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119コトめ。closedからopenへ。そして
今日はゆっくり出勤でした、しらたま キャベ子です!
まるで以心伝心したかのように、似たテーマについて書かれていたので、そちらも踏まえて(?)書いていきたいと思います。
※個人的な強い意見も入っています。
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記憶から記録に変わった世界
言葉が幸せを運んでくるのもあれば、刃のように人を傷つけることがあります。
日々のニュースを見ればそれは明らかなことだと思います。
そのような力を持つ言葉を、より気をつけて使っていかなくてはならなくなっている、そのことを強く感じる今日この頃です。
スマホやパソコンが無い時、人とのコミュニケーションは、会話になります。
(電波で言葉を送り合っている超人さんいたらすみません)
会話をする時は、言葉はそこにいる人にだけ共有されます。
2人で会話をしていたらその2人だけが知る世界なのです。
例外はあるにしろ、どちらかが人に伝えない限り、その場限りの話となり消えていきます。過去にも未来にも発言した言葉は現れないのです。
だから、もしその場で相手を不快にする言葉を言ってしまっても、その言葉に対して非難する人はいない訳です。
噂として広まってしまった場合も、付き合うコミュニティや環境を変えれば逃れることができました。
その瞬間の言葉、記録されない言葉で私たちの生活は構成されていました。
ネットで繋がっている時代はどうか。
より正確な言葉が残り、時間軸を超えて見られ、より大多数の目にさらされる。
そういう言葉が格段に増えた。
過去にしたツイートに対し、このツイートをした時こんな気持ちだった。こういう意図で発言した。そういう記憶ってひとつひとつ残っていないと思うのですが、ふとした時にそれが批判される。
その上文字情報のみなので、裏に含んだ感情は読み取りにくく、誤解が生まれやすくなる。
批判される時は数が膨大すぎて人格否定されたようになる。
批判されるのは1人からされても辛いし、気分悪くなるよ。でも対面だったらお互い気が済むまで言い合えるし、その場で流そうと思えば流せる。完全なる一方通行になり続けることはあまり起きない。
ネットはもちろん人とのつながりを広げるのに一役いや十役くらい買ってる。
でもね、私たちの言葉が他者の目に触れられながらずっと残り続けることも可能にしてしまったのです。
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キャベ子としては、
日常であろうとネットであろうと、何を言っても構わないと思います。
どんなにひどい言葉であろうと、そう思う時は思うし、自分の中で消化できないものを発散するためにそういうことがあってもいいと思います。
ただ、
言ってしまったなら言われる覚悟を持て。
人を傷つけてしまったのであれば、冷静になってからでもいいから謝る姿勢を持て。
自分で言われたら嫌な言葉は言わないのが基本。言ってしまったならどういう形であれ素直に謝れる人でいて欲しいのです。
そうやって言っても、残念ながら、言われてもいいと開き直ったり、かわすのが上手い人もいます。
その人は上手く聞き流してまた同じことをするかもしれない。
どうかどうか、何かのきっかけで持っている刃の鋭さに気づいてください。
あなたの手が赤く染まることがありませんように。
明日も、私や読者さんやまだ知らない人たち、みんなが楽しいことして生きていられますように✨
しらたま キャベ子
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キャベ子が死ぬまであと11日
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