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「カエシテ」 第34話

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「ああいうことはよくあるんですか」
 茂吉の家を出、少し歩いたところで純が聞いてきた。民家が立ち並ぶ一角から拓けた道へ出たものの、突き当りは一面に渡り田んぼが広がっている。遠くには、新幹線の高架が見える。二人は、その道でタクシーを拾おうと目論んでいたが、車の交通量は少ない。通ったとしても、トラックやワゴンばかりだ。地元の人は、抜け道として使っているのかもしれない。
「あれはレアケースだよ。俺も初めてだから。あんなに逆上されたのは」
 道路に目を向けながら加瀬は答える。しかし、それは咄嗟についた嘘だった。この手の話を聞いて回ると毎回、ああいう人間にぶつかるものだ。誰だって、自分の周囲で不可解なことが起きているとは認めたくはないものだ。特に老人はそうだ。途端に怒りを見せる。今回は、その典型だった。
「そうなんですか。ビックリしましたよ。あんなおじいちゃんがいきなり怒り出したんで。東京では老害が多いから、よくああいう人がいますけど」
 口では怖がっているようなことを言っているが、実際は違うようだ。表情を見ると余裕がある。大体、今どきの若者があの程度でビビるわけがない。腹の中でバカにしているに決まっている。友人に会えば、すぐにでも話題にして大笑いするはずだ。
「老人は扱い方を間違えると怒り出すのもいるからな。気を付けなかった俺が悪いんだよ」
 そう思いながら加瀬は頭を掻いた。ただし、目を向けている道路には相変わらずタクシーが来ない。二人をあざ笑うかのように、農作業を終えたトラクターが走り去っていった。
「なかなか大変ですね。取材は」
「何だよ。まさか取材が嫌になったのか。せっかく志願したのに」
 純の表情が曇ったため、加瀬は聞いた。
「いえっ、そういうわけじゃないんですけどね。結構、ハードだなと思ったんです」
「そりゃあ、そうだよ。取材はタフじゃないとできないから。俺達なんてまだ雑誌社だからいいけど、週刊誌や新聞記者だったらもっと冷遇されるんだから。門前払いは毎度のことで、声を掛けたって相手にされないことの方が多いって聞くから」
「本当ですか。私には絶対無理だわ」
 純は大きく息を吐いた。空では何羽もの鳥が群れとなって北へ飛んでいく。
「そういうところに比べれば、うちはマシな方だろ。取材だって毎回あるわけじゃないんだから」
「でも、その分、うちには陣内さんがいますからね」
 話していることで純は少しずつ胸にたまる不満を吐き出すようになってきた。
「やっぱり、そこになるのか」
 加瀬は苦笑いした。部下の不満を聞くと、必ず陣内の名前が出てくる。
「えぇ、誰だって思いますよ。あの人には。ちなみに、取材の結果に対してもあの人は口を挟むわけですよね」
 寒さに足踏みしながら純は探りを入れてきた。
「あぁ、もちろんだよ。気に入らなければ容赦なく雷を落とすし」
「最悪」
 純は天を仰いだ。とことん陣内を嫌っているようだ。
「やっぱり取材は辞めた方がいいかもしれないですね」
 ついには聞きたくない言葉が出てきた。
「でもな。取材だっていいことはあるんだぞ。特に今回のように地方に来ると」
 風向きが悪くなってきたことで、加瀬は奥の手を出すことにした。
「どういうことですか」
 田んぼに目を向けながら純は聞く。
「この後も取材は続くけどな。夜になれば、地元の料理をたらふく食えるんだよ。酒も含めてな」
「本当ですか」
 現金なもので純の目は一気に輝いた。
「あぁ、本当だよ。取材が終わったら新潟駅前へ行こう。たくさん居酒屋があったから。ああいうところに行けば、地元の料理がたらふく食えるはずだよ」
「いいですね」
 純が笑顔を見せたところで、ようやくタクシーが走ってきた。加瀬がタクシーを止め乗り込むと、取材に向かった。
 そして、夜になったところで約束通り、新潟駅前に足を運び、地魚をメインに出す居酒屋に入った。店は、右側がいけすとなっていて、注文を受けると店員が網で魚を掬い捌くため、新鮮さが売りのようだ。左側にある厨房はどの席からでも中が見えるようになっていて、職人の見事な手さばきを携帯で撮影している人もいる。店内には有線が流れ、家族連れやサラリーマンを中心に賑わっている。
「やっぱり地元の魚は美味しいですね」
 海鮮丼を頬張りながらも純は笑顔を見せている。すでに日本酒も飲んでいるため、頬はうっすら桜色に染まっている。機嫌の方も直ったようだ。
「そうだろ。これが取材後の醍醐味だからな」
 満足してもらえたことで加瀬も海鮮丼を口に運んでいく。刺身は何種類も盛り付けられているが、どれも新鮮だ。東京で食べれば目が飛び出るような値段になるのだろうが、地元だけに驚くほど安い。お陰で、何の気兼ねもなく食べることが出来ていた。
「明日はもう帰るんですよね」
 コップに残っていた日本酒を飲み干したところで純は聞いてきた。
「あぁ、陣内さんから何の指示も出なければ、帰る予定だよ。長居したら、またチクチク言われるからな。正午ぐらいには会社に戻れるんじゃないかな」
「えっ、そんなに早く戻るんですか」
 予想外だったのか、純は顔をしかめた。
「そうだよ。嫌なのか」
 加瀨は苦笑いする。
「だって、地方に取材できたわけですから、せめて明日一日は会社から離れていると思っていたんですけどね」
「それは甘いよ」
 稚拙な言い分に加瀨は笑った。
「別に俺達は遊びに来たわけじゃないんだからな。仕事で来たんだ。その結果を会社にいる人間は首を長くして待っているんだ。取材に出た人間からすれば、一日でも早くその結果を届けないといけないわけだよ」
「そうですか。現実はやはりシビアですね」
 ふて腐れたように純が言った時だった。
「はい、お待たせいたしました」
 と、ねじり鉢巻きをした威勢のいい店員がやって来た。
「ほらっ、来たぞ。食べろよ。ノドグロだぞ。これは高級魚だからな。東京にいたら滅多に食べれないものだぞ」
 届いたばかりのノドグロを加瀨は勧めた。
「本当ですか。それならいただきます」
 高級魚という言葉に純の機嫌は直ったらしい。目の前に置かれた皿に輝く視線を送っている。見た限り、どこが高級魚なのかわからなかったが、箸を伸ばしていく。
「あっ、本当に美味しいですね。この魚」
 どこまでわかっているのか不明だが、純は満足したらしい。次々と箸を伸ばしていく。
「そうだろ。しっかりと味わってくれよ」
 加瀨は目を細めながら見守っていたが、心では泣いていた。ノドグロは自分で食べる予定だったのだ。
「美味しかったです」
 その中、純はたちまちノドグロを食べてしまった。

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