「カエシテ」 最終話
62
「公子さん。遅かったわね」
公子の顔を見ると、アミが笑顔で迎えた。
「いやぁ、疲れたよ。老人に優しくしない会社だからな。あそこは」
公子は腰をさすりながら端の席に座った。すぐにアミがお茶を出す。公子は大事そうに湯飲みを両手で包み込むと、口へ運んだ。
「なら、もう辞めたら。お婆ちゃんだって、いい年なんだから。厳しいでしょ。清掃の仕事は。もう目的だって果たしたわけだし。無理してあそこに居続ける意味はないじゃない」
由里が同情の目を向けている。
「そうするかな。さすがにしんどいから」
湯飲みを置いた公子の手は再び腰へ伸びる。彼女は清掃員としてあのビルで働いているが、北見一家とつながりがあった。アミの母親だ。由里から話を持ち掛けられ一肌脱ぐことにしたが、その代償は大きかったようだ。
「そうした方がいいよ。お婆ちゃんは立派に大役をこなしたから。本当にアカデミー賞ものだったもの。お婆ちゃんの芝居は」
そんな祖母を由里が称えた。
「本当に。それなら見たかったわ」
「そうだな」
北見夫婦は頼もしそうな目を公子に向けている。
「そんなことはないけどな。でも、確かにあの男は信じていたようじゃな」
二人の視線を受け公子はニヤリと笑った。加瀨に対しては霊能力者を演じていたが、あれは全てでたらめだった。いかにも深刻そうな顔をして演技していたにすぎない。何も知らない加瀨は、その話を鵜呑みにしていたわけだ。公子としても出来ることならあんなことはしたくなかったが、可愛い孫娘がむごたらしい殺され方をしたとなれば話は別だ。老体にムチを打って清掃の作業をこなすと復讐劇のため、一役買ったわけである。
「そうよ。休憩から戻ってくると、よく考え込んでいたから」
当時を思い出し由里は笑っている。
「まぁ、とりあえず、これで終わりだからな。良かったよ。しばらくゆっくりしよう」
「そうした方がいいわよ。お婆ちゃんは」
「あぁ、そうするよ」
またしても公子は腰をさすった。
そうして四人は、久し振りに団欒の時を楽しんだ。
いやっ、厨房を覗くともう一人いた。
楓だ。
厨房には楓の遺影があった。
遺影の前には、ビールの入ったグラスが置かれ、隣には箱がある。中には、一冊のノートが入っていた。楓が怒りを書き殴ったあのノートだ。ノートはもう二度と誰にも見られないように、厳重に箱の中にしまわれていた。
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