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大人にならないように、でもちゃんと大人になれるように
拝啓、20の私へ
大人になりたくなくて、数えきれないほど泣いたあなたは、どんな22歳になることを思い描いていましたか。自分らしさを見失うことが怖くて、物聞きのいい、社会に都合のいいだけの人間になってしまうことが怖くて、でもちゃんと大人になりたくて、もがいてあがいたあなたの真っ直ぐさに、22歳の私は報いているでしょうか。
ずっとずっと、はやく大人になりたかった。
子供だから制限される生活のあれこれ、子供だからさせてもらえない挑戦、子供だから信じてもらえない発言、、、
自分が「子供だから」できないことの多さが悔しくて、自分でなんでも決めて実行できる、可能性を縛られない自立した人間に、大人に、はやくなりたかった。
大学に入学して、大人に会うことが増えて、本当に大人になりたいのか、わからなくなった。
「世界っていうのはこういうものだからしょうがない。社会のシステムはそう簡単に変えられない。諦めるしかない。大人ってそういうもんなんだよ。」
誰かのそんな発言に、無性に腹が立った。
多くの大人は、そうやってたくさんのことを諦めて、自分を殺して、夢を語るのをやめて、割り切って生きているように見えた。
「まだ子供だから」の首輪が外れたら「もう大人だから」の足枷が待っているなんて、子供の私は想像できていなかった。
でも、そんな「もう大人だから」に疑問を投げて挑戦を続ける人がいることも知った。
社会という大きなシステムのなかでも、ちゃんと自分を持って、都合の悪い問題に真っ直ぐ目を向けて、夢を語って、おとぎばなしのようなストーリーを本気で作り上げている大人にたくさん出会った。
心の中の宝箱に「こんな大人になりたい」をかき集めながら、いろんな経験をした。
最近ちょっと、物分かりのいい自分になることが多い気がする。社会の流れに合わせた方が楽だから、考えるのをやめたり、感性をオフにしたり、そんなことが増えてきた気がして、悲しくなった。
なりたくなかった「大人」に近づいちゃってる気がして、いつのまにかこの感覚すらも忘れちゃうんじゃないかって、旅をしながらふと思って、これを書いてみることにした。
拝啓、25歳の私へ
私はいま、大人と子供のはざまの、きっと少し大人側にいます。「こんな大人になりたい」をかき集めてきた宝箱が、ときどきどうでもよくなって、ただのねずみ色のくずかごのように見えます。飛行機が離陸する瞬間を寝て過ごせてしまいます。合わないの一言で人間関係を割り切れてしまいます。卵が300円でもわざわざ隣のスーパーの250円を求めて雪の中数十分歩いたりしないし、お土産2つで迷ったらドキドキの選択はせずにどっちも買ってしまいます。ミントガムにはもうワクワクしないし、コカコーラは置いてあっても飲みません。
でも、でも、センブンティーンアイスと、カスタードプリンと、スタバの抹茶ラテと、フェットチーネグミと、チロルチョコへの憧れは、まだ健在です。キャベツが半額だとガッツポーズするし、自己紹介は緊張するし、赤ちゃんカマキリを見つけただけで1日幸せに過ごせます。ベタなラブソングにキュンキュンするし、ずるをするひとには腹が立つし、四葉のクローバー探しに何時間でも費やせます。
私は、大人になるのでしょうか。
感性豊かなおてんば少女のまま、胸いっぱいのわくわくを抱えたまま、小さな幸せに満足できる単純思考のまま、まっすぐまっすぐ生きていたいのに、最近なんだか、たくさんのことが色褪せていっている気がしてちょっと怖いんです。
カスタードプリンやチロルチョコが、全ての問題を解決してくれる魔法は、いつか解けてしまうんでしょうか。ベタなラブソングを、浅いなんて言い始める日が来るんでしょうか。その先に待っている景色は、まだ色に溢れていますか?
でも、ちゃんと大人になりたいんです。ずっと憧れてきたんです。自分の言動への責任と、慣れに驕らない謙虚をもった、芯のあるかっこいい人に。困った人には迷いなく手を差し伸べられる、器の大きな優しい人に。必要なときは妥協できる、論理的な決断も下せる、柔軟な賢い人に。子供心は忘れたくないけど、やっぱり大人になりたいんです。
大人にならないように、でもちゃんと大人になれるようにを、まだ諦めずに進んでますか?
それとも、25歳にもなったら、こんなジレンマから抜け出して、もっともっと違う考えができるんでしょうか。
このジレンマを、まだ子供だねの一言で片付けられる自分にはなりたくなくて、今のところはなりたくなくて、こんなことを書いてみたけど、
いつか大人と子供の狭間を越えたとき、あのときは子供だったなって思ってくれたら、それはそれで本望な気がします。
他人にも自分にも感謝を忘れずに、幸せに生きててね。