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「悲哀の月」 第46話

 救急要請をしたものの、里奈を受け入れる病院が見つからずにいた。
「参ったな。どうしようか。ここも空きベッドがないって」
「困ったな。こうなったらホテルの方に連絡してみるか。ホテルであれば空きがあるはずだから」
 隊員は苦肉の策に出た。現在、コロナ病棟は患者が溢れていることでベッドに余裕がない。そこで、幾つかのホテルが要請に応じ、コロナ患者の一時的な隔離病棟として提供している。主に軽症患者専用だが、そこに入れるように手配しようと考えたのだ。
「待って下さい」
 だが、ダイヤルを押そうとしたところで声が掛かった。
 ベッドからだ。
 目を向けると、苦しそうに里奈が顔を向けていた。
「私は大丈夫です。病院には入れないのであれば、自宅で経過観察でかまいません」
 里奈は咳き込みながら言った。
「大丈夫ですか。その様子だと肺炎を起こしているかもしれませんよ。もしそうだとしたら手遅れになるかもしれません。少しでも医療設備の整ったところに身を置いた方がいいと思いますが」
 若い隊員は言った。
「確かにそうかもしれませんけど、私はコロナ病棟で少し働いていたんです。ですから、どうなれば危険かわかっています。ウィルスを人に移すこともないので大丈夫ですから」
 時折咳き込みながらも里奈は言った。
「本当に大丈夫なんですか」
 顔を見合わせた後で隊員の一人が聞いた。
「はい、大丈夫です」
 里奈は自分の意志を示した。
「わかりました。では、自宅で経過観察にしましょう」
 里奈の意志が強いと判断し、隊員は手にしていた電話を離した。
「では、今から部屋の方に戻ります。それでよろしいんですね」
 その後で確認を取った。
「はい、構いません。お願いします」
 里奈としてもそうしてもらった方が助かるため、頷いた。
「わかりました」
 隊員は頷くと車を走らせ始めた。
 彼らの指定したホテルとは、軽症者患者を一時的に隔離している場所に過ぎない。医療設備が整っていると言っていたが、実際はそうでもない。運ばれてくる患者は大抵が無症状者だ。身の回りのことは自分で出来る。現在の里奈ほど重い症状の患者は滅多にいない。それならば、自分の部屋にいても変わらないだろう。そう判断し、意固地になってホテルへ入ることを拒んだのである。
(病院だっていずれベッドが空くはずだからね。そうなってから入ればいいのよ。そっちの方がしっかりとした治療を受けることが出来るから)
 里奈はそう考えていた。
 しかし、そう思えたのは最初の内だけだった。
 自宅に着くと状況は一変した。
 隊員による簡単な説明を受けてから部屋に戻ったが、ドアを閉めると布団に倒れ込んだ。今まで張り詰めていた緊張の糸が一気に切れたのだ。口から出る咳も止まらない。
(大丈夫よね。私はコロナに負けないわよね。健介と新婚生活を送ることが出来るわよね)
 里奈は苦しみながらも理想の未来を思い浮かべていた。
 だが、現実は厳しい。
 激しく咳き込むことで、喉と胸が痛くなる。倦怠感も増し、僅かに動くことでさえ億劫になっている。横になっていても背中も痛い。
 夜になると、いつものように雨宮から夜食をドアノブに掛けておいたとLINEが届いたが、気付くことはなかった。布団の中で一人、苦しみと闘っていた。


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