音楽 0. 奇妙礼太郎トラベルスイング「オー・シャンゼリゼ」
NHKを見ていたら、京都の西陣を歩く番組をやっていた。着物の店や、鳥すき、おいしそうな豆腐屋など紹介されていたのだが、その番組のエンドロールでBGMに「オー・シャンゼリゼ」が使われていた。番組で取り上げられた店や人々が再度映し出されながら流れていたこの曲は、何度も聞いてきたもののはずなのに、なぜか耳にのこった。
日本語の詞だったが、ボーカルの声から奇妙礼太郎かと思い調べると、2014年のアルバムのなかにこのカバーが入っていた。
街を歩く 心軽く 誰かに会える この道で
素敵なあなたに 声をかけて こんにちは僕と行きましょう
オーシャンゼリゼ、オーシャンゼリゼ
いつも何か 素敵なことが あなたを待つよシャンゼリゼ
この曲は日本人にとってはパリを象徴するものだろう。一方で、実際のシャンゼリゼ通りはそこまできれいではないし、スリなどが多発するやや要注意な場所であることは有名だ。あと、この曲がもとはイギリスで生まれたという事実も、この曲を「信仰」する日本人を揶揄するさいに必ずセットで触れられることかもしれない。
しかし、問題はそういった事実確認ではない気がする。大事なのは、この歌がいまこの世界で、何か確実に素敵なことが待っている場所が存在すると、歌いあげてくれていることだ。この接触を断たれた世界で、見知らぬものにもBonjourと声をかけて、関係性が生まれていくような、そんな世界が確実にあることを教えてくれる。
フランス語の歌詞はもっと面白い。最初は私(Je)一人であったのが、相手をみつけ、そのあとダンスホールと思しきところでみんなとどんちゃん騒ぎをして「私たち」(nous)になり、そのあと朝になったパリで二人は恋人たちになる。鳥たちも歌い出す。
そういう意味で、街をぶらつくNHKの番組の最後にも、この曲が使われていたというのは正解なのだろう。いまパリでは、ほぼ無人のシャンゼリゼ通の真ん中に、警官たちが立っている。
この歌のなかのシャンゼリゼは、いつまでもそこにある。もちろんコロナなんてこの世の中になかったとしても、これは僕たちが決して達することのできない世界なのかもしれない。しかし、それゆえに、いま一段と輝いて見える。そこには自由があり、人が触れ合い、そして憧れがあるのだ。