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いつかくるその時は、

7/13、親友のお母さんが亡くなった。
LINEでお知らせをうけて、すぐ親友に電話をかけ、話を聞きながら一緒に泣いた。
こんなに突然亡くなるなんて思ってもみなかった。

お葬式は家族葬とのことだったけど、通夜には参列させてもらえて、親友のお母さんの最期の優しいお顔も、長女として凛としながらも時折涙を流し頑張っている親友の姿もみることができて、よかった。
そして、これからもずっと親友の心のそばにいたい、とおもった。

それから、家に帰る道中、突然訪れる死について考えていた。

"私がもし今死んだら、最後に私の好きな人たちに会いに来てもらえるだろうか"

家族葬が多くなってきた世の中だけど、やっぱり好きな人たちと、あの時あーだったよね、て思い返しながら、泣き笑いしながら、旅立ちたいな。
そう考えていたら、家について早速、携帯のメモ帳を開いて、文字を打ちはじめていた。

●私が死んだら連絡してほしい人●

固定で一番上にくるようにピン留めもして、旦那にもそのむねを伝えた。


いつか、その時を迎える。
私のその時はいつだろう。




(話はすこしそれるのだけど)


実のところ、私は、"親友"という言葉が苦手です。
この文章に親友と書くのにも勇気がいるものだった。
もともと友達もそんなに多くない私。
だけど、好きだなーと思える人はたくさんいる私。

果たして、私が勝手に親友と思ってもいいのか、彼女はそうは思っていないかもしれない、とか、
一般的な認識でいう親友という関係性が、わたしと彼女に当てはまっているのか、とか、、、、
親友という言葉に縛られたくないな、とか、、、
まぁ言うなれば、きっと自信がないのです。

自信はないのだけど、

今回のような重大な事柄が発生したときに、
やっぱり彼女は私にとって大切な存在だな、としみじみ思ったのです。

数少ない弱音を吐ける存在。

四年前、私は息の仕方がわからなくなって、キッチンの前で座りこんでしまって、涙が流れてきた。
なんでだろう、どうしてだろう。
そうおもったとき、
彼女に一番に電話した。


.
.
そんなことを思い出しながら、
親友というか、心友というか、
これからも大切にしていきたい。とおもったこのごろです。
(心友と呼ぶ方が気持ち的に楽で心が繋がっている感じがするので好きかも。)


いつかくるその時は、
きっと大好きなみんなに会える日。かな、なんて。




(いや待って。正直死に顔を見られるのは恥ずかしい。
ナチュラルだけど綺麗にお化粧してほしいな。と切に願います。)

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