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「カエシテ」 第47話

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 働き方改革が推奨されてからと言うもの、会社員の終業時間は早くなった。午後十一時を回ると、オフィスの明かりは大半が消えている。
 日本屈指のビジネス街、新宿と言えども例外ではない。ビルに灯る明かりは僅かだ。
 路地裏ともなれば、なおさらだ。闇に溶け、静寂に包まれている。
 その中、煌々と明かりの灯るオフィスがあった。
『月刊ホラー』編集部のオフィスだ。
 中を覗いてみると、陣内の姿があった。苦い顔をしてモニタを睨みつけている。彼には、働き方改革は無縁のようだ。
「くそっ、何だって、こうも問題ばかりが降りかかってくるんだ。せっかくここまで来たというのに」
 だが、決して仕事をしているわけではないようだ。苦々しい顔でモニタを睨むと吐き捨てた。
「あんな訳のわからない奴が出て来たから、また面倒臭いことになるかもしれないじゃないかよ」
 なおも怒りをぶつけている。
 対象は、いつか加瀨が話していた公子だった。
 この日、陣内は独自にビルのオーナーの元を訪ね、公子のことを聞いていた。すると、彼女は間違いなくビルの清掃員として働いていると回答が返ってきた。おまけに、加瀨が話していた通り、霊能力を持っているらしい。『月刊ホラー』の編集部に関しても良くない空気が溜まっていると話しているようだ。オーナーはお宅向けだからスカウトしたらいいんじゃないのと高笑いしていたが、冗談じゃなかった。本来であれば、公子を問い詰めたいところだ。
 だが、相手はこんな話をして周囲を怖がらせて喜んでいるような女だ。きっとたちが悪いのだろう。文句を付けたところで大騒ぎされるかもしれない。もしそうなれば、立場が悪くなるのは陣内だ。
 このビルのオーナーはトラブルをもっとも嫌う。トラブルを起こした人間には厳罰を与えると公言しているほどだ。そんなオーナーなのだから、退出宣告を受けるかもしれない。せっかく新宿にオフィスを構えられるようになったのだから、それは避けたかった。
(それなら、どうするかな。あんな目の上のたんこぶのような婆がちょくちょく現れると厄介だよな。うちの反応が鈍いからって、いつ週刊誌に話を持っていくかわからないし。霊能力があるとか言っているらしいから、下手したらテレビに持ち掛けるかもしれないし。そうなったら、最悪だよな。うちの雑誌社は終わりになってしまうよ)
 陣内の表情に影が差す。彼は、都市伝説や怪異を取り上げる雑誌を作っていながら、この手の話は一切信じていなかった。全ては想像力豊かな人間が作り上げたフィクションと捉えていたのだ。そのため、福沢の話を聞いたところでこじつけとしか考えていなかった。ただし、話の内容は興味深く読者の気を引き、うまくいけば話題にもなるかもしれないと感じたため、雑誌の掲載を前向きに検討していた。
 だが、今は状況が違う。雑誌の掲載は取り消しているのだ。にも拘わらず、外野で騒がれとばっちりを受けるのはご免だ。迷惑でしかない。何とかして、公子の動きを封じたいと考えていた。
(あの婆さんに加えて、あいつらもいるしな。大丈夫かな)
 思考を進めていくことでまた別の不安が生まれてくる。今回の対象はスタッフだ。と言っても、平子に関しては無視していいだろう。既に退社しているのだ。仮に調べて犠牲になろうと知ったことではない。由里に関しても、この手の話は好きだが、自ら調べるほどの熱は持っていない。あくまで視聴者の立場だから、心配はいらないだろう。
 問題は加瀨だ。
 いくら会社で打ち切ったとは言え、独自に調べるかもしれない。何と言っても、少し疑問があればすぐに取材に出る男だ。中途半端な形で打ち切られたことで好奇心をそそられているかもしれない。その結果、独自に調査を続行する可能性は多いにある。現に、公子の話をしている時は目を輝かせていた。
(やっぱり問題はあいつだよな。本当に面倒な奴だな)
加瀨のことを考えると一気に気が重くなった。まるで外を埋める闇に飲み込まれてしまいそうだ。
(しばらくあいつの動向には目を光らせた方がいいな。仕事もなるべく、あいつに投げるようにして、あの件を調べる時間を与えないようにしよう。やる気だけは無駄にあるから喜んで引き受けるだろ。そうなれば、とてもじゃないけどあの画像に関して調べる時間は取れないはずだ。俺にとっては都合がいいよ)
 陣内はニヤリと笑った。
(なら、明日の仕事はあいつに任せるとして、俺は帰るとするか)
 簡単に明日の仕事の割り振りを決めると、陣内は退社の準備に取り掛かった。
 だが、ふと時計を見ると時刻は既に十二時を回っていた。この時間になると、終電はギリギリだ。今から駅まで走っていかなければ間に合わない。
(面倒だな)
 現在時刻を見たことで、陣内は帰宅を断念した。どうせ駆け込んで終電に乗車したところで、寝るだけで終わってしまう。朝になればまた、満員電車に揺られて出勤することになる。
(それなら、今夜も行くかな。もう終電には間に合わないだろうし。こういう時は一人でいるより、騒いだ方がいいだろ)
 考えている内に時間が進んだことで、陣内は酒に逃げる道を選択した。心にある重りを取るには、行きつけの店で騒ぐのが一番だ。憂さだって晴れるだろう。窓から外を見ると、酔っ払った男女が嬌声を上げながら歩いていく。ネオンの下で楽しんできたようだ。
(あっちの方がいいよな)
 酔っ払いを見たことで陣内は、手早くオフィスの戸締まりをすると、蜜に引き寄せられる蝶のようにネオンが瞬く方向へと歩いていった。 

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