未来が繋がるならまた会おう
猫は自分の死期を悟ると飼い主の前から姿を消すという。
私もさ、静かに跡形無く立ち去る美学を信じているから何も残さず消えようと思った。
でもちょっと寂しさもあるんだよね。そりゃ。いなくなったことに誰かには気が付いてもらいたいなぁって欲張っちゃう。
だから最後の悪あがきということで、私のことを知ってくれた人に対して、少しだけ気にして欲しくて言葉を残します。
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大事な人がいなくなっても生きていけるという現実
少し重い話になってしまうけれど、GW中に祖父が亡くなった。
高校時代、ひいおばあちゃんが亡くなったのが一番身近な人の死だったから、もっと身近な人がいなくなってしまったら、とてもとても悲しいむのだろうと思っていた。誰かがいなくなったというその空白に飲まれてしまうのかなと思っていた。
でも現実は心配していたような事にはならず、意外と大丈夫だった。
普通にご飯も食べれる。
仕事もできる。
オタ活も続いている。
確かに少しだけ、あーもういないんだな。会えないんだな。とふと思う時もある。
その人の人生はもう更新されなくて、私の中のその人の記憶の更新もない。
進む人生と止まった人生。
その対比を考えることはある。
でもね、そのくらいの影響だった。
そりゃあ、祖父の傍にいた祖母が大丈夫なら、孫にあたる私だって大丈夫なんだろうな。
私が影響を受けすぎるのは、クエッションマークだよね。
つまりね、基本的に何も変わらなかった。
でも、私にとってこれは絶望だった。
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私っていなくなって平気じゃん
会社の同期の一人が体調を崩して1か月お休みを取っていた。
プロジェクトで一人欠けるのって結構大きな穴だと思うけれど、残されたメンバーでプロジェクトは回り続ける。
空いた穴の分はその内また新しい人が補充される。
会社だから人の出入りがあるのは当たり前だし、それが起きた場合には対応するのも当たり前。
それを見て思っちゃったんだよ。
そっか、今必死にやっていることって私じゃなくてもいいんじゃん。
仕事に限らず全部の枠がそうやってできてる。
オタクが突然担降り(応援するのを辞める)しても、応援し続けてくれる人は他にいるよ。
演者をしなくても私以外の人がその役に付くことなんて溢れていることだよ。
キャスを辞めても他に枠に遊びに行く人なんてすぐできるよ。
友達を辞めても他の友達と一緒に生きていけるよ。
気が付かなくていいことに気が付いてしまったみたい。
どこにも"私"が私でいる理由なんてないや。
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極端な私の結論
ということで全部捨てることにした。
私は皆のことを覚えていられるように、あなたが同じ場所にいる限りは監視させていただくけれど、私という存在は消すことにするね。
守護霊?背後霊?になる。
よくTwitterでフォロセ(フォロー整理)とか見るけれど、なんでそんな簡単に人を選べるんだろうねって思う。
私は大事な人を増やしすぎちゃって選べそうにないから、全員さよならすることにするわ。
泣けてくるほど笑えちゃうわ。
この選択は阿呆らしいわ。
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大事な人を増やしてそれを忘れることは怖くないですか
大学時代、出会う人が増えたことで私は大切にしたい人が増えました。
その時に、じゃあみんなのことを大切にできるようにするにはどうしたらいいんだろうって本気で悩んでいた時期がありました。
自分に近い遠い、時間の共有量に差はあれど、何かしら自分に影響を与えてきた人たちに優劣をつけることに違和感だったし、名前を忘れたり話したことを忘れたりするのが怖かった。
大切な人のはずなのに私の中に残っていないという状態が発生することが、そしてそれが相手に伝わってしまうことがなにより怖かった。
社会人になって更に沢山の人に出会うことになって、出会いと別れを繰り返して、キャパシティがオーバーしました。23年でこんなになっているのに、あと70年くらい?生きていけるんだろうか。
忘れることに慣れちゃうんだろうか。
これからも何度だってリセットボタンを押すだろうな、私は。
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相変わらず人間関係下手くそね
100日キャベ子みたいに死ぬわけじゃないし、
激病みしていた時みたいにいなくなりたいと願っている訳じゃない。
どこかで私自身の生活は続いているよ。
それはこれまでのようなネットの世界じゃないだけ。
だからまたねです。
私と出会ってくださった方々に感謝を込めて。
勝手な選択でごめんなさい。
例え悲しむ瞬間が来たとしても、それは一瞬だけ。すぐ忘れます。私のことなんて忘れちゃいます。
それは私が卑屈だとかそういうのも多少あるかもしれないけれど、生きていれば当たり前のことだから。
感覚としてどこかにいることはあるかもしれないけれど、忘れないでいるなんて無理だから。
そういう考えが寂しいと思うなら、私という存在がもともといなかったことにしちゃえばいいと思います。ねー簡単なことでしょ??
運命っていう言い方は好きじゃないけれど、全ては出会うべくして出会うし、別れるべくして別れる。そう思っている。
だから出会ったことが必然なら、この瞬間お別れするのも必然です。
そして、いつかまた出会えることがあったらそれも必然です。
期待するしないはお任せします。
でも見てるよ。見てるからね。
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さぁ、自分勝手な時間を終わりにしちゃおう
本当に自由に生きさせてもらってる。
noteもTwitterもリアルな生活も全部全部。
辞めるって言ったり、
やっぱり毎日投稿しますって言ったり、
かと思えば1か月投稿が無かったり。
適当なやっちゃなぁ~~~!という感じでしたが、お付き合いいただきありがとうございました。
今度動画上げるねーとか、企画やるねーとか、脚本書くねーとかもろもろ全然約束守れてないんですけど、やる必要と機会が上手く一致すればそのうち叶える日が来ると思うので気長に待ちます。待っていてください。
じゃあね。またね。
大好きです。
明日も、そしてこれから先も、私や読者さんや、まだ知らない人たち、みんなが楽しいことして生きていられますように✨
しらたま キャベ子
Fin
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