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Gutto NEET Note 08

このnote記事は私のんXがグットニート養成講座を受講して得た学びをざっくばらんにアウトプットするだけの覚書である。

グットニート養成講座
https://goodneet.camp/

今回は、2023/09/01のなっちゃんさんの講座を受講した感想である。

今回の講師はなっちゃんことナツキムラタさんである。

なっちゃんさん。奥は上野くん(多分)

本業は美容師をしていて、5、6年前からモテアマスに出入りするようになったという。その関係でデザインの仕事もやるようになったそうな。
阿佐ヶ谷でシェアハウスもやっていて、管理人時代含めて5年続けているコミュニティー・オーガナイザーでもある。
私自身、お会いしてガッツリ話すのは今回が初めてなのでドキドキだったが、講義が始まると終始和やかな雰囲気で、優しくて気配りができる人のオーラを感じることができた。

今回は、なっちゃんさんが普段から気をつけていることをシェアしていただいた。
長くコミュニティにいると、嫌われる行動している人といるとしんどくなることが度重なってくるため、「どうせだったらいい人と思われる方が得」と思うようになったという。

今回の講座では「行動」と「外見」に分けて、いい人と思われるように自分をブランディングしていくコツを伝授していただいた。


「行動」をいい人ブランディングする

やらない善より、やる偽善

今回の講義で私が格言だと思った言葉だ。
たとえ「相手に好かれたい」という下心があって行動した行為だったとしても、それが結果的に相手に対して相手のためになったり感謝されたりして好意を抱いてもらえる結果につながるならば、ただ傍観者でいるよりはやった方がいい、ということ。

ちなみに私はというと、自分に対する評価として「偽善者」呼ばわりされたことが全くと言っていいほどない。
そもそも、人を「偽善者」と評価するような人の大概は性格や思想が捻じ曲がっている人だと思っている。そんなん、いちいち気にしてられへんし、という話である。私のんの辞書にも、偽善という言葉は無いか、あったとしても極端に使用頻度が低い。
その人が善だと思えば、偽善だろうが、まことの善だろうが、善は善なのだ。「相手に好かれたい」と思えることはどんな形であれいいことだと思っている。その点、善に関する自分の哲学・思想は割と素朴だと思う。逆に言えば、「相手に好かれたい」に様々な打算や欲求・願望がぐちゃぐちゃに絡みついて身動きが取れなくなったり、その姿を相手に見られて恥ずかしい思いをしたりした経験が薄いということでもあるのかもしれない。

偽善は、やり続ければ善

また、下心があってやり始めた善であっても、やり続けて信頼を得られてしまえばそれはもはや善、というのも学んだ。

最近、「継続は力なり」という言葉がだんだん好きになってきた。究極を言うと「継続こそが善なり」とも言えるのではないかと思うようになってきた。これは、子どもの頃には感じられなかったことだ。学校の先生がよく連絡通信のプリントに「継続は力なり」という言葉を好んで使うのを見て、うぜーなと思っていたものだった。
継続することの善は「いつも○○してくれる人」と周囲が認識してくれて、そういう人としてそれなりに扱ってくれるようになることにあると思う。いつも何か決まったGiveをしてくれたり、相手が飽きないように決まったGiveにも変化球をつけることが出来たりする人は、モテる。

余談だが、一方でそういった継続的な善を台無しにするものがあることにも注意を向けたいと思う。「いつも○○している人」の○○の中に、例えば「忙しそう」とか「怒りっぽい」とか「エラソー」だとか、最低なのは「暴力を振るう」が入ると、明らかにマイナスになる。とりわけ、物理的であれ言葉であれ性的なものであれ、たった一回の暴力は、例え千回一万回以上善を継続したとて、それを全部帳消しにして余りあるレベルでマイナスになる。
ここまで極端でなくとも、「相手に好かれよう」として継続的にGiveしているものが人を傷つけないレベルの(偽)善」なのか「ありがた迷惑」になってしまっているのか、自分でその都度反省できるようであると一番良いように思う。継続は「力」ではあるが、使い方を間違ったり相手との関係性を見誤れば、相手の力を奪ったり殺したりする「権力」あるいは「暴力」にもなる。

手間を惜しまない・お金を使う・時間を使う

  • 手間を惜しまず、自分から動く

  • 相手に変な期待をしない。見返りがあったらラッキーくらいに諦める

  • 自分の無理のない範囲で、価値があると思うものには適正なお金を払う

  • 好かれたいその人のためになるべく時間を使う

もう、これだけでも余計な解説を加えることがないほどGiverの精神を言い表していると思う。
ただ一方で、「見返りを求めない」というのは、考えてみればこれほど難しいこともない。自分のやった行為が何かしら未来において善い結果が出ることを、どうしても人は期待してしまうからである。
「見返りを求めない」人になるためのマインドセットとしては「人に全く期待しない」だけでなく「未来に全く期待しない」必要があるだろう。見返りが来る未来など待ってても来ないから期待するだけ無駄だと諦めるのだ。「人に全く期待しない」のは、人間関係のあやの中ではどうしても期待したくなる心の動きが起こるからある意味制御しようがない。けれども、「未来に全く期待しない」はそういうもんだと受け入れた瞬間に効果が発動する。何なら、そもそも未来なんか存在しないのだ。
「今」しか存在しない。
存在すらしない未来に何かを期待するよりは、在ることが多少感じられる「今」の瞬間に、手間を惜しまず、自ら善いと思ったことをただひたすら成すべく動くのみ、である。

加えて、Giverの精神に必要なのは、相手を思いやり、適正な敬意を払おうとする心だと感じた。これをと言い換えてもいい、と私は思う。
相手を思いやる心がないと、人は簡単にTakerになる。持ち去るだけ持ち去って、相手に何も与えない人になってしまう。
相手に正当な敬意(適正なお金だったり適正な時間とコスト)を払うことがなければ、どんなに周りの人と友好的に交わっているように外面上は見えても、その内実はただの狎(な)れ合い(※)になってしまう。
なぜか。
人間の与える愛には必ず色があり、音があり、形があるからであり、従って愛は必然的に目に見える具体的なもの・言葉・行為でしか表現しようがなく、加えてそこには社会的に決められた「適正な形」(=礼節)というものが存在するからである。意外に見落とされがちだし、「目に見えない愛」を強調したがる宗教家や哲学者も多いから余計混乱しやすいが、基本的に「目に見えない愛」などというものは人間には関係のない話くらいに思ってほしい。この文章を読んでいるあなたや私は、世界・宇宙レベルで見たら「目に見えない愛」に包まれているかもしれないが、あなたが誰かを愛そうとしてやっていることは全部目に見える形でしか表現できないし、そうじゃないと相手に伝わらないのだ。そこをまずは納得してほしい。
Giverの与えるGiveは必ず目に見えるGiveである。前回の上野くんの講義の「何かしてもらったお礼」としての「一杯おごる」もそうで、「ありがとうの気持ち」を強調すると一見目に見えないようではあるが「一杯(のお酒)」という形で目に見える形にしないと、そもそも気持ちがあっても相手には伝わらないのである。狎れ合いをよしとしている人たちにはそれが分からないし、狎れ合いをよしとしている人ほど「一杯おごるだなんてキザな真似はいらないよ〜」とか言って目に見える愛情・形として現れた礼節というものを馬鹿にするのである。
というか、「一杯おごるだなんてキザな真似はいらないよ〜」←これこそ正真正銘の偽善というべきではなかろうか?

だいぶ説教くさくなってしまったので、要点だけまとめよう。
感謝の気持ちや相手に対する好意は、積極的に具体的なもの・アクション・金額・時間という目に見える形にして、相手に伝えていこう! ということだ。
そして、具体的なアクションや金額や時間という形にして相手にGiveしようと努力していることに対して、周りから偽善だとか下心見え見えだとかどうこう言われたとしても、いちいち気にしなくていい。
うーむ、まとめとしてはちょっと、乱暴だったかもなぁ。

※「なれあい」を「馴れ合い」と書かずにわざわざ「狎れ合い」という難しい漢字を使うのには訳がある。
「狎」という字には「犬を飼いならす」という字義がある通り、支配関係を表す文字なのである。加えて、馴れ合いの元々の言葉の意味として、「利害を共にする同士が結託して、通常取るべきとされる手続きを踏まず、暗黙の合意の元に意思決定を行うこと」という意味があることと掛け合わせて、
「対等でない支配-被支配関係を結んだ上で、通常とるべき礼節を無視して、『暗黙の了解』という曖昧で姑息なやり口でもって、一方的に要求を飲ませようとし合う関係」を表現しての「狎れ合い」なのである。
実際、美容師をしているなっちゃんさん自身も「ねぇ、友達なんだからタダで髪切ってよ〜」と迫られたことがかつてあったようだが、これなんかは「友達だからってタダになると思うなよ」以前に関係として対等じゃないから言えるセリフであることに気をつけたい。「自分だから”特別”タダにしてくれる」とでも思っているのなら、相手を下に見ているか、余程の礼儀知らずか、どちらかであると判断するより他ないのである。

相手を知る

相手を知ることの重要性もなっちゃんさんは教えてくれた。手始めに、

  • 相手の好きな食べ物と嫌いな食べ物を3つくらい把握しておく

のはいいかもしれない、という話があった。
確かに、モテアマスで料理を振る舞うこともある身としては、把握しておきたい。

そもそも、相手への愛情は、「相手のことをもっと知りたい」から始まるものである。
好きな食べ物は? 嫌いな食べ物は? 好きな音楽のジャンルは? 「これを見ると元気になれる」お気に入りの映画は?……
相手への愛情と純粋な好奇心をもって質問しようとする時の質問は、奇をてらった面白さはないものの、奥ゆかしさと趣があるものだ。必ず背後に思いやりの心があって、例えば

  • 好きな食べ物は?

    • →次会うときは好きな料理を振る舞ってみよう!

  • 嫌いな食べ物は?

    • →今度一緒に何か食べに行く時は出来るだけ嫌いな食べ物がないお店にしよう!

  • 好きな音楽のジャンルは?

    • →家帰ったら私も聞いて、次会った時に感想を共有しよう!

  • 「これを見ると元気になれる」お気に入りの映画は?

    • →今度DVD借りて「一緒に観よ!」って誘ってみよう!

といった次のポジティブなアクションに開かれている質問になっている。

基本的に、相手と4〜6年、それ以上の年数の付き合いにもなれば「相手のネガティブ要素やマイナス要素をどう受け入れて、補ったり直すように注意したりしていくか」を考えざるを得なくなっていくものだが、1~3年のうちは「いかに相手のポジティブな要素を引き出して、知っていけるか」に注力した方が絶対に関係性は長続きするし、ポジティブなフィードバックがらせん状に積み重なって、だんだん好きになり合える関係性が築けるようになる。
「好きな食べ物は?」はその練習に丁度いい。好きな食べ物——例えばシュークリーム——を聞けたら、今度会った時にはちょっと高級なシュークリームを手土産にプレゼントしてみよう、というのもいいかもしれない。食べ物だから、お値段張ってもせいぜい2000円未満で済む場合が殆ど。もちろん、手作りもいいかもしれないが、なるべく相手に重たいと感じさせない程度に手頃なところで抑えておくのも大事なことだ。

自分のストレスにならない範囲で

と、色々なっちゃんさんの講義を振り返ってきたが、結局、自分に余裕がないと人の観察もできないし相手に興味すら湧かないし、結果的に相手に優しくなれないよね、という話であった。

自分に余裕をもつ、という話は、第5回目のるかさんの講義でも出てきた重要なキーワードである。

(note)

私は(投薬治療でだいぶ安定してきたものの)未だに双極性障害を抱えていて、それに苦しんでいる身として、その「自分に余裕を持つ」ということがなかなか出来ない。余裕を持とうとしても、気分に邪魔されたり、自覚できる理由が何もなしに気分がガンと落ちてしまったりして、気づけば余裕がなくなっていることの方が多かったりする。
そんな中でも、ライフハック的に色々試してみたことがあり、後半で「躁鬱を抱えていてもいい人でいられるために」という文章にしてまとめておいた。

結論を先に言うと、どんなにハイでも鬱の真っ只中でも「今日一日の自分をどう肯定してあげられるか」が余裕を生み出す源泉だと思っている。
「今日はベッドから一ミリも起き上がれなかった」日でも、一日ベッドの中にいながらにして何とか生きている状態を保てたなら、人前に出られるレベルではなかったとしても「何とか生きれたじゃん!!!」と自分を肯定していい。
もちろん、「今日は人前に出てたくさん活動しすぎて疲れた」のなら、「めっちゃたくさん頑張ったじゃん!!!」と自分を肯定していい。
この「何とか生きれたじゃん!!!」「めっちゃたくさん頑張ったじゃん!!!」を出来るだけ声に出して自分を抱きしめながら自分に対して伝えてあげると、自分への愛情が高まる。自分への愛情が高まっていくと、自ずから心が緩やかに解放されて、相手に対しても愛情を向けやすくなるのだ。これは、双極性障害を抱えていなくても、誰にとっても大事なことである。まず、自分が自分に対して「愛している」と伝えてあげること
自分に「愛しているよ」と、声にして伝えたり、自分を抱きしめたり、美味しいものを食べたり、好きな音楽に包まれたり……そうやって目に見える形で具体的に満たしてあげること
これを、気分が落ちている時はやれるだけやるし、気分が落ちてない時でもこまめにやること、これはマジでおすすめしたい。

その上で、気分が落ちているか、落ちていないかのパラメーターの一つの基準として活用できるのが、実は「外見」である。
逆に言えば、その人が今大丈夫なのか大丈夫じゃないのか、割と外見で判断されてしまうということがある、ということでもあるのだが、まずはなっちゃんさんの基準でいい人ブランディングで気にした方がいい「外見」について教えてもらった。

「外見」をいい人ブランディングする

清潔感を保つためには

まずは、清潔感を意識してもらうにあたって参考になる記事を紹介してもらった。

清潔感に関して徹底した調査をしているので私も参考になった。とりわけ、清潔感を意識するようになって良かったことを読むと、何だかこちらまで微笑ましくなる。

■“清潔感”を意識したことで変化したこと

・異性に意識されやすくなった、仕事での第一印象がよくなった(20代/会社員/大阪府)

・髭を脱毛した事で自信に繋がり、積極的に行動できるようになった(20代/会社員/青森県)

・自分に少し自信が持てるようになった。 見た目が若々しく見られるようになった(20代/会社員/福岡県)

・衣服の状態やコーディネートを意識するようになった(30代/パート・アルバイト/東京都)

・異性から好意的に接してもらえるようになった(30代/会社員/千葉県)

などの回答が寄せられました。

周りからの印象や対応の変化だけでなく、自身においても変化があり、どちらも好転していることが窺えます。

引用:https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000017.000079548.html

では、具体的にどう清潔感を意識するかということだが、なっちゃんさんが気を付ける項目として挙げたのは次の7項目だ。

  • 体臭

    • 食事

    • 服の管理

    • 香水選び

    • 日焼け止め

    • 基礎的なスキンケア

  • 体型

    • 痩せる必要はないが、手をかける努力をする

    • 自分のベストな体型を探る

    • 3ヶ月〜半年に一回は歯科検診

    • ホワイトニングは余裕があれば

    • 出来れば治療はセラミック

    • 好きな服を着ればいい

    • きちんと洗濯したり管理する

    • 自分に似合う髪型と好きな髪型

    • 正しくシャンプーする

    • 定期的にサロンへ行く

  • 生活環境

    • 部屋の匂い

    • ほこりなど

体臭ケアは以前の電話相談員の仕事でだいぶ指摘された。同僚として働いている人の中に嗅覚過敏の人がいたからだ。
ある時、夏に汗だくで出勤せざるを得ない時があったが、その出勤の後で「汗の匂いがきつかった」と言われたレベルで、嗅覚過敏の人にとっては汗のにおいすらキツいようなのだ。私を含め大概の人はそうではないのだが、その人に言われてからというものの、仕事に出る時、人前に出ると分かっている日の前には必ず身体を洗うようにした。身体を洗う石鹸やシャンプーはなるべく無香料のものを選ぶようにした。それでもダメなら汗ケア用品として無香料の汗拭きやエイトフォーを常備することも一時期考えた(やった方がベターとは思うが、未だに買っていない)。
だが結局のところ、体臭はその人の生活の全てが詰まっていると言ってもいい分野で、これから話すことも全ては体臭ケアのためと言っていい。無臭のつもりでも、実際は色々臭ってしまっている。食生活の見直しから、歯磨き、服の清潔さ、香水をつけるかつけないかも大事だが、結局その時の体調が臭いで出やすい。だから、結局はいつもベスト・コンディションでいられるように配慮するのが吉ということになる。

スキンケアも、一時期熱を入れていたが結局やめてしまっている。友達がPOLAで働いていた関係でスキンケアを始めて、一時期は毎朝毎晩、POLAの洗顔フォームで顔を洗った後、これまたPOLAの化粧水・乳液・クリームを塗って出かける、なんてことをしていたものだ。高い日焼け止めクリームも買った。なのに、結局その友達と会わなくなってしまってからやめてしまった。初っ端からブランド化粧品に手を出してしまったせいで、化粧水とクリームを切らしてしまったタイミングで、結局バカにならない金銭的コストのことを考えてしまって続かなかったのだ。日焼け止めクリームに至ってはほぼ1回も使っていない未使用状態のまま持て余している。

体型については、バディトレに通うようになってようやっと意識するようになった。以前から、腕力とスタミナと、何より体幹に筋肉がついてない、要するに上半身がダメダメなことは薄々感じていたが、バディトレのトレーニングで必ずと言っていいほど途中で挫折してしまうのも、主に上半身の筋肉を鍛えるトレーニングメニューの時なのだ。あと数年すれば中年Xになってしまうわけで、このままではぽっこりお腹、ぷよぷよお腹は避けることができない。

そして問題なのが、歯、である。意識しなさすぎて絶望的なレベルである。何しろ、歯磨きを毎日するようになったのが、34年生きてきた中でつい1週間前くらいのことだったからである。私の友人に暇さえあれば歯を磨くという人がいるが、そのレベルで歯磨きする友人がいなかったら、多分一生私はあんまり歯を磨かずに、歯周病を抱えながら生きていくことだったろう。そのくせ、歯科医の世話には滅多にならないまま中途半端にきてしまった。別に、虫歯になったとか親知らずが痛んだとか歯周病で歯がボロボロになって入れ歯が必要になったとか、そのレベルになった時にお世話になる場所ではあるかもしれないが、基本的にそうなったら手遅れなのである。定期的な歯科検診のために3ヶ月あるいは半年の頻度で通うのは大事なことだ。芸能人に限らず、人間、歯が命なのだから。噛めなくなったら急速に脳は劣化するし、人生の楽しみの大部分を失ってしまうわけなのだから。

服は基本的に好きな服を着ていればいいわけだが、問題なのが洗濯である。私はこまめに洗濯して、しわにならないように伸ばしてから干して、洗濯したものから基本的に袖を通すようにしているが、これを読んでいるあなたはどうだろうか。
また、なっちゃんさんの講義を受けてから改めてまたやり始めたのだが、洗濯物、あなたはたたんでますか?
洗濯物をたたむのは確かに、タルい。でも、私は好きである。
なぜなら、洗濯物をたたんでいる間は、不思議と心が落ち着くからである。心の整理になると言ってもいい。洗濯物をしっかりたたんで収納し終えると、タンスもすっきりするし、心も落ち着いているのである。取り出す時も丁寧に取り出そうとする習慣ができる。何より、たたむのが習慣になると、旅行に行く時荷物をかさばらせずにバッグやキャリーに収納する癖がつくから、結果旅上手になるのである。
その点、服に関しては私の場合、ある程度できている部分も多い。

髪も、基本的に身体を洗うときに必ず洗ってはいるものの、正しいシャンプーしてますか? と言われると、自信がない。
正しいシャンプーの仕方で検索すると、いろいろサイトが出てくる。

これなんかはだいぶ細かくレクチャーしてくれている。

ちゃんと頭皮を洗うということは割とこれまでも意識してきたことだからある程度はできている気がするが、改めて意識してみようと思う。
定期的にサロンに行くことも大事なことだ。私はお金がないのを理由に半年に一回の頻度でしかサロンを利用しない。いつもボウボウに伸びてから行く。本来なら「気になる部分のカットだけ」とか軽い理由で、もっとこまめに行くようにすればいいのだ。カットだけなら、良心的なところなら3,000円前後でしてくれるだろうし。うん、してくれるんじゃないかな。

生活環境も、結局体臭に影響する。部屋が散らかっていたり、最悪生ごみがまるまる放置されてたりとかする汚部屋の中にいると、どうしても体臭もスエた臭いがしてしまう。
部屋は定期的に掃除して、片付けよう。収納しきれないものは、断捨離しよう。全てはそこから。

躁鬱を抱えていてもいい人でいられるために

さて、ここまではなっちゃんさんから教わったことを私見も交えつつだがある程度整理を試みた。

ここからは、「そうは言っても、なかなか気分の波に邪魔されてうまくいかないよ」という人(主に自分)に向けてできることを考えていく。

なっちゃんさんの講義を聞いて「いや、それ当たり前だから」と言える人は、もう既に清潔感あふれる人だし、Giverとして場数を踏んで実績を上げられている人だからだと思う。相手に不快だと思われる要素を排除できている人であり、マイナスがない状態でGive(プラス)に徹することができている人なわけである。
双極性障害を抱えていると、そう簡単にことがうまく運ばない。なんなら毎日が何かしらのマイナスからスタートしている状態で一日が始まるからである。歯を磨けない、ひげを剃る気力がない、3食喉を通らない、スキンケアなんて夢のまた夢……。かと思えば、いきなり髪を染めたくなったり、服をフルコーデし直したくなったり、急にやってくる衝動を止められなくなったりもする。
そのような厄介な双極性障害と付き合っていくためには、そんな「ムラがある」自分の欠点を肯定的に個性と捉えていくのでない限り、なんとかする方法を自分で編み出していくしかない。

そこで、日課の見直しである。

モチベーション・ピラミット

図は「外見でマイナスを食らわないためにできることタスク」を付箋で貼り出したものである。これが日課の候補だ。後ろに三角形のピラミットが描かれているが、これはピラミットの頂点に行けば行くほど、多大なエネルギーコストがかかることを表している。
そこに、「ギリ人前に出られるライン」と「バッチリ自分らしさをアピールライン」を引く。
「ギリ人前に出られるライン」は、「これだけ確実に毎日やっておけば、人前に出ても恥ずかしくない(マイナスがない)」ラインを表す。そして、「バッチリ自分らしさをアピールライン」はこのラインを超えたら、「パブリックな場に堂々と出てもいいし、どんな場所でも戦える」ラインを示していると思ってもらっていい。
で、「ギリ人前に出られるライン」より下だけをとりあえずは日々の日課にすることからスタートするのである。加えて、全部を満遍なく完璧にできなくてもいいけど、これだけやっておけばラインを超えられる日課を一つだけ設定しておくのである。私の場合は「シャワーを浴びる」がそれに当たる。とりあえず、「シャワーさえ浴びておけば、人前に出られる」と思うようにすると、それ以外のさまざまな物事に対する心理的ハードルが下がるのだ。
これは私の実体験をもとにしている。布団の上で鬱々として動けなくて、身体はだるいし思考はぐるぐるして前に進めない時が、私にもある。というか、ほとんど毎日のようにある。そんな時、「起きてまず何をしようか?」を考えると、打開策が見出せることがある。そして、「起きてまず何をしようか?」「よし、シャワー浴びよう」と思って実際にシャワーを浴びると、ほとんどの確率でその後の行動がスルスルと前に進むのである。身体が清潔さを取り戻すと、思考も清潔さを取り戻すらしい。以来、落ち込んだり鬱から抜け出せなかったら、まずシャワーを浴びる、が私の大事なライフハックになった。
そして、「シャワーを浴びる」を中心にして、「ついで」で他の日課も構成していく。シャワーのついでに「髭を剃る」、シャワーのついでに「歯を磨く」、シャワーのついでに「スキンケア」、は割と簡単に組み合わせられそうだ。シャワー後は特に汗でベトベトの服を着たくないので、「新しい服に着替える」こともついでにしやすい。寝る前にシャワーを浴びるなら、シャワー浴びるついでに「スマホを充電」して、朝になるまで放置しておけば出かける頃にはフル充電されている、なんてことも実現可能だ。
ちなみに「決まった時間に起きる」「3食食べる」は「生命的にも社会的にも最低限生存できるライン」と考えてほしい。これを下回るようなら、いっそその日に入れていた予定も歯医者・サロンの予約も全てキャンセルにして、部屋の中でじっとしていたほうがいい。
で、大事なイベント(会社の面接・イベントの出展・デート)に備えるとなった時には、ちゃんとお金と時間のコストをかけて身なりを良くできるように「バッチリ自分らしさをアピールライン」を設けてそれを超えられるように期限を決めて努力するのが健全だ。私の場合は「サロンで髪を整える」をボーダーラインにした。とりあえず、髪だけでも整えておくと、他のあらゆるところ(服装だったり歯だったり化粧だったりアクセサリだったり)に目が行くようになるからである。
基本的に、大事なイベントは3ヶ月に1回あるかないか。その程度だと考えたとしても、サロンや歯医者には少なくとも3ヶ月に1回は通ったほうがいいことになる。もちろん、これらにかかるお金も固定費と考えて支出のコントロールができるようになるとなお良い。

さて、なっちゃんさんの講義を終えての感想は以上になる。
これも、スピンオフとして「ちゃんと実践したよ」という成果をnote記事として残しておいたほうがいい気がしてきた。
まずは

  • スキンケアを再開する

  • 部屋を掃除して断捨離する

  • 歯医者に行く

  • サロンで髪を整える

あたりから始めて、近日中に記事に書こうと思う。

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