②続「笑顔」について考えてみる。笑顔お化けになったのは?
前回の投稿では
笑っていれば道は開ける
笑ってさえいれば
そうやって生きていくことは
とても効果的だったという社会は
いつの日か終わっていた
社会が上昇⤴️中だったから
というようなところでした
バブルを経験して20代を過ごした私たち年代が
子を産み育てたこのおよそ30年は
しばしば
失われた、、、などと表現されている
この間親をした我々の
子ども時代は
恵まれて育った
と言ってもいいほど
現在は
社会が疲弊している
未来が見えない
未来は不確実
などと表現されている
我々の子ども時代は
ものすごく裕福ではなくても
心の余裕と
何気ない日常
当たり前の日常を
当たり前に過ごせたというのかな
だから
笑っていたら
更に褒められて徳だなあみたいな
スパルタも経験して
だけど
どこか守られていて
何事もプラスに転じるような
恵まれていた時代だったと思える
笑顔お化けはたくさんいた
同級生の自然な笑顔をいまだに思い出せるのである
歳を取ってシワも出来ただろうけど(笑)
イジメはあっても
イジメはダメなことだからと
誰かが仲間を守って
陰湿ではなかった
ところが今はどうか
明けても暮れても勉強勉強
子どもたちは
今を生きず未来を生きているように見える
今を生きて未来を創っているのではないみたいな
そんな様子だ
格差社会は酷い
心も荒む
そう想像するのも容易だ
それは
もちろん
教育現場
教育環境の変化が大きいと言えるだろう
良い学校に入ること
良い大学に入ること
お受験戦争
子どもたちへの親の想いは
間違いではない
だけれども
子どもたちの成長には悪影響だったのかもしれない
と批判を恐れず綴っておこう
バイオリズム
上がり続けるなんてあり得ないのだ
立ち止まって修正の時がきた
進まないのではなくて
軌道修正が必要ということだろう
さて
若い世代が深刻だ
若年層の自死が酷い数字だ
少子化なのに悲しい
流すわけにはいかない
https://www.npa.go.jp/safetylife/seianki/jisatsu/R06/R5jisatsunojoukyou.pdf
昭和から令和の自殺者数の推移。1997年以降の急激な自殺者の増加。経済悪化〜心労〜自殺との関係性に着目。
一方で、一定数の自殺者は昭和から現在まで変わらず存在する社会としても、若年層のそれが増加していることを問題視するべきかと思うのだ
自死の理由は様々だが
困りごとがあって
解決されずにこの世を去ることを選択してしまうのだ
社会の責任だろう
そう思える
教育環境に課題があることを
いわゆる
やり過ぎ!ということの問題提起だ
正解はわからない
けれども
「自然な笑顔」が飛び交う子ども環境ではない
効果的な
健康的な
子どもの成長を
ほんとに我々は考えてきたのか
もっと自由に
もっと好きなことに積極的に向かえることを
最優先にしていたのか
いつも
この子の未来
とか言って
今しかできないことを
奪ってはいなかったか
そんなことを思うのだ
学校・教育環境を軌道修正しないといけない
教育とは何か
笑顔お化けがたくさんほしい
子どもは
笑顔は
宝物なのに
それを奪ってしまうような教育では
本来
我々大人の願いではない
忘れていた
勘違いしていた
そう気づき
共有したい
もちろんそれだけでは足りない
やるべきことは
そのためには
安心の未来社会を
我々大人が整備する
それしがないのだ
課題はデカ過ぎる
だから良い大学に入ればいいとか
そんなことではなくて
重ねてとなるが
もっと
子どもたちの「心の安定」を育むための
子どもたちが笑顔お化けになるための
社会の軌道修正だ
自分は
子ども時代
ただただ野原を駆け回り生きてきた
そして
笑顔お化けになった
だから
およそ
戦後70年
上へ上へと押し上げてきたこの社会を今
どうするか
というところにいるのだと
理解している