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洗濯が終わるまであと3分。それまでに書き留めておこう、ばあちゃんのこと。

ばあちゃんとは、16年間程一緒に住んでいた。


私は小さい頃はばあちゃん子だったみたいで、当時住んでいた一軒家から、よくばあちゃんの自転車の後ろに乗って、ばあちゃんちに一人お泊まり、というのをしていたらしい。
あんまり覚えていないのだけど、なんとなくばあちゃんちの枕の感覚だけは覚えている。

それとよく周りからは、ばあちゃんにそっくりねーと言われてた。ちっちゃい頃は丸々としていたからかな。
(ピーピーピーっ。洗濯が終わったみたい。書き切れなかった!)

中学二年生か三年生の頃、ばあちゃんちに母と姉と3人で居候した。のちに、ちゃんと引っ越した、のだけど。
つまり、前までは"ばあちゃんち"と呼んでいた場所が、その後正式に"自分の家"となって、今は結婚して家を出たのでその場所は"実家"となっている。

その居候したときから、結婚するまでの約16年の間、私はばあちゃんと一緒に暮らしていた。

離れて暮らしているときは感じなかったけど、一緒に暮らしてみると、いろいろな素顔というか面が見えてきた。

ばあちゃんは、すごくすごくマイペースで、思ったことを何も考えずにすぐ言葉に出す。周りを全く気にしない。
いいことも悪いことも。悪いことのほうが多かったかもしれない。

例えば。
お母さんやじいちゃんが何かおかずを作ったとする。それをばーちゃんが食べる。
"なんなーこりゃ、おいしゅーねぇなー。(これは美味しくないな)" 
と言う。

素直な反応で、そこまでストレートに言えるのもある意味羨ましくも感じるけど、周りを傷つける。本人はそれに気づいていないみたいだった。
(しかも、あくまでばあちゃんの感覚。私にはまずいとは思えないもの、そうかな?と思うものだった)


そのおかげで、じいちゃんと喧嘩になっているのをたびたび見かけた。
いや、喧嘩というか、じいちゃんによく叱られていた。


今思うと、それだけばあちゃんの言葉には嘘がなかった。それって、一つの救いにもなるような気がしている。

あと、私がだらしなく整理整頓が出来ない人だったので、ばあちゃんから片付けに関してチクチク言われることが多くて、"もう鬱陶しいな"と思っていたし、反抗期真っ盛りだったのもあって、よく反抗したり無視した事もあった。

ごめん。

その頃、母は働いていたので、ばあちゃんが晩御飯を作ってくれていたのだけど、ばあちゃんが作る晩御飯は毎晩同じようなものばかりで、"やだなぁ。また〜?"というのが本音。
ばあちゃんは、元々ずっと働いていた人で、そんなに料理をしてきた人ではなかったらしく、偏見かもしれないけど、"ばあちゃんなのに"料理本を見ながら作ったりしていた。
それでも、毎晩作ってくれたことは、とてもありがたかった。それに、ばあちゃんが料理本みながら料理するってなんかかわいいよね。
当時もそのことにはとても感謝はしていたので、やだなぁ、の気持ちはそっと胸にしまっておいた。
そんなばあちゃんが作る晩御飯の中にも、大好きなメニューがあって。
豚の生姜焼きと里芋の煮っ転がし。
豚の生姜焼きは、豚肉に小麦粉をつけて一回パリッと焼いた上で甘辛いタレで絡めるタイプのやつ。
たまにものすごーく食べたくなる。
普段私が作る生姜焼きは、パリッとタイプじゃないやつなので、余計、無性に食べたくなる。

里芋の煮っ転がしは、周りがとろっとねばっとしたタイプのやつ。
自分で作ると、そこまでねばっとならず、なんか違うんだよな…っていつもなる。
また挑戦してみよう。いつか近づけますように。

そして、
ばあちゃんといえば猫、だった。
ばあちゃんと猫はセットと言ってもいいくらい。
いつもばあちゃんの横には猫がいた。
"本物の猫つかい"だったんじゃないか、とおもう。
猫の方から寄ってくるもんね。不思議。

ばあちゃんが散歩に出かけると、猫がばあちゃんの後ろをついていって、仲良く散歩、
なんて光景がよく見かけられた。
そのほのぼのな光景が、ものすごく私の心を癒してくれた。


16年後、私は結婚して家を出たけれど、
数年後には実家のとなり(畑を挟んで隣)に家を建てたので、よくふらっと遊びにきてくれた。
その頃になると、さすがに反抗期のころ感じていた鬱陶しいとかそういうイメージは全くなくなり、ただただ面白いばあちゃんになっていた。
いつも"へっへっへ"と笑ってるイメージ。

息子と遊んでくれるときは全力で変顔してくれたり、ベロをレロレロして笑わせてくれたり、歌をたくさん歌ってくれたり。
"ドドドリフの大爆笑〜"の元歌になっている、"隣組"という歌が一番好きだったなぁ。
富士山もよく歌ってたね。
なんかよく分からないけど、ばあちゃんは行動とか発言がとにかく面白くて、いつも笑わせてくれた。
子供ウケもそれはそれは抜群で。
娘が産まれてから娘が私にべったりすぎて病みそうだったときも、ふらっと遊びに来て、娘の相手をしてくれたり。
すごくありがたかった。


私の家の前のブロック2段の塀、大人2人程しか座れないようなスペース。
そこにばあちゃんがちょこんと座る。
そのまわりを猫がうろちょろしてる。
猫とのんびりしながら、一緒に夕焼けをみている背中。
ちっちゃいけど、丸っこいあったかい背中。

思い出す。

かわいかったな。


他にもおとぼけエピソードとか、面白いエピソードがたくさんあるばあちゃん。

現在に近づくにつれ、耳もどんどんどんどん遠くなり、痴呆も進んできて、会話のやり取りがスムーズに出来なくなってきてはいたけれど、それでも、私にとってはとても癒しの存在だった。

きっと、今、とぼけた顔で笑いながら
"わたしゃーどーしたんかなーー"
って言ってそう。



これから49日までたくさんうろちょろしてもらって、気配感じながら過ごしたい。

もちろん、49日過ぎても。


実際のところ、死んだ先に、あの世とか天国とかって本当にあるのだろうか。
本当は死んだら、ただの"無"かもしれない。

生きているほうの人間が"あって欲しい""いて欲しい"という願いで作り上げたものが、あの世や天国だとしても、目を瞑って故人を思い出すと、ついさっきまでそこにいたような感覚だったり、気配を感じることがある。
目を瞑らなくても、今見ている背景に勝手にばあちゃんを重ねている。
ばあちゃんを感じている。

それは、そこに存在していたということ。
そして、私の記憶の中に存在しているということ。

だから、たくさん思い出すよ。




もし、上の方でじいちゃんに会えてたら、

きっとまた叱られているかな笑






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