自信なんか持てないぼくたちがそれでも生きていける場所
この物語は事実を元にしたフィクションです。
登場人物及び出来事は実在の人物、実際に起きた出来事とは関係ありません。
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17:07 ジョージ・ハリセンがトークに参加しました。
カズキタ「ジョージ!」17:08
カズキタ「@ジョージ・ハリセン 長めの自己紹介おなしゃす!」17:09
ジョージ・ハリセン「ジョージです。長めの自己紹介って言われたので頑張って書きます!
24歳、ニートです。
前職が街づくり系の会社で営業職やっていたんですが4日で会社に通えなくなって、辞めてからしばらく「シェア小町」っていうオンラインサロンに入り浸ってました。小町の方でリアル交流会があったのでそれに参加した時に、いろんなコミュニティに詳しいとある女性から「モテアマスいいよ〜。きっと合うと思う〜」っていう紹介がありました。
正直今住んでいるところは家賃が高いし、仕事も辞めてしまって新しい家を探していたタイミングだったので、とりあえずTwitterでカズキタさんに連絡とって、とりあえず遊びに行くだけならと思って行ってみたら、その場で入居することが決まってしまったのでこの文章を書いています。
あだ名のジョージはたまたま本名が譲治だったのでそのままジョージになりました。あと、七三分けに髭だったのも謎に決め手だったらしいです。
ジョンとポールは既にいるらしいので丁度いいじゃん、ということで決まりました。よく分かんないですが、ジョージっていうことでよろしくお願いします。ちなみに、ビートルズはそんなに詳しくないです。
モテアマス来ていいなって思っているところは、とりあえずアホなことをいろいろやらさせてもらえるところだって思ってます。リビングのカオスっぷりは皆さんのアホやった歴史が凝縮されているところだなって思っているので、そんなところに魅力を感じたりしています。ぼくも何か思いついたら企画するかもしれません。
最後に、絶賛恋人募集中です!
こんな子合うなとかそういうのあれば紹介してください!
よろしくお願いします!」18:20
ぼくが初めてファッション住民LINEに流した自己紹介は、今思えばこんなオモんない文章だった。
しばらく何のリアクションもない時間が二時間くらい続いた後で、何事もなかったかのように当時準備が進められていたコミュニティシャッフル運動会の話題にすぐに切り替わってしまった。結果的に、何も刺さらんかったけど大丈夫か? という不安だけが後味として残ってしまったが、それがぼくのモテアマスでのスタートラインだった。
一番最初にモテアマスで割り当てられた部屋はモバイルハウスだった。本来は軽トラの荷台に乗っけて移動しながら生活するために制作された住居ではあるのだが、モテアマスのそれはただ単管パイプの足場の上に乗っかっているだけで、その場から全く微動だにしない。要するにただの狭い小屋である。濃い紫色のボディーには銀のスプレーで治安の悪そうなラクガキがいくつも施されており、極め付けには入り口の上にこれまたスプレーでご丁寧にもFxxk Off(出ていけ!)と書かれている。なぜこんな構造物が敷地の脇に無造作に置いてあるのか全くもって謎なんだが、そのカオスこそがモテアマスだとも思えた。
人生で初めてのモバイルハウス暮らしは快適そのものだった。中は意外にも広々としており、奥に物を置けるスペースもそれなりにあったことも手伝って、捨てられない思い出やお気に入りの家財道具も含めて案外多めに荷物を持ち込むことができた。長い夏もすっかり終わって、気温が徐々に過ごしやすいレベルに下がってくれた時期だったので備え付けのマットレスと毛布一枚あれば夜は十分だった。秋のモバイルハウスは異様に過ごしやすい。その過ごしやすさたるや、逆に夏や冬はどうなんだという恐怖もまたそこはかと無しに湧いてくるレベルの快適さである。一応エアコンはあるものの、型式が古く随分年季が入っているように見えるそれは、いざ極限の暑さや寒さを迎えた時にはとてもじゃないが活躍してくれそうには思えなかった。
モバイルハウス暮らしで良かったと思えるもう一つのことは、「隣の部屋」がないことである。
ぼくは誰かと一緒にいると結構その人に気を遣ってしまう。これまでずっとうまく人に取り入ったり、人の顔色を伺っては相手の機嫌を損なわないよう傷つけないよう生きてきたこともあって、極度に人見知りだし、そうでなくても人前ではどうしても気持ちがピリピリしてしまう。それで、人と会った後はかなり疲弊してしまう。
いきなりモテアマスの建物内部に住むとなったら、それはそれで地獄だったと思う。ドミトリーでも、通常の個室でも、奴隷部屋でもいいけど、隣人や部屋の同居人なんか居たら、ぼくは気遣いだけで落ち着かず、更には夜も安心して眠れないまま過ごさなければならなくなるだろう。その点、モバイルハウスは自分にとってまだ安心して一人になれる時間を与えてくれるのだった。けれども、リビングで飯を食う時と、洗濯するときと、勉強部屋でパソコン開いて何かしらをする時は、どうしても建物の中に行かないといけなくなるし、行けばほぼ確実に他の住人と顔を合わせることになる。最初のうちは若干それが嫌で、リビングに人が少ない朝を狙ってこっそり飯を食ったり、わざわざ近くのコインランドリーで洗濯してみたりもした。
ぼくがようやく他の住人と仲良くしようとコンタクトを取り始めたのは、引っ越しが落ち着いて一週間経ってからだった。
とりあえず暇しかないので、一日中リビングのソファーに寝っ転がってだらだらYouTubeで動画見たりネットサーフィンしたりするところから始めた。住人が見えたらとりあえず挨拶して、何か軽く話せそうなら取り留めもない会話をした。ジョージって言います、よろしくです。何食べてるんですか、うまそうっすね。今住んでるところですか? モバイルハウスっす……
そんな会話をしながら住人を観察していると大体モテアマスの生態系がぼくの目にも徐々に見えてきた。基本夜型の人間が多いこと。三分の一がデザイナーやプログラマーなどのノマドワーカー・リモートワーカー・個人事業主で、もう三分の一はスナックのママ、シェアハウスの管理人など何かしら別でコミュニティを運営している人で、残りの三分の一が学生もしくはニート枠であること。皆で飲みに行ったりイベント開いたりといった住人が集まってはっちゃけるのは大体週末になる傾向があること、などなど。まぁ、色々傾向はあって、一言で言うと個性強めの人たちの集合体。クリエイティブな何かしらを持っているけれどもそれを絶えず持て余している人が多い、ということなのだけれど、正直ぼくなんかがモテアマスについて知ったようなことを語るのはおこがましいし、オモんないのでこれくらいにする。
とにかく、情報量が多い。リビングやトイレ、至る所に張り紙や写真、マジックテープが貼り付けられていて、モテアマスに来て嬉しかったことや住民への感謝を綴ったハートフルな手紙が貼ってあったかと思えば、そのすぐ側に元住人が税金を滞納していた廉《かど》で送りつけられたと思しき差押状が晒されていたりもする。住人の会話も、最近行ったレイヴやフェスの話題に花を咲かせているかと思えば、別のグループではどれだけ安く行きたい海外の国に飛べるかという話をしていたり、グルメや飲み屋の話をしていたかと思った次の瞬間には下ネタ混じりでお互いの性癖を茶化しあっていたりする。
そう、とにかく内輪ノリがえげつないのだ。モテアマスで気に入られる人は、ウザいほど他人とよく絡む人、毎時毎分毎秒が大喜利であるかのようにオモロいことを絶えず発信出来る人、皆で飲み行く時やイベントをする時はタイミングよく予定を合わせられる人、そして、しょっちゅうトラブルを起こしたり巻き込まれたりしながら、それでも謎に愛されるような強いキャラクターを持っている人。「おもんなかったら死刑」という書がリビングに吊るされていたりするが、基本的にモテアマスと言う王国ではオモんないやつに人権はないと言っても言い過ぎではない。そして、周りからこいつオモロいなと認められる人はどんどんモテアマスの中核に吸い込まれていく一方で、モテアマス独特のノリに付き合い切れない人間はどんどん輪からあぶれていく。
ぼくも最初の頃は合わせられるだけ話を合わせてみたり、三角地帯で飲んでいる話を聞きつけては輪に混じろうとしてみたりした。よく手巻き煙草を吸う住人がいるので、その人が外に出るタイミングを見計らってご一緒して、巻いてもらった煙草を頂戴しながらタバコミュニケーションを図ろうとしてもみた。面白い返しを思いつきそうな時はファッション住民LINEに流そうとしてみた。
それで、どうなったかというと、ぼくはとうとうモバイルハウスから一歩も出られないレベルのうつ状態を経験した。
燃え尽きてしまった。
何もかもに疲れ切ってしまい、布団から起き上がれなくなってしまった。
外は木枯らしが吹きすさび、いよいよ三軒茶屋を歩く人の装いも厚いコートに身を包むような季節に突入していた。モバイルハウスの床はクソほど底冷えし、毛布三枚でも寒さを凌ぐには厳しかった。丸落としのロックを上げて表に出る時は、煙草を吸う時と、栄通りのセブンに行く時くらいだった。身体中寒イボを出しながらコンビニおにぎりとセブンのMサイズコーヒーを胃に流し込み、チェのメンソールを燻らせていると、ぼくは一体何しにここにきたのだろう、というか、ぼくは何を目指してこれから生きていったらいいのだろう、という不安の入り混じった哲学的な問いがとめどなく頭の中をぐるぐる駆け巡ってくる。だんだんダウナーな気分になって疲れてくると、またモバイルハウスに戻って布団を被る。それだけの毎日。そういやいつぞや、ここでテントを張って暮らしていたという住人のZさんが喫煙所でこんなことを言っていたっけな。
「あんまりガッツリ長居すると、ここは病むぞ」
今のぼくは、丁度そんな状態なのだろうか。
ある日の夜。いつものように外で煙草を吸っていると、丁度出かけるタイミングだったのかけん兄《にぃ〜》が扉から顔を出した。
「おぉ! ジョージじゃん!」
「……ウイッス」ぼくは力なく挨拶する。
「最近見ないから、どうかなって思ってた」
「まぁ、ぼちぼちっすよ」
「どう? モバイルハウス。寒いよね」
「寒いっすねー」
それから一瞬沈黙があった後、けん兄はぼくの向かいにあるバリカーのパイプの上に座った。そして言葉を探るようにして、ぼくに提案してきた。
「奴隷部屋、さ。若干スペースあるから、俺がいない時とか、そこで寝ていいよ」
彼なりに気を遣ってくれているのだろうけど、ここんとこダウナー気分続きなのもあって、ぼくを憐れんで言っているのかコイツはとしか受け取れなかった。別に、モバイルハウス気に入ってはいるんで、とか何とか言って丁重にお断りしようとするも、けん兄は引き下がらず、モテアマス暮らしに不満があるのかとか、家賃払えているのかとか、しつこいくらい色々聞いてくる。だんだんぼくも根負けして、
「正直、貯金はあと一ヶ月持つか持たないかくらいなんだ。モバイルハウスはまだ安い方だし、それに、今でさえ疲れているのに、隣に人がいる部屋で生活なんか、できっこないよ」
とつい本音を出してしまった。けん兄は言った。
「じゃあ、もういっそのこと俺と一緒に奴隷になろうよ。
カズキタさんに今の状況正直に言って、何か仕事もらって、家賃Fireするしかないよ」
ぼくの口から大きな溜息が漏れる。確かに、モテアマスの住人の中にはカズキタさんから仕事をもらってそれを生活の糧にしている人、いわゆる「奴隷」が何人もいる。note記事の執筆、クラウドファンディングのライター、カズキタさんが取ってきたデザインの仕事の補助もしくは代行……。ただ、やるかどうかと言われると、ぼくに出来るのか正直分からなかったし、そもそもデザイナーともライターとも畑が違うぼくが上手いこと案件をこなしているイメージが湧かなかった。カズキタさんの役に立てる自信、モテアマスに貢献できる自信がなかった。
でも、このどうしようもない現状を打破するためには、とりあえずチャレンジするより他に選択肢がないようにも思う。
「うん、そうだね、なろうか、奴隷」
そう言葉にして自嘲気味に笑って見せる。どうせここも、いずれ追い出される運命なんだ。最後は奴隷だったんだぜ、っていつか笑い話にでもなれば、それでいいや、くらいに思っていた。
ところがけん兄はそうは受け取っていなかったらしく、ぼくの言葉を聞くや否やすぐにカズキタさんとLINEでやり取りし始めた。
「とりあえず、モバイルハウス住民としてnote連載するか、長野行って大仏の運搬手伝うかだったら、どっちがいい?」
二番目の選択肢のパンチの効き具合に思わず草が生える。一般ピーポーなら空笑いしつつどっちもヤダと言って逃げるところだろうが、こうなってはもはやぼくも一匹の窮鼠。相手が猫だろうがライオンだろうが、噛み付いてかかるしかない。
「やるよ両方」
「了解っす!」
二つ返事というやつをヤケクソで済ませ、吸いかけの煙草を灰皿に沈めた。ラーメン食いに行こうぜ、奢るから、と言ってくれたけん兄の好意に甘えて、ぼくはこれから三茶の夜の街に溶けてゆく。
「思うんだけどさぁ」
独り言でもなく、でも語りかけるでもない調子で、口にしてみる。
「一緒に暮らすってさぁ、疲れるよな。単純に。なのに、なんでぼくらはさ、一緒に暮らそうとしてるんだろうな」
けん兄はガチでスルーしていたようで「え? 何?」と聞き返してくる。いや、何でもないよ、と笑いながらぼくは応えた。
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こうして、ぼくの奴隷生活がスタートした。
モテアマスにおいて奴隷の仕事は多岐にわたる。
まず、一般的な家事の領域にあるタスク。定期的にあるゴミ出しやトイレ、リビング、シャワールーム等の共用部の清掃、そして皿洗いである。こういう仕事は結局誰かがやらなければそのまま放置されがちなタスクでもある。一部のGiver精神溢れる人たちが担ってくれることもあるが、彼ら彼女らも基本的には気まぐれだし、基本自分が使った領域の分しかやってくれない。そこで、奴隷の出番である。使用頻度の高いキッチンやリビングはもちろん、たとえ使用頻度が少ないと思われるような場所でも清潔を保つためには定期的に掃除をしなければならない。とりわけ、リビングでYouTubeを垂れ流す以外何もしていないニートには率先して家事をやるよう周りから圧力がかかってくる。当然だよなぁ。
次に、ゲストの接待。モテアマスのリビングは二四時間完全住み開きスペースなので、住人に連れられてふらっと遊びにきましたという人や建物自体には住んでないけどファッション住民として登録している人たちがちょくちょく訪れる。そういう時に備えてタイミング良くリビングでくつろぎ、他愛のない話で和ませつつ、モテアマスという汚くてカオスな空間にもう一度来たいと思わせるのが接待の仕事だ。とはいえ、最低限の挨拶と「どちらからいらしたんですか?」とか「モテアマスをどういう経緯で知ったんですか?」とか当たり障りのない質問でアイスブレイクする程度のコミュニケーション能力があればいい。そこから先は、基本フリースタイルで構わない。延々携帯いじっていてもいいし、ソファーに寝っ転がっていてもいい。明らかな暴力やハラスメントをせず、下世話な話題、空気を読まない発言は控えるよう心がけつつ、ここが居心地がいい場所であることを自然体で表現していさえすれば良い。
そして、家賃Fireの必須条件でもあり、家賃を支払えない奴隷にとって最も重要であり難易度高めでもあるタスク、それがカズキタさんが代表を務める合同会社モテアソブから仕事を受注することである。イラストやデザインが出来る人はLINEスタンプの作成やロゴ作成、Webサイトの制作、フリーペーパーの編集作業などの仕事を任せてもらえる。文才がある人はライティングだ。note記事の執筆に始まり、プレスリリースの記事、クラファンページのライティング、SNSの運用代行など、仕事には事欠かない。変わり種で言えば、グットニート養成講座の講師、部屋のDIYや改装、モデル業なんかがある。こういった定期、不定期に入ってくる仕事をこなす中で「モテアマスの家賃分をモテアソブの仕事の報酬で賄うことで、実質“家賃からの経済的自立”を達成すること」が家賃Fireである。
これらの仕事のうち、まず最初にぼくが始めたのは、皿洗いだった。とにかく、リビングにいる間は人の流れをよく観察する。そして、住人がキッチンのシンクに皿を置いて去っていったタイミングを見計らって、ささっと洗い物をする。たまにありがとうと言ってくれる人もいるが、感謝の言葉をもらえることはそんなに多くない。それでもやった。とにかく、やった。
皿洗いが習慣化してくるとだんだん、ニートのぼくでも大事な役割を担ってるんだぜ! という自己肯定感の芽が出始めてきた。メンタルの調子も少しずつ上向いてくると、トイレの掃き掃除だったり、ゴミの分別やゴミ出しにも積極的に参加できるようになってきた。ちょっと前だったら、仕事していないという理由でリビングに入り浸っていることへ後ろめたさを感じていたこともあった。でも今は違う。たまに感謝の言葉がもらえるレベルにまでモテアマスでのステータスが上がっていくと、引っ越して以来あまり感じてこなかった居心地の良さを心から実感できるようになってきた。
もちろん、リビングに誰もいない時や誰も料理していない時は、皿洗いの仕事はない。そんな時間は、YouTubeの代わりに読書とnote執筆に費やした。デザインやコミュニティづくりの勉強をしようと思ったら、勉強部屋の本棚はかなり良著が揃っている。最初はタイトルだけ眺めて気になったものを借りて読むところからスタートして、何冊か読めるようになる頃には自ら本屋でデザインの本を物色したり、たまに会うカズキタさんにおすすめの本を聞いたりするようにもなった。おまけに、読書の習慣が出来てくると自分の文章を磨くためのアイディアやノウハウも何となしに摂取できるようになったこともあり、自分にも他の人にもよりオモロいと思ってもらえる文章を意識して書けるようになってきた。ある時モバイルハウス住民としてのnote連載で初めて10以上スキが貰えた時があって、めっちゃ嬉しかったのを覚えている。
二〇二三年一月半ば頃。ついに長野から大仏がモテアマスにやってきた。
仏のご利益なのか、この頃から毎日のようにいろんなオモロいアイディアや笑いのネタがジャンジャカ脳内に湧いてくるようになる。調子に乗ったぼくはふざけた企画を思いつくまま試しに企画し、実行に移し始めた。
「LOOPでとにかく行ける限り遠くまで行ってみる企画」
「モテアマスのキッチンで豚骨を煮出すところから豚骨ラーメンを作る企画」
「72時間耐久でアダルトビデオの企画モノだけをひたすら鑑賞し続ける企画」
とりわけ個人的に一番狂気じみていたと思うのは
「タイミーで稼いだ金を全額即ハプニングバーに溶かし続ける企画」
だった。
まぁ、殆どが自分一人しか付いてこなかったし、モテアマスのnote記事にすらならなかった企画だらけではあるが、こういうことを続けていく中でぼくは、何かを企画してとりあえずやってみることの面白さにどっぷりハマっていくことになる。
そんな生活を送っていたぼくだが、じゃあ、結構モテアマスの雰囲気にも慣れて、いい感じに他の住人とも仲良くなってきたんでしょう? と聞いてくる人がいたとしたら、いやいやそれが、話はそんなに単純じゃないんだよ! と若干イライラしながら応えることだろう。
確かに、一人で部屋に籠っている時間は相対的に減った。他の住人との接触機会も増えたし、「ジョージ」って人もいる、程度には周りの認知度が徐々に上がってきつつはあった。
けれども、やっぱり時々無性に一人になりたくなる、いや、もっと言えばモテアマスではないどこか遠くに消えてしまいたくなる気持ちがどうしても湧いてきてしまうのだった。その上さらに残酷なことに、じゃあ出来る限り一人になる時間も大切にしてみようとどこかへふらっと出掛けてみたり一人で飯食ったりしてみると今度は、底なしの寂しさが胸の内にどっと押し寄せてくる。そうして、自ら必要として用意したはずの一人の時間に、毎回自分で耐え切れなくなるのだった。皿洗いも、note執筆も、何か企画を考えることも、ぼくの真ん中にぽっかり空いた心の穴を埋めるため、いや、何かで埋めた気になってその場しのぎの誤魔化しをするための作業でしかないのだった。そして、そんな作業に我を忘れて没頭しようと頑張ってはみるものの、結局のところ、相変わらずモテアマスという集団、人間関係、共同生活に疲れを感じてしまう自分がそこにいるのだった。要するに、孤独だった。
更にタイミングが悪いことに、ぼくの孤独を更に煽るかの如く、当時のモテアマスはまさに大結婚時代に突入しようとしていた。カップルであると噂には聞いていたKさん夫妻の結婚を皮切りに、S君が婚約指輪をどこで買おうかリビングで女子たちと相談をしていたのを耳にしてしまう、経営している浅草のスナックには時々遊びに行っていた仲だったSちゃんから結婚を機に京都に引っ越すことを告げられるなど、お目出度い一方で心を抉られるような出来事が立て続けに起こった。これはモテアマスの大仏のご利益ではないかとまことしやかに囁かれるのを聞くにつけ、そんなご利益ぼくには無いぞ! と大仏に怒り散らしたくなってくる。アホなことばっかりやたら思いついては、ハプバーで銭溶かして余計貧乏と孤独を極めているぼくのすぐ隣では、周りの住人たちは着々と自分の幸せに向かって綿密な計画を立てて、ますます豊かに、ますます満ち足りた人生を送ろうとしていたのである。仏の加護は彼ら彼女らの味方であって、ぼくの味方ではなかった。恨めしや、妬ましや。まぁ有り体に言って、羨ましくて仕方がなかった。
とはいえ、周りがどんどん幸せになっていくのをただ指をくわえて眺めているだけでは満足しなかったあたり、ぼくもそれなりに成長していたと言うべきだろう。
とりあえず、自分の理想の幸せを自己分析して紙のノートに書き出すところからスタートした。ショートボブで美人の女の子とデートして過ごす、毎日のようにその子とセックスして気持ちよくなる、仲のいい親友が沢山いる、どっか海外に旅に出る、指輪のプロポーズは高級イタリアンで……とにかく青天井だと思ってブレインストーミングに励んだ。
そうして、それらを手に入れた未来から逆算して今何が必要かを洗い出そうとしてみた。ところが、ここに来てぼくは盛大に行き詰まることになる。どう足掻いても、結局それらの幸せをどうやったら手に入れられるのか、全く思いつかないのだ。そもそもショートボブの似合う美人の女の子とどこで出逢ったらいいのかが分からない。極度の人見知りのぼくに親友ができるとはとても思えない。海外に飛びたくてもそもそもお金がない。ましてや結婚指輪なんて……。
だんだんネガティブな思考がぐるぐるし始めてきたので、今度は仮にショートボブ女子と過ごしている自分がどんな自分かを思い描くことに頭を切り替えた。それなりにファッションに気を遣える男であること、人見知りをある程度克服していること、オモロい話題で彼女を笑わせていること、彼女に得意料理を振る舞っていること、再就職に成功してそれなりに稼ぎがあること……しかし、そうやって思いつくままに捻り出せば出すほど、そうはなっていない自分に対するコンプレックスが煽られるばかりで、だんだん落ち込んでくる自分がいるのだった。
「まぁ、どれか一つでも出来てれば、何とかなるんじゃない?」
ノートを広げながら喫煙所で悩んでるぼくに、メンズモデルをやっているK君が煙草を燻らせながら適当にアドバイスをくれる。まぁ、そりゃそうよな。何でも完璧に備わっているほど、デキるぼくじゃない。だったら、一つでも理想の女の子に刺さる何かがあったならラッキーくらいに思ったほうがいいのかもしれない。
じゃあ、女の子に限りなく気に入られる可能性が高くて、かつ今のぼくでも手を出しやすい理想の自分は何だろう、と考えた時、すぐに思いついたのが「料理が出来る男」だった。
そこで、ぼくは元板前でリバTというシェアハウスの運営もしているBさんにたまたま会う機会があったので、彼に土下座してお願いをすることにした。とりあえず、女の子にモテたいです。これ作れたら強いって言えるおすすめの料理、なんかありますか。
「じゃあ、今度一緒に唐揚げでも作りますか」
こうしてぼくはBさんから直々に秘伝の唐揚げを教わることが出来た。教わったと言っても、「YouTubeに動画上げてるから、とりあえず見といて」と言われて送られてきた実演動画をひたすら事前に何回も視聴してから、材料揃えて見よう見まねでまずは揚げてみる、それをBさんが試食してコメントするという大変ざっくりとした教わり方だった。
実を言うと、これが人生初の、ちゃんと唐揚げを揚げた体験だった。だから、揚げ終わるまでちゃんと出来ているのか緊張と不安しかなかった。果たして、揚がった唐揚げをいざ実食してみると、衣はサクサク、中はジューシーな、見事な唐揚げになっていた。
うまいっすね、これ! と感動に震えるぼく。それを満足そうに眺めつつも
「いや、これでもまだ揚げ過ぎなんで、もうちょい気持ちタイミングを早くして上げてごらん」
とアドバイスするのは忘れないBさん。
自分、人から応援されている。
自分でも何か出来る。
しかもそのことで人に感動を与えることだって出来るんだ。
こんなこと、これまでの人生で心の底から思えたことなんかなかった。唐揚げの味にも感動したけど、そう感じられたことが妙に嬉しくて、その日の晩はずっと嬉しい気持ちを反芻しながら噛み締め続けた。
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チャンスというのは、本当に気まぐれにやってくる。
だんだん気温も暖かくなり、柔らかい陽気がぼく達の身体を優しく包み込みだしたある日のこと、黒髪ショートボブの、すらっとした大和撫子美人のりょうさんがモテアマスにゲストでやって来た。そして、今ぼくの目の前にいる。
控えめに言って、荒野に天使が舞い降りたような、そんな光景だった。
しかも、その場のノリで、ぼくが唐揚げを作って振る舞うことになった。何かつまめるもの作りますかという話になって、こいつ唐揚げ作れるんすよ、めっちゃうまいっすよとGさんがぼくをプッシュしてくれたのだった。流石気の利くモテ男である。ほいじゃ、材料買って来ますねと肉のハナマサにダッシュで駆け込んでいる間、ぼくはドキドキとトキメキが止まらなかった。地下の食肉売り場で鶏もも肉をむにむに触っていても、すぐにりょうさんの肌の質感妄想にすり替わってしまう。腕細かったなぁ、撫でたらこんな感じなんかなぁ……って、いやいや! こんなに呆けてちゃまともに料理出来ないだろう! と自分に喝を入れるも全く効果がない。これはきっと春のせいだと自分に言い聞かせ、必要な材料を買って帰モするや速攻で唐揚げ作りに取り掛かった。
それまで何度か作って来たこともあって、揚げている時は意外にも平常心そのものだった。パチパチ音からプチプチ音に切り替わるタイミングを捕捉するのも、揚げ色から火の通り具合を類推するのも、慣れたものだった。りょうさんが楽しみに待ってくれていると思うと、逆に五感は研ぎ澄まされ、心は穏やかそのものになる。
「ジョージ! まずは飲もう!」
とGさんがレモンのストロングゼロを渡してくる。丁度第一弾を揚げ終わったタイミングだったし、そろそろ乾杯の気配だったので、ありがたく頂くことにした。この時、全くもって空腹だったのとテンションがとんでもなくハイになっていたのを計算に入れていなかったことを、ぼくは後々まで後悔し続けることになる。
プシュッとプルタブを開け、かんぱーい! の合図とともにリビングのテーブルに唐揚げを置いた。
「え、すごーい! これジョージさんが揚げたんですか?」
りょうさんがぼくに話しかけてくる。キラキラした目が眩しかった。
「そうなんすよ。ぼく、唐揚げが得意料理で……」
つかみはオッケー。ここですぐに畳み掛けるようにトークを盛り上げ、距離を一気に詰めていく。
「今どこ住みっすか?」「へぇ、初台! ちょうど知り合いが笹塚住んでてー」「普段どこで遊んでます? やっぱ新宿っすか?」「あっ、バーで働いてるんですね! いや、絶対遊び行きます!」
話に夢中になっていると、唐揚げがもうなくなってしまって「ねー、唐揚げまだー?」という他の女子達の声が聞こえて来る。「おけす! 第二弾あるんですぐ揚げます!」と応えつつも、もっとりょうさんと話させろ! という鬱憤も同時に溜まってくる。そもそも、唐揚げは出したら秒で無くなるのだ。全部揚げ切るまで、殆どゲストと会話をする暇さえない。忙しく唐揚げを揚げている間も、ぼくの意識はりょうさんの方に向いてしまい、ついチラチラ見てしまうのだった。
第二弾、そして第三弾を揚げ終わる頃には、だんだん皆のお腹もいっぱいになってくる。飲み物もハイボールに完全移行し、ぼくも飲もうとお願いすると、ウイスキー特濃のエグいハイボールが出されてきた。誰が作ったのかこの頃からもはや記憶が曖昧なのだが、もし犯人が分かったとしたら、なんてことをしてくれたんだとそいつを小一時間以上問い詰めたい。
リビングのテーブルは殆ど埋まっており、りょうさんの両脇もいつの間にか数人の女子で固められてしまって入る隙がなくなっていた。気分がややご機嫌斜めになっていく中、ハイボールを胃に流し込みながら出来るだけ近いところにいようとした、その時だった。
りょうさんが時計をチラッと見た後で、やおら「ごめんなさい、あたしそろそろ帰りますね」と言い出したのだ。
「ジョージさん、唐揚げごちそうさまでした。美味しかったです」
そう言って微笑んでくれる彼女にキュンとしてしまったが、折しもベロンベロンになっていたぼくは酒の勢いが余ってあろうことか
「帰らないで!」
「ぼくを抱いてください!」
と叫んでしまったのだ。
りょうさんの顔が若干引きつる。と同時に、コレはあかんと判断した他の住人達が呂律の回らなくなっているぼくを取り押さえて、ま、ま、ま、とりあえず落ち着こうか、と奴隷部屋に戻そうとする。ぼくの目からは涙が零れ落ち、りょうさんを最後の最後まで目に焼き付けようとして……そこから先は完全に記憶を喪っている。
翌朝、Gさんに肩を叩かれて「住民同士やったらええけど、ゲストはあかん」と諄々と諭されてようやく、ぼくは自分のしでかしたことの重大さを知って激しく頭を抱えたのだった。
結局、新宿のどこのバーで働いているのか詳細を聞くこともLINE交換もできないまま、りょうさんはその後二度とモテアマスに、そしてぼくの前に姿を現すことはなかった。
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悪夢を見た。よりによってクソババア、もとい母親の夢だ。
夢の中での母はぼくをしょっちゅうビンタしてくる。ビンタしては
「なんでアンタは何もできないのよ!」
「私ばっかり苦労してるじゃない! この甲斐性なしが!」
と罵ってくる。そんでもって、繰り返し繰り返しビンタされているぼくを、もう一人のぼく、小さい頃のぼくが襖の隙間から見ている。そんな夢だった。
この光景を、ぼくは知っていた。ビンタされていたのは父親の方で、襖から覗いているのが当時のぼくだ。
思えば、ぼくの母は極度の完璧主義者だった。
自分の言った通り、思い通りにならないと分かるや否やすぐに「もういい。私がやるから」と何でも巻き取ってしまう巻き取り女だった。そのくせ、指示は大雑把で適当。とにかく人の扱いが雑なのだ。丁寧に相手に教えるより完璧にこなせる自分がやった方が早いを地でいく人だった。これを家族に対してだけじゃなく、職場でもそういう態度で後輩部下に接しているらしい。だから、部下は育たないわ多方面から恨みを買うわで、それはそれは結構な嫌われ者だったらしい。大手スーパーの正社員ではあったが、母の能力の高さや完璧さを買う人は誰もなく、今年で三十四年働き続けているが未だに最初に配置されたレジ打ち係を動いていない。
そんな母に育てられたぼくは、生まれた時から自信喪失状態だった。母が父やぼくに対して軽蔑を込めて
「もういいです」
「できないなら私がやるから、他のことをやっていてください」
「黙ってアンタはそこにいればいいです」
と丁寧語でキツく諭してくるのがとにかく恐怖だったので、とにかく何もしないのが一番、何でも母に任せておくのがいいというメンタリティでこれまで過ごしてきた。自分も何かやっていい、自分もやれば何かしら出来ると心の底から思えたことなんか、これまで一度もなかった。おまけに、人と会うと必ず緊張するし、緊張した状態ではやる事なす事何も上手くいかないので、人の目を極度に意識しては何も事件や問題を起こさないように振る舞う習性もいつの間にか身についてしまった。
そんなぼくが健康な青春時代を送れるはずもなく、小中高通してほとんど友達を作れず、部活にも属さず机に齧り付いて勉強ばかりしているか、そうでなければ学校を休んでいたか、どちらかしか思い出がない。それに、勉強だってやりたくてやっていたわけじゃなく、義務だからやっていた。母親が100点以外決して認めない親だったからである。そのくせ、いざ100点満点取れたとしても、決して褒めてなんかくれなかった。もっと取れるでしょう、当然の結果よね、と軽くあしらっては「ほら、浮かれてないでさっさと次のテストの予習をして」と突き放すのが恒例行事だった。
そんなぼくを唯一支えてくれたのは、父だった。
父はぼくが生まれた頃からうつ病を患っていて、仕事もせず家にいることの多い人だったけど、母が働きに出て家にいない時やたまに旅行に出かけるときなどは、父が家事をしていたし、ぼくに勉強を教えてくれたり、学校に行けないぼくに美味しい料理を作ってくれたり、何より悩んでいることは何でも相談に乗ってくれた。
ある時、母と喧嘩したことがあった。ぼくがやっとの思いで取った全教科百点満点を、いつものように軽くあしらわれてしまったからである。「テメェのために100点とってんじゃねえんだよ!」と怒鳴り散らしながら、ぼくは初めてその時母を全力で殴ってしまった。母はその後狂ったように泣き出し、アンタなんか産むんじゃなかったと言って物を壊し始めたので、父が珍しく「いい加減にしなさい!」と母に喝を入れて場を収めたのだった。
その晩、眠れないぼくを父がベランダに呼び出してくれた。父は燃え尽きたかのようにだらしなく椅子に座り、すっかり酒と煙草に浸っていた。
ぼくも椅子に座るや否や、父がおもむろに開口一番で尋ねてきた。
「母さんのこと、嫌いかい」
真っ黒でどろっと澱んだものを吐き出すかのようにして
「あぁ、大嫌いだよ」
と言い放つと、父は微笑んでこう言うのだった。
「あれでも母さんは母さんで苦労をして生きてきたからね。ああなってしまうのが、俺は大体理解できる。
でも、お前は一生理解できなくていい。
世の中、勉強して分かることだけが全てじゃない。それに、何でもかんでも理解する必要なんか、どこにもないんだ。母さんとは違う人生を、お前は歩んでいけばいい」
「……今日は随分、難しいこと言うじゃん」
「だろうな、難しいことかもしれないな。
でも、お前はもっと、父さんを頼れ。すぐには無理だろうけど、母さん以外の人間なら、誰だろうと、お前なりにもっと頼っていいんだ。
お前は十分自分を守って生きてきたんだ。高校卒業したら、こんな家さっさと出なさい。こんな俺だけど、手助けはするからさ」
そう言ってまた微笑む父の姿を前にして、ぼくは大粒の涙を流した。今またこうして思い出すだけでも、涙が止まらなくなる。
「どしたん、話聞こうか?」
喫煙所で一人ポツンと泣いているぼくに、Zさんの真似してけん兄が声を掛ける。
「いや、昔の嫌だったこと思い出してて。個人的なことでさ。ここで話してもしょうがないよ」
「そっか」
けん兄も煙草に火を付ける。
「ここんとこ暑くて寝られたもんじゃねぇよな」
「そうだね」
三茶はまさに夏本番だった。毎日30℃を超える猛暑、時たま襲うゲリラ豪雨、そして夕方になると排水溝や塀の茂みから湧いて出てくる蚊の猛攻、クーラー効かせてもなお寝苦しい熱帯夜と、ぼくの体力気力を常に蝕んでくるものが多過ぎる。これだから、夏は嫌いだ。
「今度俺、グットニート養成講座の講師やることになったんだけどさ」けん兄がつぶやく。
「あぁ、そうなんだ」
「適当なネタが思いつかなくてなぁ」
「確かになぁ。
ちなみに受講生誰なん」
「のんX、モバイルハウス住民の」
一応面識はないわけではない。最近モバイルハウスに移り住んだ、元お坊さんをしていたという経歴を持つXジェンダーだ。とりあえずバーチャル自治体「平和市」市長のJと似たような枠だと個人的に理解をしている。中々信心深い人で、毎朝のように大仏の前を掃除しては、お祈りしてぶつぶつお経のようなものを唱えている時がある。ぼくもたまに喫煙所で会って適当に挨拶することもあるが、まさかグットニート養成講座を受講しているとは思っていなかった。
「俺が語れるのって、とりあえずいろんなコミュニティをホッピングして回った体験みたいなのを伝えるくらいかなーとは思ってるんだけど」
「へぇ……」
そういえば、ぼくはシェア小町とモテアマスと平和市くらいしか、コミュニティに関しては知らない。いや、リバTとかアカイエとか渋ルームとか、住民やゲストの会話に登場するコミュニティ、運営している人と知り合いだったりするシェアハウスはないわけではないのだが、訪れたことがあるかと聞かれたら、正直一回もない。聞くところによると、福井の鯖江と長崎の五島列島にはモテアマスの元住人が開拓したというグットニートの楽園があるそうなのだが、申し訳ないけどあまりに遠すぎる。青春18きっぷ駆使すればワンチャン行けなくもないかもしれないが、そんな長旅、今のぼくには流石にハードルが高い。
「あの、ものは試しでさぁ、そのコミュニティ体験談、ぼく相手に講義してくれないかな。
ほら、本番前の練習になるかもしれないし」
えー? と若干嫌そうな顔をするけん兄だったが、ぼくがどうしてもと頼み込むと、渋々承諾してくれた。
「一応スライドはざっくり作ってあるから、それを見て何かコメントくれ」
そう言って勉強部屋で見せてもらった資料は想像を遥かに超えてよくまとまっており、コミュニティホッピングすることのメリット・デメリットから、コミュニティ内で居心地よく過ごしつつどっぷり中に入り過ぎないコツなど丁寧に説明してくれていた。こういうことを予め知った上でモテアマスに入居していたら、ここでの生活ももっとマシになったんじゃないかというくらい、実に良くできたプレゼンだった。
「いいじゃん。コレで行こうよ」
とコメントするもけん兄はまだ何か納得がいっていない顔をする。
「そうだなぁ、ジョージ相手だったら、多分コレでもいい気がするんよな」と呟いたかと思うと「もうちょっと練り直してみるわ」と奴隷部屋に戻っていった。
実際あの後けん兄がどんな講義をしたかは知らないが、あの後からぼくはしばらく色んなコミュニティを誘われるままに見に行く生活が続いた。シェア小町で出会いモテアマスを知るきっかけを作ってくれた女神のYさんの案内で、それと市長もといJも結構詳しかったので、色んなシェアハウス、コミュニティを紹介してもらい、イベントがあればすぐに出向いた。
で、結論からさっさと言ってしまうと、どのコミュニティも全く自分に合わないわけではなかったが、結局最後に落ち着くのは「やっぱ、モテアマスがいいや」というところだった。モテアマスに居れば、ある程度誰かしらご飯を恵んでくれたりする。誰かしら楽しい話題を提供してくれる。誰かしらオモロいことを仕掛けてくれるし、それに巻き込まれたりさらに調子に乗ってはっちゃけている時がやっぱり何だかんだ言って一番楽しい。
結局、皆ノリ良すぎるのだ。抱擁度すごいのだ。菩薩かってくらい人がいいのだ。
他のコミュニティを覗いてみることを通して改めてぼくは、半年くらいモテアマスに住む中で、アレやこれややらかした夜もあったけど、そんなぼくでも受け容れてもらえているんだなということを実感した。そして実感する度にとめどなく、住民の皆に対する感謝の念が湧いてくるのだった。
そしてまた、そのことが却ってぼくを暗澹たる気持ちにさせもするのだった。ぼくは、もはやモテアマスなしでは生きていけないのではないか。一生ここの住人達とつるんでいないと心が死んでしまう程度には、社会的に脆弱な人間になってしまったのではないか。そんな不安もそこはかとなく湧いてくる。
要するに、ぼくはモテアマスに依存していた。ようやっと住人達とも親しく話せるようになってきて、ぼく自身もだいぶ性格がくだけてきたし、安心してくつろげる場所を手に入れたのではあるが、いざそういう場を手に入れてみると、その場所を離れて何かしている自分が想像できなくなってくるし、もし仮にモテアマスという場所がある日爆発してなくなってしまったとしたら、ぼくは絶望しながら路頭に迷うしかない未来が見えてしまいそうで、それが何というかつらかった。
そんな悩みを抱えていたある時、ぼくはU君の影響でどっぷり一人飲みにハマるようになる。
事の起こりは、なぜかぼくもU君とのコンビで例ののんXのグットニート養成講座の講師を務めることになってしまったことだった。講義の流れはこうだ。まず彼女(彼?)に予算二千円を渡す。そして、一人飲みに丁度いい店を探させる。LINEでどの店に入ったか報告をうけたら、ざっと三十分程度時間を置く。それから、タイミングを見て店に突入。「お手本」の絡みをU君が見せる。最後に、店に事情を話して感謝としてお店の人にも一杯ご馳走する。ちなみに、ぼくの仕事は二千円を出資したという、ホントそれだけの仕事で、後のほとんどはU君が仕切ってくれた。
ぼくもたまに三角地帯へ一人飲みに出かけることも無くはなかったので選ばれたのかもしれないけれど、ぼくよりもU君の店での立ち振る舞いがものすごく場数を踏んだ熟練の絡みを魅せており、逆に一緒に付き合ったぼくの方が勉強になったほどだった。それで触発されてしまい、当の受講生よりもハマってんじゃないかというくらい、色んなところに通い始めたのだった。新橋、五反田あたりも行ってみたりはしたが飲み屋に集まる人の客層や雰囲気が何となく合わず、結局ぼくが落ち着いたのは新宿ゴールデン街だった。
ちなみにぼくのルーティーンは、だいたい十七時頃から新宿に繰り出して、まずはカフェバーHelloで軽くコーヒーやジンジャエールを飲みながら他の店の開店を待ち、文壇バー水星に吠えるでマスターと会話しながら一頻り飲んだくれ、それからSea &Beachで下ネタに花を咲かせ、佐和で豚汁を飲んでから終電で帰モするという流れである。
そろそろ八月も終わろうとしていたある日のことだった。いつものように水星に吠えるで飲んでいると、隣の席に三十代、おそらくぼくより一回り年上くらいの男性が座った。
革ジャンに無精髭を生やした彼は、カウンターに座るや否や乗っけから「締切前夜」と名のついた猛烈に強いカクテルを注文し、ぐいっと一気飲みしたかと思うと、煙草に火を付けてマスターと親しげに会話し始めた。独特の甘い匂いから、おそらく手巻きタバコ、しかも変わったフレーバーのシャグを吸っていることが推察できた。
ぼくもいつも吸っているチェのメンソールを巻き始めて、煙を燻らせてまったりしていると、
「お、手巻き吸ってるの?」
と向こうから親しげに声をかけてくれた。乗ってきた、しめしめ、と思いながら彼とのコンタクトを開始する。
彼は自分のことをひできと名乗った。今年で三十六になるらしいのだが、実年齢より七、八歳くらい若く見える、なかなかのイケメンである。巻いているタバコはブラックスパイダーのフローズンモヒートだった。三茶のピカソには置いてない、それこそ渋谷のドンキか新宿のカガヤに行かないと手に入らないやつだった。
いつもどこで煙草を買うかという話の流れから自然に「今住んでるとこどこなの?」という話になり、今三茶のシェアハウス住んでて、という話をするとひできさんは目を見開いて
「ひょっとしてモテアマス?」
と聞いてきた。
「よく分かりましたね。ぼくそこの住民です」
「マジで? 俺も住んでた。え、モテアマスのどこ住んでんの?」
「最初の方はモバイルハウスで、今は奴隷部屋っす」
「あのモバイルハウス作ったの、俺なんだよね」
「えっ? そうだったんですか!」
ぼくは驚くと同時に、だいぶお世話になりました、冬はめっちゃ寒かったっすけど、とお辞儀して彼に感謝を示した。
それからはひたすらモテアマストークで盛り上がった。ひできさんは二〇二〇年からの住民でぼくより二年先輩だった。元々モバイルハウスを作る会社で働きながら自分用にも一棟作り、それをモテアマスの脇に運び込んだものが現在のモバイルハウスなのだそう。越して来た当時のモテアマスはそんなにオープンな雰囲気ではなかったらしく、初めての飲み会に緊張しながら入っていったところ、顔見知りだった世界のMさんが隣に座っていいよと言ってくれたお陰で何とか馴染むことができたという。他にも色んなエピソードを聞かせてもらったがやたら情報量が多くて正直覚えきれていない。あいつ元気してる? と名前を出してきた幾人かの住民についても、ぼくが入居した頃には既にいなかったり、入居するのとすれ違いで出ていった人が多く、けん兄やGさん、Mさんといった古株のメンバー以外ほぼ共通の知り合いがいない感じだった。
「そっかぁ、最近遊び行ってないからな。たまには顔見せようかな」と言うひできさんに「いいと思いますよ。きっと喜ぶ人もいると思うし」と返すぼく。終始和やかな雰囲気で会話は盛り上がり、気付けばあと数分で終電の時間というくらいには水吠えに長居してしまった。スマートウォッチで時間を気にしていると、
「もう一軒付き合ってよ。ウイスキー奢るから」
と誘ってくる。今晩くらいはいいか、特にタイミーで仕事入れてるとかそういうの無いしと思い、もう一軒付き合うことにした。
ひできさんが案内してくれたお店は水吠えから一本通りを挟んだ三番街のとある建物の二階にあるバーだった。赤いカーペットに年季の入ったカウンター。雰囲気がとても落ち着いていて、空間全体がバリバリ昭和感を漂わせている。
ここ、行きつけなんですか? と聞くと、「いや、何となく気になってただけ」とあっけらかんと言う。ただでさえゴールデン街の二階店は敷居が高いのに、すごい冒険心だなぁと感服しながら席に座る。奥の棚を眺めると博物館かというくらい恐ろしい数、豊富な種類のウイスキーがそこかしこに並んでいる。ウイスキー好きにはきっと堪らない空間だし、どのお酒にするか迷って選べなくなるだろうが、生憎並んでいるものでぼくに分かるのはせいぜいマッカランとI.W.ハーパーくらいだった。どっちか迷って結局ハーパーにした。
乾杯を軽く済ませ、一口飲んだ後でひできさんがおもむろに
「どう、モテアマス。しんどかったりしない?」
と切り出してきた。いや、しんどいことは色々ありますよ、と釣られてぼくはこれまであった事を割と詳しめにつらつらと話し始めた。
前職で働いていた会社の最初の営業で極度の緊張でパニックを起こしてしまい、「え、あなた一体何ができるんですか?」と同行していた先輩の女性社員にキツめに詰問されてしまったことが原因で出勤4日目にして会社に通えなくなったこと。
それからしばらく職探しもできず会社を辞めてニートになってしまったこと。
入り浸っていたシェア小町でもたびたびオンラインで拗らせた発言をしたりして空気が悪くなったりしたこともあったこと。
モテアマス来て最初の頃の人を避けていた時期のこと。馴染もうと頑張って却って病んでしまったこと。モテアソブの仕事を受注して家賃Fireを目指したけど結局お金が足りなくてスキマバイトを頑張って、でも行く先々でストレスが溜まってしまい、迷惑にもハプバーで発散してしていたこと。りょうさんとの一件、そしてその後しばらくモテアマスに居づらさを感じていたこと。コミュニティホッピングをした結果、モテアマスにズブズブに依存していた自分を発見して絶望したこと。ここ最近、母親が出てくる悪夢をよく見てはうなされること……
ひできさんはひたすら静かに傾聴してくれていた。時折ウイスキーを口に含んでは、カラン、コロンとロックアイスを転がしながらグラスを色んな角度でじっと眺めていたかと思うと、ぼくの言葉一つ一つを、うん、うん、と味わうように聴き入ったりもしていた。
一通りぼくが話終えると、しばらく沈黙が続いた。かなり酔っ払って色々話し過ぎたかなと冷や汗をかいている側で、ひできさんは何かを決心したかのような顔をして、まっすぐ一点を見つめている。
「申し訳ないです。ちょっと自分語りし過ぎちゃいました」
と焦ってフォローしようとするも、ひできさんは尚も顔色を変えずただ一点だけを見つめている。そして、ボソッとこう漏らした。
「ちいせぇなぁ」
咄嗟には意味を測りかねたものの、だんだん彼の言わんとしていることがじわじわと伝わってくるや、身体が芯から震えを起こしているような感覚になる。
「俺も大概ちっせぇ人間だけど、お前も大概ちっせぇとこあるんだなって、聞いてて思ったわ」
そうっすか。それ以上言葉が出てこない。そんなぼくの目を真っ直ぐにひできさんは見据えている。次に何を言われるのか、何となく予想できた。それがたまらなく怖かった。
「要するにさ、自分に自信がないんだろ?
自分に自信がないから、そうやっていつまでも燻って、焦って、空回りしてるんだろう。モテアマスだったらそれでも受け入れてもらえるって、安心してるところもあんだろ。タチ悪いよなぁ。俺だったら一緒に住みたくねぇなこいつとはって、思っちゃうよ」
何も言い返せない。本当に、その通りだ。そして、そこまで自分の正体を看破されてしまっていることに、恥ずかしさやら情けなさやらかとめどなく込み上げてきて、汗が止まらなくなっている自分がいる。
「俺も、お前くらいの歳の頃は随分イキってたんよ。Mとかに当たり散らしたりもしたし、あんときはメチャクチャ迷惑かけた。今となっては反省もしてるし、お陰で今こうしていられるところもある。
でも、お前はさぁ、自分で自覚ないかもだけど、相当に重症だと思うぜ。
他の住民と馴染めないとか、そりゃそうじゃん。だって、自分から何かをGiveしようって心がそもそもないもんな。何かといえば、ほかの奴らに甘えて、それをTakeしてるだけだろう。
お前がモテアマスでどれだけ頑張ってるかとか、見てきたわけじゃないから知らないけどさ、でも何かやってたとしてもそれに満足感がないんだったら、結局はほかの人のGiveから何も見習ってないってことじゃんか。お前にGiveしてくれた人の気持ちはどうなるんだよ。少しでも感謝の言葉だったり、尊敬の言葉だったり、ないのかなって俺は思うけどね」
本当にそうだ。ぼくは何かをして人から感謝されないことには腹を立てるくせに、人からしてもらったことを有難いと思って受け止めたことがない。他の住民の不満ばかり並べ連ねて、彼ら彼女らがぼくに与えてくれていた有形無形の様々な恩恵については、見ないふりをしていたり、余計なお世話だとはねつけたり、素直に受け取れた試しがなかった。
「何にも見返りを求めないで、ただ相手がどうなったら喜ぶかとか、何をしたら元気が出るかとか、考えたり想像したりしたことはあるか」
……ごめんなさい、正直ないです。
「自分がしたことで、結果他の人がどういう気持ちになるのか、想像したことはあるか」
……すいません、ぼくには難しいです。
「結局、相手の顔色伺って、気まずいことしたなとか、やらかしたなとか、そういうことには敏感でさ、相手が一番やって欲しくて、必要にしているものが何なのかを必死に考えて動いてこなかったんだろう」
……はい、その通りです。
「じゃあ、お前は何ができるんだよ、ジョージ。
お前がやることなすこと何でも手放しで褒めてくれるやつなんか、どこにもいないんだよ。お前はこれまで生きていくだけで必死だったろうし、必死に生きてきた努力を誰かに心から褒めてもらいたいんだろうけどさ、世の中そんなに甘くないんだ。どれだけ必死こいて何かやってたって、努力賞なんか貰えないことにいい加減気付けよ。
いつか誰かが自分の欲しいものを与えてくれるだろうって思ってるその根性が、もう既にダメダメなんだ。お前はそうやってただ待ってるだけじゃんか。待ってる時間なんて無駄だっていい加減気付けよ。自分の手で掴んだものしか、ただ皆を楽しませようって自分から行動して、そうやって積み重ねてきたものだけしか、お前の自信にはつながらないんだ。
お前は何ができるんだよ。
何ならお前は人を楽しませられるんだよ。
お前は何のために生きてるんだよ、ジョージ」
気付けばぼくは嗚咽をしていた。飲み過ぎて吐きそうな訳ではない。ひできさんの言葉が心にグサグサ刺さり過ぎて、呼吸が覚束なくなっているのだった。目からはとめどなく涙が溢れ出し、視界はぼやけてぐわんぐわんしていた。おまけに、こんな顔は見せられない、トイレに行かなきゃと立ち上がろうとしたら今度は一気に高濃度のアルコールを含んだ血流が脳天を直撃して立ちくらみを起こし、バーカウンターから転げ落ちて頭を打ってしまった。それが途轍もなく痛くて、余計咽び泣きが止まらなかった。向こうでは、
「悪い、酔わせ過ぎちゃった」
「言い過ぎの間違いだろう」「ったく、お前ら、もう二度とうちには来んな」
とひできさんとマスターがやり取りしているのがぼんやりと聞こえてくる。
一通り会話が終わると、ひできさんがぼくを介抱してゆっくりと階段を一緒に降りてくれた。
「立てる?」
「……はい」
「ここは全部俺が払ったから。タクシー呼ぼうか」
「いや、いいです、歩いて帰ります」
「こっから遠いぞ」
「すいません、でもぼく、夜風に当たりたいんです」
「……今日は悪かった、言い過ぎたよ」
「いいんです。ホント、ひできさんの言うとおりですから」
ぽつぽつとそんな会話をしつつ、ゴールデン街の脇の小道に出てすぐの公衆便所でバシャバシャと顔を洗うと、心配そうに見つめるひできさんを振り返ることなく、新宿の夜道をとぼとぼ一人歩き始めた。Googleマップを頼る気にもなれず、とりあえず山手線沿いに歩いていけば渋谷までは辿り着くだろうというだけのノリで歩き続けた。大きな通りには、無数のタクシーと、ゴミ収集車と、トラックばかり走っていて、一般乗用車はほとんど見かけない。そんな道路をぼんやり眺めながら、あんまりにも頭に出来たたんこぶが痛むので時々さすると、楔のように打ち込まれた言葉の数々まで甦ってきて、何をしてるんだろうなぁぼくは、という悲しみとともに、また涙がこぼれ落ちそうになるのだった。
上を向いて歩こう、涙がこぼれないように……
坂本九をYouTube経由でイヤホンから流し込みながら空を見上げると、ビルの谷間の向こうに群青から白へと移行し始める色彩のグラデーションが見えた。
もう、夜が明けようとしていた。
5
代々木駅の近くを歩く頃には酔いも冷めて、自分の思考がだんだんクリアになっていくのを感じる。
ぼくは何のために生きているのか。
ぼくは、モテアマスのみんなに何をGiveできるのだろう。
そんなことを、今更になって真剣に考え始めた。
ぼくに出来る事と言ったら、何か文章を書くこと、唐揚げを揚げること、皿洗いや掃除を頑張ること、自然体でくつろぐこと、馬鹿話をしてふざけること……色々思い浮かんでは来るが、決定打になるような、ならないようなという感じでフワフワしたまま、頭の上を漂っている。まるで、空に浮かぶ雲のようだなぁ、と内観しながら歩き続け、歩き続けてはまた考え続け、考え続けながらこれまでの自分自身を見つめ直し続けた。
ある角を曲がった時だった。若い男女が十数人ほどわらわらと地下の階段から上がってきて、ぼくとすれ違った。おそらく、地下のお店はバーかクラブだったのだろう。すっかり出来上がった威勢の良い一人の男子が
「オメェら! 俺はもうあと十杯テキーラ飲めるぜぇ!」
とイキり散らしている。畳み掛けるように頭の悪そうなギャルが「じゃああーし百杯飲むから千杯チャレンジしよ」とか何とか叫んでイキりの応酬をやり合っていた。
楽しそうだなぁ、と思った。全く羨ましくはなかったし、混じりたいとも思えなかったが、そんな馬鹿みたいなやり取りをしてイキっている男女を横目に通りすがっただけで、どういう訳かぼくの心は先程までと打って変わってすっきり穏やかな気持ちになっていくのを感じた。この気持ちは何だろうと不思議に思いながら、原宿を抜け、渋谷のスクランブル交差点に差し掛かった頃には、太陽が渋谷駅の建物越しに顔を覗かせていた。
目の前をカラスが、ゴミ山から羽音を立てて飛び立ち、ぼくのすぐ側を横切っていく。その瞬間、何か確かなものを掴んだような手触りをふつふつと感じ始めた。
そうだ。ぼくは自分に自信がない。
でも、イキることだけは、出来る。
ずっと、虚勢を張って生きてきた。
虚勢を張るぼくはめっさ格好悪い。
ダサいし、何ならオモロくもない。
だから周りは大概、引くか憐れむ。
でも、モテアマスの皆だけは、そんなぼくを面白おかしく茶化してくれる。
笑ってくれる。
何ならLINEスタンプの素材にしてくれるし、note記事のネタにだってしてくれる。
モテアマスは、ぼくにとって安心してイキることができる場所だ。
だったらぼくは、モテアマスという最高の舞台で、最高にイキり散らすだけイキり散らそうじゃないか。
そうだ、イキろう!
他の皆ももっとイキってほしい!
皆のイキっている姿が見たい! それこそが、ぼくにとっての最高の幸せなんだ!
イキろ! 生きろ! イキりながら生きよう! 「生きる=イキる」! 「イキる=生きる」!
ここに来てもはやぼくの脳みそは深刻にバグり始め、深夜テンションを通り越してある種のトリップ状態に完全に没入していた。ここまでのトリップは、かつて大仏がモテアマスにやって来た時だって経験したことがない。アイディア・ハイとはまさにこのことだった。池尻大橋駅を通り越して、もうすぐ三茶の街に帰ってくる頃には、身体の疲れも忘れてひたすら自分のアイディアをどう具現化するか、夢中になって考え続けた。そして、ついにゴールデン街からモテアマスまで徒歩で帰り着くと、自分の部屋からノートを引っ張り出すや否や、誰もいないリビングで薄暗い明かりを頼りに無我夢中でこれまでのアイディアを書き殴り始めた。
この時のアイディアノートが元になって、後にぼくはモテアマスで初めての自主企画「君たちはどうイキるか!?」を主催することになる。もちろん、タイトルは某ジ◯リ映画のパクリである。
主要メンバーはぼくとT君、それに、たまたま企画会議の場(リビング)にいたK君の三人である。
まずはぼくから、企画の概要と主要ターゲット、コストについてCanvaでまとめたスライドを見せつつ二人に説明し、それについて壁打ち、フィードバックをもらうことにした。
T君はかなり気に入ってくれたようで「やりましょう! 何なら、告知画像作りますよ」と乗り気になってくれた。一方、K君は無理やり巻き込まれてしまったせいもあり若干乗り気ではない顔をしながらも「そもそも「どうぞ、イキってください」って言われてイキるもんじゃないねんな」「イキってる奴ってさ、何か独特のキモさがあんねん。そのキモさを突き詰めないとイキってることにならんわけよ」と的確なフィードバックをくれる。
ぼくは二人の話を総合しつつ、この線ではどうか、これとコラボしてみたらワンチャン企画として成立するんじゃないかなどアイディアを出し、打診するを繰り返した。何度もリビングで企画の話をしているうちに他の住人たちも徐々に興味を持ち始め、頼んでなくとも色々フィードバックを貰えるようになってきた。
最終的に、屋台イベントとコラボで実行することが決定した。モテアマスには住民たちがDIYで作った屋台がある。かつてはラジオ配信企画などでちょくちょく活用されていたようだが、ここ数年は渋谷の1000BANCHでのイベントやグットニート養成講座の企画くらいでしか稼働しておらず、文字通り持て余している状態であった。最近になってU君が美味しい料理とお酒を振る舞うイベントをモテアマス前で毎月定期的に開催することでにわかに屋台が活用され始めたので、それとのコラボ企画にどうかという話になり、U君に趣旨を話したところ快く承諾してくれたお陰で、何とか実現に漕ぎ着けることが出来た。
コンテンツの内容は一言で言うと「自慢コンペゲーム」である。まず、三人〜五人程度のプレイヤーとそれ以外の観客に分かれる。各プレイヤーに与えられた時間は五分間。その五分の間で、とっておきかつとびっきりの自慢話を延々としてもらう。しかも、嘘、作り話はオッケーとする。ただし、明らかにバレバレの嘘はオモんないと言う理由で高得点になりにくい。なるべくナチュラルに嘘も織り交ぜつつ、出来る限り背伸びをして自分を大きく見せる努力をしてもらう。観客は全プレイヤーの自慢話を聞いて、誰が一番イキっているかを投票する。一番票を集めたプレイヤーが勝利。敗者はテキーラショット強制一気飲み。もちろん、テストプレイはリビングで何回も試みたが、やってみるとこれが中々にエグい競技で、若干しどろもどろになっただけでも即テキーラの餌食になるわ、後半になればなるほど嘘がインフレを起こすわ、話のインパクトもそうだがどちらかというと全体で見た時の物語としての完成度や説得力も試されるわで、シンプルなようでいてゲームとしてはかなり難易度が高い。しかも、自慢話のテンションは観客の盛り上がり具合にかなり左右される。
その点、屋台イベントとのコラボは蓋を開けてみると中々に丁度良かった。美味しいご飯とお酒でテンションがまずまず上がっているところにこのゲームを吹っかけると、まるでブーストがかかったかのようにやおら場が盛り上がりを見せるのだった。しかも、何回戦かやって若干飲み過ぎたり悪酔いする人が出始めた頃が一番盛り上がる。まさに、飲みの場を温めるツールとして丁度良かったのである。このことに気付いた時、あたかもひのきの棒で毎日戦っていたらうっかり敵のドロップアイテムでエクスカリバーを入手してしまったかのような、とにかくとんでもなく強力な何かを偶然にも生み出して、手にしてしまったことを感じて、我ながら企画した自分のことを末恐ろしく感じてしまったものだった。
それからの「君たちはどうイキるか!?」は、出されたお題を元に自慢話を展開してもらう、サイコロを振って出た目の数だけ自慢話のネタを用意して話す、一番オモんなかった惨敗者はテキーラ三杯など、乱暴かつ凶悪なルール改変をどんどん重ねていくことになるが、それでも刺さる人には刺さるらしく、回数を重ねるうちにいつしか参加者が十人程度はコンスタントに集まる企画へと成長を遂げていったのであった。
ぼくもイベント開催レポートをnote記事にしてくれと依頼された辺りからますます調子に乗り始め、「天才」とデカデカと描かれたTシャツ他ネタの多い服装で参戦する、事あるごとに「天才ですから」とドヤ顔をする、「いいね! イキってるよ!」「よっ、キモいね!」など他の人をイジったり茶化したりする掛け声を発明するなど、参加してくれた皆が笑顔になってくれるようなことを積極的に行動に移すようになった。そうして、自ら企画を立案して場を用意するだけじゃなく、雰囲気を和ませたり笑いを取ったりして場を盛り上げていくことの面白さに、この頃から本気でのめり込むようになっていく。
ある日のこと、モテアマスのリビングで五回目の「君たちはどうイキるか!?」を深夜に開催した時のことだった。
普段はイキってもイキり足りない血気盛んな男子のみでプレイヤーが構成されることが続いてきた歴史が、この日突如として変わった。
そう、ついに女子のプレイヤーが現れたのである。彼女の愛称はりんごちゃん。名前の由来は、彼女がぶっ込んできた自慢話である「椎名林檎が好きすぎるあまり、セルフプレジャーに使うバイブのコントロールを彼女の曲のテンポと音量に合わせて振動するように魔改造してやった」というネタに由来する。中々にスタイルのいい可愛い女子であること、その見た目に反してダイナマイト級の際どいネタをいきなり投下出来てしまうギャップとセンス、そして何より、どこまでが本当でどこまで嘘なのか分からないけど何というか、興奮しちゃうよね! といった具合でその場にいたモテアマ男子たち全員のハートをガッチリと掴んでしまった功績が買われ、第五回大会が終わるや否やりんごちゃんを即入居させようというプロジェクトが急遽発足する事態となった。ぼくは成り行きでプロジェクトリーダーに任命されることになり、とにかくLINEを聞き出せ、まずはファッション住民に勧誘しようと口うるさく言う男子たちに押し出されるように、彼女の隣で接待をすることになった。
今でも鮮明に覚えているが、ぼくはガッチガチに緊張していた。りょうさんとの一件で植え付けられたトラウマがまだ癒えておらず、わざわざぼくの企画を目当てに来てくれたという前情報をゲットしていたとはいえ、ゲストであるりんごちゃんに下手なことは言えないとビクビクしていた。とりあえず、目の前にあったのりしおポテチを食べて泥酔だけは避けようとするも、口の中はすぐにカラカラになるわ、惨敗者としてテキーラ五杯飲まされたせいもあってか味がよく分からないわで、全くもって情けない状態には変わりなかった。とりあえず、当たり障りのない質問から切り出そうと言い聞かせて
「ええと、モテアマスのことは、その、どうやってお知りになったんでしょうかね」
とぎこちない敬語で話しかけてみた。
「え、ジョージさんのnote記事読んだのがきっかけですよ」
は? ぼくの記事? 信じられなかった。こんなところに、ぼくの記事を読んでわざわざモテアマスに来たいと思う女子がいるなんて。何という物好き……いや、有難い、本当に有難い人だ。でも、これも嘘かもしれないしとかぐるぐるしていると、彼女は続けて
「あたし、ジョージさんのファンなんです。何と言うか、ガンギマってる感じのテンションの文章が前からすごく好きで、今回の企画も前々から絶対面白いことになるって期待してたから、今日こそは絶対行こうって思ってお邪魔してみたんですけど」
と言ってくる。ダメだ。全く頭が追いつかない。こんなことあるんか。宇宙の法則が歪んでしまったのか。それともこれは夢の中なのか。呆気に取られて、
「マジっすか?」
と警戒心丸出しで尋ねてしまった。
「はい。マジのマジです」
そうはっきりと応えるりんごちゃんに、ぼくの理性はもはや崩壊寸前だった。これってニアリーイコール愛の告白じゃね?
いや、いかん、いかんいかんいかん。浮かれるなぼく。こんなことで浮かれてちゃ、絶対良くないことをまたしでかすぞ。平常心、平常心だ、と言い聞かせるぼくの心を知ってか知らずかりんごちゃんは
「グラスあります?」
と更に飲ませようとする。
「いや、お酒はもう大丈夫です」
「オッケーです。じゃ、テキーラ入れちゃいましょうね」
鬼かこの女。よく分かってらっしゃる。いやいやいや違う違う違う全然分かってへんやんけ! そんでもってスッと出されてきたテキーラ、ジョッキにたっぷり入っとるがな! アカンて!
「お酒、強いんですか?」
「いや、全然強くないっすけど」
「飲みましょう」
「いや、明らかにアカンっしょ!」
「じゃあ、あたしが飲みますね」
そう言ってクイッと半分くらい飲んでしまう。すげぇ……
いや、違う。違うぞジョージ。
こんな時こそイキらな、男が、いや漢が廃る!
「分かった、飲む、ジョージ、飲みます!」
とノリで叫んだ。はい、じゃあ飲んでね、と差し出されたグラスは、よくよく考えれば間接キスだったが、もはやそんなことは考えられなかった。りんごちゃんからグラスを受け取ると、ぼくも一気にグラスを傾ける。
味がしなかった。いや、正確には、テキーラの味ではなかった。
それは水だった。
これって、と呆然として言いかけた後で、りんごちゃんはケラケラ笑いながら
「引っかかった、引っかかったー!」
と嬉しそうに手を叩いている。そんな彼女を見つめながら、今度はしっかり、彼女の口をつけたであろう箇所に唇を重ねて飲み干した。
自信なんか持てなくたって、時々神様仏様は軽くイタズラを仕掛ける感じのノリで、ぼくに甘酸っぱい思い出を用意してくれることだってある。
6
21:19 りんごがトークに参加しました。
カズキタ「きた!」21:20
カズキタ「@りんご 入居ありがとうございます!! 長めの自己紹介よろしくです!!」21:21
りんご「りんごです。皆さんの期待に応えて? ファッション住民になりました。
普段はカードゲーム作ってる会社でそこら辺によく居るOLやってます。
モテアマスのnoteはちょくちょく楽しく読ませていただいていて、毎回皆さんの素敵な記事を読ませてもらえるのを楽しみにしています。
とりあえず、お酒飲んでワイワイするの大好きなので、また飲みましょー!」21:43
G「@ジョージ・ハリセン」21:44
G「セッティングはよ」21:45
ジョージ・ハリセン「やかましわw」21:50
ぼくとりんごちゃんの距離が縮まるのに、そんなに時間は掛からなかった。
りんごちゃんのファッション住民入居と同時期くらいに、ちょうどセキララカードという、恋愛や性をカジュアルに語れるようなカードゲームを開発している団体がモテアマスでテストプレイをするという会が開かれようとしていた。誘ってみたら案の定ノリノリで参加表明してくれて、結果的に見事にマッチしたのかりんごちゃん自ら開発メンバーと積極的にコンタクトを取って、気付けばテストプレイ後間もなくして一般販売に向けてぐんと背中を押していくポジションに就いていた。ぼくもテストプレイを一緒にする中で恋愛や性に対する理解が深まったし、常識に囚われていた自分自身に気付くきっかけをもらった。何より、好きな相手のことをゲームを通してそれとなく知れるというのは、とても嬉しいものだ。
程なくして、りんごちゃんの方からお出かけのお誘いがあった。久しぶりに髪を切りに行ったし、ぼうぼうに生えていた髭は綺麗さっぱり剃った。週末に渋谷で待ち合わせをしていると、駅の入り口から彼女が手を振って歩いてくるのが見えた。青く染めたショートボブの髪が揺れている。あまりにも可憐な姿に変身していたのを見て、ぼくの胸の鼓動が最高潮に高まったのは言うまでも無い。
おまけに、次の週には業務委託で、とある街づくり会社が運営している施設のスタッフの仕事が最終面接まで進んでいた。モテアマス住民経由のコネと言えばコネなのだが、前職でかなりハードな思いをしたとはいえ街づくり系の仕事に携わりたいという夢だけは捨てきれなかったぼくにとって、仕事を紹介してもらった時は、今度こそ必ず役に立って見せたいという強い思いが湧いてきたものだった。
果たして、最終面接は事前に聞いていた通り、会社の代表の人と一対一の面接だった。もっとも、実は代表とはモテアマスで何度かお会いしており、それなりに顔馴染みだったこともあって、当日は割りかしリラックスした気持ちで自分の思いを伝えることができた。程なくして採用通知が届き、ぼくは亀有にある施設に配属されることが決定する。
全て順調だった。りんごちゃんといる楽しい時間も、亀有の新しい職場での仕事も、何もかもが新鮮で、あらゆるものが輝いて見えた。モテアマスももうすぐ七周年を迎えようとしており、ファッション住民LINEは周年祭に向けた準備で盛り上がっていく。
ぼくも周年祭に向けて一本企画を用意した。その名も「イキり婚」。自慢コンペゲーム「君たちはどうイキるか!?」を五対五の合コンにおいて男女それぞれプレイする。つまり、男子五人がプレイヤーの時は女子が観客になり、女子五人がプレイヤーの時は男子が観客に回るということだ。そして、イキる姿にキュンと来た意中の相手にはピンク色のリキュールで染めたテキーラを送る。送ったテキーラを相手が飲んでくれたら晴れてマッチング成立という、全くこれまでにない合コン企画である。
十一月に入ると、イキり婚の面子の調整や会場となる部屋の確保や掃除、小道具の買い出しなどいよいよ忙しく準備に追われるようになる。りんごちゃんは企画の段階からぼくのことを応援してくれて、お酒の買い出しや円滑なルール設計など手が回りきらないところをうまくフォローしてくれるし、亀有の施設のメンバーもこんな企画を今度やるんだと話すと面白がってくれて、それ今度ウチでもやりましょ、報告待ってるから絶対成功させてね、と笑顔でエールを送ってくれるのだった。
そして、二〇二三年十一月二三日、いよいよ周年祭当日を迎える。
おでんやタコスといった次々に出てくる美味しい料理に舌鼓を打ち、毎時間何かしらオモロい企画・催しが開かれながらも、まったりゴロゴロしていい時間も適度にある、そんな最高にバカでゆるい祭りだった。この日に合わせてわざわざ遠方からやってきたという元住人やファッション住民も多く、ただでさえ物で溢れかえったリビングは人でも更に溢れかえってギチギチになっていた。
ちなみに、イキり婚は顔見知りの住民に声を掛けて何とか五対五の人数が揃い、十七時頃に滞りなく開催された。企画を経てその後実際にカップルとして関係が発展したかどうかは正直割とどうでもよかったりするのではあるが、ほんのりとでも人の恋路のサポートをする役に回れた体験は、なかなかに得難いものだったと言っておこう。
そして、最後を飾ったのはサイレントディスコだった。わざわざ横浜から機材を運び、無線でDJ機器と接続された複数台のヘッドホンを通してぼくたちはひたすらノリの良い音楽に揺られた。それでいて、時々ヘッドホンを外して周りを見渡してみると、ただただ静かに揺れていたと思えば突然歌詞の復唱と思われる叫び声を上げたりしているだけの、至っていつも通りに近いデシベルの静寂を保っているのだから、何ともサイレントディスコは不思議な体験だった。
そして音楽の最後に、カズキタさんがマイクを取る。ここまでお疲れ様でした! という労いと共に、DJをしてくれたAさん、集まってくれた住民の皆、企画を運営してくれたそれぞれのメンバー……とにかくここまで関わってくれた人全てに感謝の拍手を送り合った。その中に
「イキり婚企画してくれたジョージに拍手!」
の掛け声もあって、ぼくは嬉しさと感動で若干泣きそうになる。
しかし、感動に浸っている間もなく、そのすぐ後に突如としてカズキタさんの口から衝撃の重大発表がなされた。
「はい、えー今日はですね、七周年なんですけど、皆さんに大事なお知らせがあって、もう(大家である)ポールは酔い潰れちゃったんですけど、大事なお知らせがあって、発表します。モテアマスは……
来年の十月で終わります」
えー!? という叫び声。続けて、なんで? マジ? ウソだろ? という囁き声。色んな声が飛び交った。
そんな中、ただ一人けん兄だけは「からの? かーらーのー?」とカズキタさんから尚も言葉を引き出そうとウザ絡みを仕掛ける。ぼくには何となくその気持ちが分かった。その場にいる誰一人として、とうとうモテアマスが無くなる日が来るなんて信じられなかった。信じたくなかった。嘘だと、冗談だと、フェイクニュースだと言って欲しかった。
しかし、カズキタさんはけん兄の執拗な絡みで態度を変えるようなことはなく、
「からの、はねぇ、ちょっと皆で考えたいと思ってるんで、ちょっとまた話しましょう」
とだけ返した。その言葉が決定打だった。その場にいる人は瞬時に、いよいよモテアマスが終わる日が本当に来てしまうことを納得せざるを得なかった。なぜなら基本放任主義だけど住民に対する思いやりと愛は深いカズキタさんが「皆で考えましょう」と呼びかける時は、だいたい嘘や適当なことで誤魔化すことを排して、住民全員にちゃんと真剣に受け取ってほしいと伝えたい時だからだ。
ぼくはしばらく呆然としていた。今まさに最高に盛り上がっているこの場所が来年の今頃には無くなっているという実感が全く湧かなかった。
とりあえず、煙草が吸いたくなった。入り口に出来た靴の山から何とか自分のスリッパを見つけ出して外へ出ると、けん兄が丁度煙草を燻らせていた。
「ジョージ、とうとう俺たちのモテアマスが無くなっちゃうんだぜ。信じられないよな」
あぁ、そうだね、と言ってぼくも煙草に火を付ける。それなりに着込んだつもりだったけど、深夜十二時の喫煙所はやけに風が冷たく感じた。ぼくもけん兄もしばらく一言も発することが出来ないまま、煙草を一本灰にした。
「懐かしいなぁ。ジョージがモバイルハウス住んでた頃にさ、煙草吸ってるお前見てなんか寂しそうだなって思って、奴隷部屋に住まない? 何なら奴隷にならない? って俺が誘ったんだよな」
「そんなこともあったね。ついこないだみたいだ」
「そういえばさ、あの後俺がラーメン奢るっつって一緒に出かけた時にさ、何か言いたそうにしてたことあったけど、あれ結局何だったん?」
「よく覚えてるね」
「いや、何となく今まで聞きそびれてたから、そういえば何だったのかなーって気になってさ」
「本当に、大したことじゃないよ。
一緒に暮らすって、疲れること多いじゃん。ストレスも半端ないし、喧嘩もするし。別にぼくらはさ、血が繋がってるわけじゃないから、無理して一緒に暮らさなくたって、別に構わないのにさ……
でも、ふと思ったんだ。それでも何でぼくら、一緒に暮らそうとしてるんだろうなって。言いたかったのは、それだけなんだよ。
でもさ、今になって、こうしてモテアマスが終わるって話になってるのにさ、誰一人としてモテアマスを終わらせたくないって、必死になってんだよ。
こんなの、普通ないよ。家族で過ごしてたって、いつかは終わりが来るのにさ」
「そうだな、俺たち、いつの間にか家族以上の何かになってたんだろうな」
そう言ってまたけん兄は二本目の煙草を咥えて火をつける。
「何だっけ、俺らが一緒に暮らしている理由とか、そんな感じのこと?」
「うん、まぁ、そんな感じなのかな」
「俺はさ」けん兄は煙を長く吐いてから、続けて「そんなこと、正直考えたこともなかったなぁ」と言ってチェアの背もたれに寄りかかった。
「毎日楽しいことばっかでさ。
ウザいやつとか、こいつマジクソだなって思うやつももちろんいないわけじゃないけど、何だかんだでそういう奴らとの付き合いも、今になってみれば俺の器をより大きくしてくれたっていうかさ、結果的に俺の人生の糧になってるわけだからさ、そう考えると何一つここで起こったことに無駄はないんだよ。
でも、ジョージはそうじゃなかったんだろう。
何でこんな嫌なやつと一緒なんだとか、こいつといると疲れるのに何で誰も出てけって言わないのかとか、そういうことばっか考えながらモテアマスに住んでた、ってことだろう。
それはさ、今でもぶっちゃけそう思ってるわけ?」
「うーん、正直、分からない」咄嗟に口から出てきたのは、そういう応えだった。
「でも、確かに言えることがあるとしたら、もしこいつ嫌な奴だから一緒に住まないようにしようとか、こいつ疲れるから追い出そうぜとか、モテアマスがそんなシェアハウスだったら、多分真っ先に住めなくなって追い出されているのは、ぼくの方だったと思うな」
けん兄は笑って「いいじゃん。それが答えだよ、ジョージ」と褒めてくれた。
「ここにいる奴ら全員、どんな奴とも一緒に住める自信があってモテアマスに来てる奴らじゃないんだよ。むしろ、どこにも安心して住めなくて、どのコミュニティからもあぶれちゃって、行き場をなくしたような人間がさ、モテアマスに来て、カズキタさんに救われて、俺ら住民と馬鹿みたいに騒いでさ。
たとえ家族と一緒に住んでたってしんどいことは山ほどあるだろ。一人暮らしだって寂しいことやつらいことは山ほどあるよなぁ。
そんな奴らがさ……最初は傷の舐め合いだっていいさ。一緒に集まって暮らして、イキり散らしたり喧嘩したりしたって、最後は酒飲んで笑い合ってるうちにさ、嫌なことは全部忘れて、また馬鹿なことを思いついて、猿みたいにハマって、飽きて、また喧嘩してモメて、仲直りして……俺たちの暮らしなんてそんなことの繰り返しだったじゃんか。
俺はここにいるだけで何でも楽しかったよ。俺の家も大概クソみたいな親だったし、ここに来る前は仕事もうまくいってなかったしさ。ジョージだってそうだったろ。俺だって同じなんだよ。
モテアマスのお陰で、俺は嫌だったこと全部忘れられた。
忘れちまっていいんだって思えた。
こいつらと一生馬鹿やってたら何の心配もないって心の底から思えた。
でも、そんな日々だっていつかは終わるんだよ、ジョージ。
だから、お前も全部忘れろよ。
嫌なことなんか、振り返んな! 全部忘れろ!
モテアマスが三茶から無くなったって、俺たちが生き延びて、つながって、何事もなかったかのようにまた馬鹿やって笑い合っていたら、俺たちの勝ちなんだ!
ジョージ、俺は一生お前の味方だからな!」
けん兄がそう熱く語っているのを聞きながら、ぼくの目からは涙が止まらなくなっていた。ここで出会えた仲間は、本当に、本当にかけがえのないものだ。引きこもっている時も、イキり散らしている時も、いつもその奥にいる等身大の弱い自分をちゃんと観てくれて、その自分に届く声を、想いを、気遣いを、かけてくれる。しかも、何の見返りも求めずに。
「おい、泣くなよ、ジョージ。イキってるお前はどうしたんだよ」
そう言いながらもけん兄の声は震えている。涙腺から涙が溢れて頬を伝うや、彼もまた大泣きに泣き始めた。
「ぼく、もっとみんなとイキっていたいよ」
泣きじゃくりながらやっと心の底にしまっていた本音を吐き出せた。そんなぼくの言葉にけん兄は笑いながら応える。
「馬鹿じゃねぇの。まだあと一年くらいあるんだ。まだ終わってねぇよ。最後の最後まで、俺たちイキリ散らしてようぜ」
7
こうして、モテアマス爆破のカウントダウンが始まった。
「爆破」と言っても、誰もが想像するダイナマイトで建物ごと破壊するというのは合同会社モテアソブが流しているフェイクニュースであって、その実態は各部屋の清掃、奴隷部屋やモバイルハウスなどの製作物や家具・家電類の撤去、および住人の完全解散……要は建物丸ごと退去するのでせめて綺麗にしましょうね、ということである。
当然、問題になるのは現住人の次の引っ越し先である。こういうこともあろうかと、カズキタさんたちは既に次の移住先の物件探しを着実に進めており、大部分の住人は同じ世田谷区内の上馬にあるアーバンジャングルへと引っ越し、引き続きシェアハウス暮らしを続けていくことになる。
さてぼくはというと、結局職場が亀有なので、世田谷区の三軒茶屋なんかに住まずに葛飾区や足立区、あるいは千葉に出て松戸や柏に引っ越す方が色々と都合がいい。実際、亀有に就職が決まった瞬間から次の移住先を探していた。ぼくの場合、問題は次もシェアハウスに住むか、それとも単身アパート暮らしをするか、どの選択肢を選ぶかという点だった。
引越しの荷物自体は、モテアマスにいる間にだいぶ整理したり紛失したり壊れてしまったりしたお陰で、越してきた当初よりもかなり量は減っていた。また、職場から与えられる報酬もまずまずの金額だったので、引越しにかかるお金や敷礼金さえ抑えることが出来れば大体どんな場所でも引っ越して生活を始めることが出来た。
だから荷物量や金銭面に関しては正直悩んでも仕方なくて、どちらかと言うと悩みの種は、りんごちゃんとの距離だった。
実は、周年祭の直前までほぼ週一くらいで一緒にお出かけしていながら、またLINEでも毎日とは言わないまでもそれなりの頻度でしょっちゅうやり取りをしていながら、まだ、手をつないでいない。
ぼくとしては、彼女が髪型をショートボブに変えた時点で、この恋はきっと両思いになるはずだという確信があった。話していてとても楽しいし、これから先の将来について話すこともない訳ではない程度には、距離は縮まっていた。
周年祭にも顔を出してくれて、一緒にイキり婚のセッティングを手伝ってくれたし、流石にサイレントディスコまでは居られなかったが夜ご飯を一緒に食べるくらいまでは残ってくれた。
となると、手をつないでくれない理由はモテアマス内で恋敵がいるとか、別で既に付き合っている人がいるとか、そういう事なのかと思いきや、どうもそうではないらしい。実際に、二人きりの時に「付き合っている人はいないの?」と勇気を出して聞いてみたら、こないだパートナーと別れて三ヶ月くらい経つと答えていたし、「じゃあ、他のモテアマス男子から告られたりとかもしてない?」と聞いてみても、今のところ付き合いたい人はいないという答えが返ってくるだけだった。
そう、とてもじれったいのである。お互い人間として相手を好きであることは間違いなくて、もう一歩、性的対象として、あるいは長期のパートナーとして見てくれるかどうかなのである。あともう少しぼくに勇気といい感じのきっかけさえあれば、叶う恋かもしれないのだ。
そんなことを思い悩みながら、勉強部屋でいい条件の物件探しをしては結局パタリとパソコンを閉じて、ため息をつく日々が続いた。
周年祭以降のモテアマスは、相変わらず周年祭以前と変わらない日常が繰り返され、イキり合いも馬鹿騒ぎも相変わらず続いていた。ただ一つだけ大きな変化があったとすれば、例えばゲストがたまたまモテアマスに来てくれた時の紹介で「ここまだ住民募集してるんすよ」とか「ファッション住民もあるんでよかったら是非」の後に続けて、「でも、来年の十月でここ、終わっちゃうんですけどね」が続いてしまうことだった。ぼくはその変化を、たまらなく寂しく感じてしまう。いつか終わりが来るその日まで、イキり続けようぜ! と誓い合ったけん兄も色んな事情によりぼくより先に地方に引っ越すことが決まってしまい、それからというもの、余計寂しさを隠しきれなくなった。
モテアマスにこれまで同様ズブズブ依存しているわけにはいかない、それは痛いほどよく理解していた。なのにまだ、ぼくはモテアマスではない次の暮らしを選択しあぐねている。そんな自分が、とても情けなかった。
ある日のこと、どうしようもない寂しさに我慢できなくなったぼくは、意を決してりんごちゃんをモテアマスに呼ぶことにした。さして片付けるものも無いくせに、部屋の片付けを手伝って欲しいという見せかけの口実まで念の為用意していたが、結局ストレートに顔を見せて欲しいとお願いしたらすぐに返信をくれたし、すぐに会いたいとまで言ってくれた。
りんごちゃんがやって来るまで、ぼくはいてもたってもいられず外で待ち続けた。煙草を巻いては吸いを繰り返しながら、彼女の姿を恋しく思う気持ちが降り積もる雪のように募っていくのを感じた。
三十分くらい待ってようやく、パーキングの角から彼女の姿が見えた。ぼくが手を振ると、彼女も駆け足でぼくの方に走ってくる。
「ごめん、急に呼び出しちゃって」
「ううん、全然。それより、モテアマスなくなっちゃうってホントなんだね」
うん、と応えてうなだれる。周年祭でのカズキタさんの重大発表を後から知ったファッション住民が問い合わせで直接やって来ることがちらほらあったから慣れてはいたけど、やっぱりつらいものはつらい。
「来年の十月だからまだ時間はあるけど、その前にぼくも今の部屋を引き払わないといけなくてさ。
でも、全然準備進まないんだよ。正直、ぼく一人じゃどうにも前に進めなくて、それでりんごちゃん呼んだんだ。
その、迷惑だったかな」
りんごちゃんは笑って、
「へぇ、普通に人を頼るとか、出来るんだね、ジョージって」
と言って、ビール瓶ケースをひっくり返しただけの椅子に座る。そして、ぼくに手を伸ばしておねだりする。
「ちょーだい、煙草」
「りんごちゃんが吸うもんじゃないよ」
「なんで? ジョージが吸ってるのにあたしが吸っちゃダメかな」
「……一本だけだよ」
そう言って煙草を巻いて渡す。
「メンソール入ってるから結構キツいかも」
「ん、いい」
そう言ってぼくが貸したライターで火を付けて、吸う。
あまりにも様になっているもんだから「ひょっとして、初めてじゃない?」と聞いてみたら「うん、元彼が吸ってたの貰って昔よく吸ってた」と言う。
「ねぇ、ジョージってさ、時々どっかにいなくなる時あるよね。その時はいつもここにいるの?」
「そうだね、煙草吸いに外出る時はあるかな。結構ヘビースモーカーなんだよ」
そうなんだ、と呟いてから、長く煙を吐く。その様子が、なんだかけん兄の吸い方とオーバーラップしているような錯覚を覚えて、どういう訳か切なくなる。
「何でもない時はずっとこの景色眺めてたんだね、ジョージって」
改めてぼくは、夜の喫煙所の風景をじっくり眺めてみる。イベントのチラシや無数の謎のステッカーが貼られている入り口のドア。そのドアの下半分の、派手にバッキリ入ったヒビ割れ。誰が使っているのかよく分からないアイカサ。外に放置され過ぎて色が褪せた赤の冷蔵庫には、黒いテープで「モ」の字が象られている。勉強部屋の窓から差し込むオレンジの光。無造作に並ぶLOOP。奥には流木で作られた後光に彩られた大仏が静かに鎮座している。今日は何だか、仄かに青白い光を放っているようだ。
「うん、そうだね」
ぼくも一本巻き終えて、火を付ける。吸い過ぎで若干舌の上がピリピリして痛かったけど、今の煙草の味には代え難かった。
おもむろに、りんごちゃんがぼくの隣に座ってくる。そして、ぼくの肩に頭を預けながら
「あたしさ、もっとジョージのこと知りたい」
と耳元にささやくように言った。
「……どうして、そう思うの?」
「ジョージはさ、あたしの本名知らないでしょ?」
そう言えば、いつもりんごちゃんとばかり呼んできたから、気にしたこともなかった。「知りたいと思わない?」と聞いてくるから「そりゃ、教えてくれるなら知りたいよ」と応える。
「それと一緒。ジョージのことあたしに教えてくれたら、あたしも本名教えてあげる」
「そっか、じゃあどこから話そうかな……」と言葉を探りながら、子どもの頃の自分のことだったり、モテアマスに来たきっかけの話だったり、モテアマスで何をして暮らしてきたかだったり、ざっくばらんに話をして聞かせた。りんごちゃんは頭を尚もぼくの肩に預けながら満足そうに聞いている様子だった。
とりあえず話せるだけ話し終えると、ぼくも疲れて、彼女の身体にぼくの身体を少し預けた。空気は肌寒さを増していたけれど、りんごちゃんの着ている赤のウールコート越しに体温を感じていると、どんなに寒くなったって凌いでいけそうな気さえして来るのだった。
「手、握っていい?」
「いいよ」
何でもないことのように、手を握ってくれた。これまで味わったことのない何か柔らかな感情がじんわりと込み上げてくる。
「もう一つ、教えてほしいことがあるの」
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