Gutto NEET Note 02
前編はこちら↓
複数のコミュニティに属するということ
かずひろ君の講義の中で、複数のコミュニティに所属することのメリットの話があった。前編でも述べたが、私もかずひろ君も、特定の一つのコミュニティだけに属することをあまり好まない。むしろ多動的に複数のコミュニティに属しながら、時にはコミュニティをオーガナイズする側に回りながら、自身の仕事や活動をしている。
かずひろ君の講義を経て、私なりにだが改めて「複数のコミュニティに属する」ことの大事さについて考え直してみた。そして、考え直しつつも、自分自身の生き方の原体験となる出来事について振り返ってみた。
フッ軽であることは生存戦略である
世の中には「とにかく手を動かし、足を動かせ」という教えがある一方で、大半の人間はそこまでフットワークが軽くない。ある程度の満足が得られて、コスパもいい、特定の安定した場所にいつも通い続ける方がラクだからである。
だが、先ほども言ったように、その特定の安定した場所、コミュニティがいつもいつまでもそこにあり続けられるわけではない。基本的には自分の人生の寿命よりは短いと考えた方が良く(長くて、犬や猫の寿命と同じくらいと考えてみてはどうだろう)、長続きしたとしてもいつまでもそこのお世話になり続けられる保証などどこにもない。中には、自分のリソースや努力を注ぎ込んでコミュニティの存続に奔走する人ももちろんいるだろう。彼ら/彼女らの努力を私は馬鹿にしない。むしろ、私にはできない役割をしている人達だなぁと感じて、尊敬さえする。
だったら、私には私の出来る生存戦略を考えた方が得策だと考えるようになった。僧侶の仕事を辞めた後、ある程度自分で決めた場所に自由に行けるようになってきてからだった。既に30代に突入していた。決してまだ年老いてはいないが、体力にものを言わせてダッシュするというよりは、マラソン走のように長く続く道をゆっくりでも疲れすぎずに走り切ることを体力的にも意識せざるを得なくなってくる年齢になった。そのような年齢ではあるが、いつでもフットワーク軽く生きていきたいと思うようになった。出来るだけ身軽でいたい。持つべきものは最小限でいたい。憧れがないわけではないが、かといって何の考えもなしに下手にパートナーだとか、子供だとか、家庭だとかを持っていたくはない。私は流れる水だ。腐って澱んだらそこで私の命は終わってしまう。
流れ続ける水である私にとって、コミュニティは流れ着いた先の湖や池のようなものかもしれない。沢山の魚たちや水草たちと戯れながら過ごすひとときは私にとって癒しの時間でもあり、エネルギーを活性化させる時間でもあるが、時として苦痛や苦悩を伴う時間だったりもする。
だから、苦痛を感じた時には、あるいは苦痛を感じそうだと思った時から、いつでもその場から逃げ出せるようにしておく癖をコミュニティ・ホッピングの中で身につけてきた。私の場合、便利な武器として「タバコ」がある。特にもよおしている訳でもないのに「ちょっとトイレ行ってきます」は嘘をついている感があるが、「ちょっと一服してきます」はほとんど罪悪感がない。
私がコミュニティに溶け込んでいられる時間は、せいぜいタバコを一本吸い切るくらいの時間で丁度いいのかもしれない。吸い切ったら、次に行く。自分の中に常に流動性を確保し続けること。タバコを吸い終わるまでに、次の話題もしくは逃げる口実を探しておくこと。移動時間や引きこもる時間など、なるべく一人でいる時間を自分に用意しておくこと。
中学生の頃の原体験から
そう言えば、こんな話がある。私が中学に入りたての頃だ。
私の育った小学校は、複式学級もあるくらい全校生徒が少ない学校だった。今では廃校になっている。私の小学校同学年もせいぜい12人くらい。山がすぐそばにある、自然が豊かな立地の小学校だった。もちろんケンカやいじめがなかった訳ではなかったが、のんびりとした時間が流れていて、おいしい校内給食が食べられて、自然が放課後の遊び場だった。今考えれば、豊かな小学校時代を過ごすことができたと思う。市町村合併する前は村だった名残で、いまだに市の中心部に住む人を「街の人」「街の子」と呼んでいた。時々スポーツ少年団で「街の子」と絡むことがあったが、自分たちが預かっている空気感や時の流れと全然違う何かを、その子たちに感じることが多かった。
そこから中学に上がると、スクールバスで登校するようになり、「街の子」と共存しながら学校生活をしなければならなくなった。クラスメイトが一気に12人から38人くらいに増えた。学校給食からお弁当になった。隣近所の席の人と一緒にお弁当を食べなければいけなくなった。するとどうなったか。
私はお弁当を食べている最中にしょっちゅう嗚咽するようになってしまった。自分では急いで食べている訳でもなく、また母が作ってくれた弁当がまずい訳でもなく、何かを見て気持ち悪いと感じている訳でもないのに、嗚咽するようになった。
当時の私には原因が分からなかった。だが、こうして文章にして分析してみればわかるように、原因は明らかに自分にある訳でも、クラスメイトにある訳でもなく、環境の大きな変化に耐えられなかったという、そのことにあったのだ。だが、そのようなことを中学生の時分から冷静に分析できる人間は、余程の天才でない限り存在しない。周りのクラスメイトは、弁当食っている時に吐くヤツとして、気持ち悪がり、その姿を嫌悪した。隣の席の人間に至っては「お前とは絶交だ」と宣言までされる始末。人生で初めて、自分ではどうしようもないことで他人から拒絶されてしまった。その体験が、その悲しみが、私の人生に少なからず影を落とすようになった。
後日談として、「お前とは絶交だ」とまで言った彼とは、その後学年が上がってクラスが変わってから友達の家で再会し、一緒にスマブラをして遊べるくらいには仲良くなった。とはいえ、そのことで「絶交だ」と言われたショックから立ち直れたかというと、そんなことはなかった訳だが。
私たちはかくも、環境の変化や環境が作り出す圧力に弱い。そしてまた、環境が生み出す孤独や孤立にはもっと弱い。コミュニティ・ホッピングは、ある種環境の変化を自分に強いているところもあるから、身体に毒ではある。とはいえ、年齢が上がり、心身がある程度成熟してくると、環境が変化してもそれなりに人に取り入ることができる老獪さを身につけられるようにはなってくるから、慣れてくればコミュニティからコミュニティへと渡り歩くことを苦に感じなくなってくる。一番恐ろしいのは、既に孤独・孤立を味わい尽くしているコミュニティの中で、それでもそこにいなければならないかのように強いられることだ。だから、中学時代はしんどかった。大人になればそんなことは減るかと思えば、まだまだそういう苦しみで悩むことも多い。
よく「自分に合った環境」に出会えなくて、見つからなくて、悩んでいる人がいる。「自分に合った環境」が見つかれば、そこがそのまま自分の居場所だと思い込んでいる人がいる。だが実は、「自分に合った理想の環境」を想定すること自体、まやかしなのだ。これからこの社会がどんどん年老いていくに従って、まやかしであることはより顕著になっていくだろう。これまで快適だったはずの環境がガラガラと音を立てて崩壊し、これまで自分たちを支えていたはずのインフラが実に頼りないものであったことを自覚せざるを得ない時代に入って、ようやっと私たちは自覚することになる。「自分に合った環境」などどこにも存在しない、と。環境に対して自分がどこまで合わせていけるのか、さもなければ逃げるか、基本的にはそのどちらかしかない。だからこそ、環境に適応できない、自分でもどうしようもない理由で心身が弱っていると感じたのなら、「環境が悪い」と見切りをつけて、フットワーク軽く、その場所から逃げ出す方法を考えなければならない。
不登校になることは、反面健全なことである。私もしょっちゅう不登校になった。学校に通うのがしんどくなれば、逃げればいい。どんな家庭も、学校から逃げられる場所であれればそれで幸せなのだ。だが現実には、学校から逃げることはできても、家庭・親きょうだいからは逃げられない。学校から逃げ続けていると、今度は家庭環境そのものが逃げられない場所にどんどんなっていってしまう。だから苦しい。最近ではフリースクールや子ども向けの第3の居場所を用意する取り組みも始まってはいるが、結局そこに来られる人というのは、そこに通えるだけのフットワークと心身の健康をまだ維持できている人だけだ。フッ軽でいられるというのは、まだ生命力があり、まだ精神的体力が自分の中にあることの証拠なのだ。だから、フッ軽でいることは生存戦略なのである。
逃げることを肯定し、常にフットワークを軽くしておくために
コミュニティからコミュニティへと好きなように渡り歩くことは、一見楽しそうなことのように見えるが、実際には苦しいこともある。とりわけ、「どこのコミュニティに属しているか=名刺」であるかのように、自分を判断されてしまうことがあるこの社会では、どこかに属しているようでいてどこにも属していない私のような人間には生きづらいものがある。
もちろん、そのことを逆手にとって、やりたいことがある人は「やりたいことで勝手にコミュニティを立ち上げて、自分の名刺にしてしまう」という生存戦略を取ることができる。コミュニティ・オーガナイザーもしくはイベント・オーガナイザー的生き方だ。自分のやりたい事にとにかくサルのようにハマれる時間を作りながら、それで収益を上げて生きていく。だが、こういう生存戦略をとれるのは、私のようにやりたいことが見つかってもすぐに飽きてしまうような人間や、やりたいことが何にもない人間にとっては極めてハードルが高い生存戦略である。それよりは、既にあるコミュニティに何となく居場所を得つつ、居づらくなったらさっさと出て他のコミュニティを探す方がまだラクなのである。
また、多少裕福で小金持ちである場合には、ガッツリコミュニティ内にコミットする代わりにエンジェル投資でコミュニティに関わる生存戦略もある。友達のやっているクラウドファンディングにはとにかく金を出す。お金やその他諸々の貸し借りをあえて作って関係性を構築する。これは、かずひろ君の前のカズキタさんの講義で習ったやり方だ。これについては後ほどGutto Neet Noteとしてnote記事にまとめようと思うから、ここでは詳しくは述べない。
そういった「友達経済圏」的な関わり方は、とにかく私のような貧乏人にはやはりハードルが高い。「金の切れ目は縁の切れ目」とよく言うが、「お金を払えないから、参加できない」というお断りをすることもしょっちゅうあるくらい私はケチで貧乏人なので、それで関係性をうまく深められなかったり、関係性が切れてしまうことが未だにある。どうにかしたいと思いつつ、なかなか難しいと感じてしまうのが現状だ。
その一方で、まだワンチャン可能性があると思えそうなのは、コミュニティを渡り歩きつつ、人にコミュニティを紹介しまくったり人をつなぎまくることで収益を上げる、という生存戦略である。私の友人の板谷侑香理さんが名乗っているコラボレーター的生き方だ。
とにかく面白そうな人や面白そうな事業を見つけたら会いにいって話を聞きまくり、話を聞きながらこの人とこの人を合わせたら楽しそうだなというのを見つけていく。だが、私が実践するには、とにかく圧倒的にコミュニティ・ホッピング体験が足りなすぎる。板谷さん並みに、行政から、福祉から、デジタルコミュニティから何から何まで色々関わるのは、それだけで大変だ。それに、彼女の特徴として、とにかくよく喋る。よく喋って、外部の人とコミュニケーションをガシガシ構築できる力が私にはあまりない。どちらかといえば寡黙で、人に話しかけるよりは外側で観察している方がまだラクだと感じてしまう。
以上、複数のコミュニティに属しながら生きていく生存戦略として、コミュニティ・オーガナイザーになる、エンジェル投資をしまくる、コラボレーターになるという三様の生き方を見てきた。だが、私にはどれもハードルが高い面は否めず、すぐにでもそれで食っていく素質は未だないのが現状だ。
だがその一方で、コミュニティ・ホッパーとして活動しながら、私ならではのコミュニティの関わり方を見出せるようにもなってきた。キーとなりそうなのは、「環境調整能力」である。
コミュニティに生かされて「孤高」を得る
かずひろ君と対話しながら、私が考え続けてきたのは
「私にとって、コミュニティを含めたあらゆる人間関係において、唯一無二の強みと言えるものは結局どこにあるんだろう?」
という問いである。前編の議論を踏まえれば「私にできるtrivial workって何だろう?」という問いでもある。それこそ、かずひろ君との対話を通して私が学びたいと思っていた核心だった。
結果的に、沢山の示唆があった。この後展開する「『環境調整能力』を活かす」「イジってもいいんだと思ってもらえる人になるには」というセクションに多分にそれらの示唆が反映されている。
と同時に、かずひろ君の講義から得たインスピレーションをもとに私独自で深めなければならない部分も見えてきた。それを、わずかばかりでもまとめてみて、かずひろ君の講義に対する応答の締めくくりとしたいと思う。
「環境調整能力」を活かす
かずひろ君の講義を経て、私がコミュニティの中である程度の存在感を放っている人物になろうと思った時に、すぐにでもできることが見つかった。「とりあえず悩みを聞くこと」だ。
いつ話したのか自分でも覚えていなかったが、かずひろ君が評価してくれた他己評価のうち、頻繁に出てきたワードが「お坊さん」だった。割と限られた人にしか、「自分、実はお坊さんなんですよ」とは紹介してこなかった気がするので、かずひろ君の口から出てきたのはやや意外だった。
確かに、悩み相談は、私の得意分野の一つであり、数少ない天職だと思える仕事のうちの一つでもある。
実際、私には真宗大谷派僧侶の教師資格(簡単にいうとお寺に所属して仕事ができる資格)を持っている人間でもあるし、葬儀の現場に立ち会って、様々な方のお見送りをし、ご遺族様の話を丁寧に傾聴してきた実績もある。
最近では、とあるホットラインの電話相談員として、日常の困りごとから、死にたいという人の気持ち、セクシュアルマイノリティの困りごとなど、様々な種類の悩みを聞く仕事に1年間従事した経験もある。
悩み相談は、私が従事してきた「飯が食えるコンテンツ」のうちの一つなのだ。ならば、コミュニティに関わるにあたってそれを生かさない手はない。
加えて、自分には「環境調整能力」があるなということも自覚するようになった。
これは、最近RingNe DAOという「人間が植物に転生する世界をそうぞうして仮装体験するフェスティバル」であるRingNe Festivalの運営をやっているDAOに関わっている中で、他己評価を得たことで自覚できるようになった。ちなみに、RingNe Festivalについて知りたい方はこちらをクリック!↓
さらに、次のnote記事も合わせて読んでいただけると私としてはうれしい。
宣伝はこれくらいにしておいて、RingNe DAOのとあるメンバーにこんなことを言われたことがある。
「のんさんは、外側の人に積極的に話しかけて巻き込んでいくより、内側の人間とコミュニケーションを取って全体を豊かにしていく人なんだなぁって思ったよ」
その言葉が妙に嬉しかった。
思えば、ここ6月7月あたりはとにかくRingNe DAOのメンバーに会いまくった2ヶ月間だった。私はRingNe DAOではサブ・アートディレクターとして、RingNe Festivalで展開されるライヴステージやトークエリアといった各エリアに関わる人のマネジメントやスケジュール管理、トンマナ管理をし、その一方で「堆肥浴」「テントサウナ」といったコンテンツのディレクターもやっている。基本はオンラインでミーティングをしているが、それだけでは伝わりきらなかったり、うまく人が動いてくれないことがある。
だからこそ、ディレクターとしてもそうだが鹿音のん一個人として、RingNeに関わっている人に直接会って、話をして、時には酒を酌み交わし、時にはじっくり話をし、時には一緒に手を動かした。そういう時間がとっても愛おしかったから、多動を極める生活で大変ではあったが、自分でも驚くほど嫌にならずにここまでコミュニケーションして来られた。その中で、振り返るとずっと意識し続けてきたことがある。「生態系」と「環境調整」である。
常に「RingNeの生態系の中で、この人はどんな風に振る舞っているだろうか?」「どのように振る舞えると、この人は生き生きするだろうか?」ということをずっと考え続けながら、人と接してきた。それは、先述した中学校1年生の時の苦い体験以来、意識的にも無意識的にも向き合い続けてきたこと、すなわち「自分ではどうにもならない苦しみで、他者と相容れなくなることがないようにするにはどうすればいいか?」という課題に対する私なりの答えなのだと思う。つまり、その人がもし自分の力では何ともし難い課題や困難にぶち当たっているとするのなら、その課題を解決するには生態系そのものに手を加えて変化を与え、環境を整えていくしかない。
環境を整え、生態系に変化を与えるために私にできることは沢山ある。
人と関わるにあたって、「社会構造」「環境」「生態系」といったメタ的な視点を持って人と関われること
人の話を最後まで聞くことができる誠実さを持っていること
話を最後まで聞いた上で、その人にとって心地いいと感じられるポイントを一緒に模索していけること
心地いいと感じられるポイントが見つからなくても、少なくとも差別や暴力、抑圧がないコミュニケーション空間を作り出して安らいでもらうこと
突拍子もないアイディアを沢山出せること
アイディアを具体的に実現させていくプロセスを、対話をしながら一緒に考えていくように促すことが得意
こういった能力を一言で集約すると「環境調整能力」ということになる。
環境調整能力が生かされる現場は、基本的に「困っていることを沢山抱えているコミュニティ」である。立ち上がったばかりのコミュニティだとか、既に立ち上がってはいるがうまいこと軌道に乗らなかったり、コミュニティ内部で分裂や分断が起こっていたりする現場である。基本的に、こういったコミュニティに特徴的なのは、「汚れ役を買って出る人が誰もいないので、問題が問題のまま見過ごされて、誰も手をつけない」ということである。私はそこに「悩みを聞きながら対話して、一緒に考える」というスタンスでダイレクトにメスを入れることができる。それが結果として、人と人との関係性を調整することにつながり、結果的にコミュニティの内側(環境)を整えたり活性化させることにつながるようなのだ。あたかも、コミュニティそのものをバッド・ステータスから回復させる「コミュニティ医」とでも呼ぶべきこのような特殊能力は、今後の私の活動の中でどのように活かしていけるだろうか。それはまだ、自分でもよくわかっていない。
イジってもいいんだと思ってもらえる人になるには
もう一つ、私がコミュニティの中である程度の存在感を放っている人物になろうと思った時に、すぐにでもできることがある。それが、「とりあえず光っておく」ということだ。
要するに、「のんさんって誰?」と人が思った時に、「あそこで光っている人だよ」と誰かが紹介できるようになるといい。「見た目ですぐわかる、一言で紹介できる唯一無二のインパクトを持つ」と、人からイジってもらえるようになる。
そのことに気づき始めたのは、最近、こういうTシャツを好んで着るようになってからだ。
こういうTシャツを好んで着ていると、そうでない柄のTシャツを着ているより圧倒的に話しかけられる頻度が上がる。
「そのTシャツ素敵ですね!」
「どこで買ったんですか?」
と聞かれるようになること請け合いで、私の方もそこからコミュニケーションを発展させることができる。
「これ、原宿で買ったTシャツなんですよね」
「メッセージとしてはみんな天才であることを証明したくて……」
ちなみに、原宿で買ったというのは本当である。もしこういうTシャツ着てモテたいと思ったら原宿竹下通りを歩いて探してみるといい。
とにかく、こうしたインパクトのあるTシャツを着ていると、周りから一発で「天才の人」「もやしの人」と覚えてもらえて、次会った時最悪名前は一致しなくても顔や姿で「あ、またあの人がいる」と認知してもらえるのだ。コミュニティに入り込むにあたって、こんなに便利なことはない。
「とりあえず光っている人」というのは、私の得意分野である電子工作を応用してLEDで光るアクセサリーを自作して身につけることによって、常に何かしら光っている状態を保っている人間にしようという、そういうプロジェクトである。それを既に私は、コミュニティシャッフル運動会の時に実践している。
紅白帽を光らせてみて感じたことは、誰もが私の存在に一目置くと同時に、「のんさんって電子系とか、そういうのが得意な人なんだ」という認知も同時にできたことだ。自分の得意分野を売り込めるのである。そういう認知は、ゆくゆくは「のんさんならこれ頼めるかも」という仕事につながっていくだろう。
私が「孤高」であるために
そもそも、「私にとって、コミュニティを含めたあらゆる人間関係において、唯一無二の強みと言えるものは結局どこにあるんだろう?」という問いあるいは「私にできるtrivial workって何だろう?」という問いを探求することで目指すものは何なのか。
私は、そのコミュニティにおいてのみ通用する「唯一無二感」を自分が持っていることが大切だと思っている。日本においてだとか、世界においてだとかいう範囲でなく、せいぜい10人や100人いる中での「唯一無二」である。なぜなら、その唯一無二に気づけている人は、集団の中で最も自分の役割に対して自覚的になることができるし、それゆえに手っ取り早く集団の中で自分がハッピーになれるポジションを見つけやすくなるからである。自分がハッピーになれるポジションを見つけることができたら、そこに安住し続けることもできるし、似たようなポジションで活躍できる場所を探して他のコミュニティを渡り歩くこともできる。様々なコミュニティにおいてそれぞれの重宝のされ方があり、そのことに自覚的になっておくと初めて出会う人に対しても自分をどう取り扱って欲しいか、予め宣言することが可能になる。人間関係がスムーズになり、結果的にレジリエンスの高い生き方ができるようになるのだ。
とはいえ、「自分には唯一無二なものなどどこにもない」と思っている人が世の中には大勢いる。本来なら、そこに存在しているだけで唯一無二だと言えるはずなのだけれども、その自覚を妨げてしまう何かがこの世の中には存在するようだ。
私はこれまで「個性」だとか「キャラクター」だとかいう言葉をあえて使わないようにしてきた。それは、「個性を大事にしよう」とか「キャラ立ちを意識しよう」とかいい始めた途端に、それらのメッセージは実に没個性的になるという逆説的な事態があるからというのも理由としてある。だが、一番の理由は、単純に私自身「個性」「キャラクター」という言葉が好きじゃないからである。「個性」というようなぼんやりした言葉を使いたくないし、かといって「キャラクター」といった打算と妥協の産物を自分とするのはどうにも私は耐えられない。私が好きなのは「唯一無二」の人であり、「孤高」の人なのだ。余計な打算で頭を沸騰させたりしない。自分に対して妥協を挟まない。自然体のままで存在感を放っている。それでいて、孤独や引きこもることの価値もよくわかっているので、人と交わることを好みながら、独自の美学を崩すことがない。
私たちは、自分が何者であるかを一生涯賭けて見つけなければならない。一体何の使命を帯びて、私は地球上に人間として生まれてきたのか。私が死を経て地球での活動を終える時、何が引き継がれて何が失われていくのか。俗っぽくいうと「生きている意味」ということになるかもしれないが、結局のところ「生きている意味」など、どこにもない。唯一無二の魂としてそこに存在して、いずれ消えていくという事実だけがある。コミュニティとはその唯一無二の魂と魂が鏡のように反射し合い、蜘蛛の糸のように交錯し合う場所のことをいう。私たちはコミュニティの中で、他者と出会い、他者に照らされて己を知る。自分一人では、自分が何者であるかを探究することは必然的に不可能なのだ。だから、いずれ孤独のまま生涯を終えると決めていたとしても、コミュニティとは上手に付き合っておいた方がいい。
そしてまた、私たちが唯一無二であると気づけるようになった時、これまで「自分で自分の人生を生きている」と岩のように頑なに思い込んでいた思いに光が差し込んで、「人に生かされて自分の人生を生きる」感覚に目覚めることができるようにもなる。コミュニティに生かされて「孤高」を得るのだ。その時、私とあなたとの間に唯一無二の存在として重宝し合え、尊敬し合える関係性が開けると同時に、人は初めて生きていること全体に対して楽になったと思えるようになる。
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