしているオーストラリアの雰囲気とも相まって、現地で頑張りすぎない生活を送るのは、そんなに難しくなかった。
 頑張りすぎないを続けて、余裕ができた心で自分と向き合ってたら、押し殺してきた理想じゃない自分もだんだん受け入れられるようになって、ありのままの私で毎日を過ごせるようになった。心は安定したし、完璧じゃない毎日が愛おしくて仕方なくて、気づけば、理想でいようと努力する自分も、理想でいられない自分も、どちらも大切にしたいと思うようになった。

 そうしてのんびり生活を満喫していた6月の半ば、ビザが切れる3か月ほど前に、オーストラリアから日本へ帰国するための航空券を取った。候補日程から一番安い日を選択して、帰国は8月末に決定。ああ私、日本に帰るんだな。と思った瞬間、浮かんできた考えに衝撃を受けた。

「やばい、ダイエットしなきゃ、勉強しなきゃ、英語もっとやらなきゃ、友達もっと作らなきゃ」
「このままの私じゃだめだ」

え、、、?
って、びっくりした。本当に。
オーストラリアで9か月過ごして、やっとありのままの私を愛せるようになったと思ったのに、帰国が決まった瞬間、「理想の自分じゃなきゃだめ」マインドが戻ってきちゃって、焦った。
帰国してまたあのいっぱいいっぱいな大学生活に戻るのが怖すぎて、どうしたら帰国後も「理想の自分も素敵、理想じゃない自分も素敵」マインドを保てるだろうかって、何日も考えた。

「もはや、公開してしまえばいいんじゃないか?」

突然浮かんだ考えに、自分で衝撃を受けた。SNSにありのままを公開するなんて、「理想の自分」以外は押し殺して生きてきた私にできるわけがないと思った。

「でも、今ありのままの私を家族や友達に見せておけば、帰国後もありのままの私でいられるかも。」
「私らしく生きるために、やってみる価値はあるんじゃないか?」

自分の考えの無謀さにはびっくりしたけど、勇気を出すなら今しかないって、幽霊アカウント化していたInstagramのサブアカウントに、私の毎日を投稿し始めた。頑張る私もそうじゃない私もありのままとして公開したかったから、お風呂上りすっぴん眼鏡のときもそこそこメイクしてるときもそのまま載せたし、英語喋れることも、でも完璧じゃないことも隠さず載せたし、変な画角の全然かわいく映ってないやつも、前髪切りすぎた日のやつも、間違ったこと言ってるやつも、料理中のつまみ食いも、撮った動画は片っ端から編集して公開した。毎回、こんな自分なんて人様に見せるようなものじゃないし、ましてやSNSになんて載せたくないけど、、、でもこんな自分も大切にしたいから、、、えいっ!て、投稿ボタンを押し続けて、気づけば私の動画は、家族、友達を超えて、多くの人に見てもらえるようになった。

わたしを探して

ありのままのわたしって、なんだろう?
日本に帰国して3か月、実を言うと、最近わかんなくなってきちゃってる。
日本での学生生活は、たくさんのことに挑戦できるし、たくさんのことを知れるけど、情報が多い分、自分がどうしたいのか、本当は何がしたいのか、どんどん見失って不安になる。周りの人がみんな同じように生きているから、社会のレールからずれたらいけないような気がしちゃって、自分らしさを貫くのは怖い。
そんな社会のなかでも自分らしさを大切にしたくて、ありのままを出したくて、SNSを続けている。前よりはずっと、どんな私も大切にできているし、前よりずっと生きやすいけど、SNSに見せている自分が本当にありのままなのか自分でもわからなくなることがあって、そんな自分が嫌になることも、たまにある。
それでも、それも全部含めて自分だと思うから、こんな文章を書いてみることにしたし、これからも、こんなもやもやの公開も含めて、私の挑戦をポジティブに投稿し続けたいと思っている。そして、そんな私を見て、新たな挑戦に向かう人が勇気を持てたり、誰かがポジティブな気持ちになれたり、自分を大切にしようと思う人が増えたりしたら、夢のように嬉しいなって、少しおこがましいけど、最近は思っている。

2024年、たくさんの場所に行って、たくさんの人と話して、たくさんのことを考えて、たくさんの新しい自分と出会えたけど、
きっとまだまだ知らない自分がたくさんいるから、
来年も、わたしを探して、たくさんたくさん挑戦できますように。


ごあいさつ

2024年、私と関わってくださったみなさん、
関わりの大小問わず、一人でも欠けていたら、今の私はいないと思っています。みなさんのおかげで、幸せ溢れる一年間でした。ありがとうございました。
来年も、たくさん一緒に笑って泣いて、いい一年だったねって言い合えることを、とても楽しみにしています!

それではまた来年✨よいお年をお迎えください!!

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