見出し画像

「カエシテ」 第54話

   54

 ついに従業員は二人となってしまったため、仕事量は増えていくばかりだった。加瀨は今までしたことのない仕事まで受け持っている。情報提供してくれた人の元へ足を運び、詳細を聞いていた。今は帰途で最寄り駅から会社へ向かい歩いているが、オフィスに戻れば山のように仕事が溜まっている。考えただけでも頭が痛かった。対照的に路地には、昼過ぎと言うこともあり近隣の会社員で賑わっている。ランチをどこで食べるか吟味しているのだろう。あちこちで社員がたむろしている。
(これじゃあ、とてもじゃないけど雑誌の発行に間に合わないよ。一体、この後はどうするつもりなんだろう。今は派遣とか、隙間バイトって言う楽なシステムがあるんだから、利用すればいいのにな)
 歩きながらも加瀨は、陣内のやり方を批判していた。急な人材が必要な場合、派遣は打ってつけだ。だが、陣内は利用することはない。
 理由は、金だ。
 派遣を雇うとなると、バイトをよりも金が掛かってしまう。雇った派遣が即戦力になればいいが、そうじゃないケースもある。もしも後者だった場合、金をドブに捨てるようなものだ。陣内はそういう考えを持っていたため、派遣を雇わなかったのである。隙間バイトに関しては、システムを知らないのかもしれない。
(陣内さんにはもう少し、柔軟性を持ってもらいたいものだよ。こんな時代遅れな会社じゃ従業員が損するだけだからな。給料は安いんだから、あれだけ傍若無人な態度を取っていたら、入ってきても長続きしないだろうし。割に合わない仕事ばかりだもんな)
 会社のやり方を考え、加瀨は溜息をついた。
「止めときな」
 すると、途中で声が掛かった。
 目を向けてみると、公子が立っていた。清掃の仕事を終え、帰るところらしい。ジーンズにコートを羽織っている。
「もう、あの会社には戻らない方がいい。ろくな事が起きないぞ」
 周囲には大勢の会社員が行き来していたが、公子は気にすることなく忠告してきた。
「それは、どういうことですか」
 会社へ急いでいた加瀨だったが、足を止めた。
「あの会社はもう終わりだという事じゃよ。この言葉の意味は。働いているんだからお前だって薄々感じているだろ。気付いていなければ余程鈍感だな」
 公子の顔に不敵な笑みが浮かぶ脇で、カラスがゴミを漁っている。
「会社で何か起こっているということですか」
 思わせぶりな話を受け加瀨は一歩詰め寄った。
「いやっ、そういうことじゃない。会社じゃ何も起こっていない。事が起きた場所は別じゃ」
「どこですか。その場所というのは」
 加瀨の声は思わず大きくなる。周囲の人は思わず振り返ったほどだ。ただし、カラスは無心にゴミ袋を突っついている。
「それは言えるか」
 公子は答えを濁した。
「大体、お前は雑誌社で働いている人間なんだろ。取材も仕事の内だろ。何でも私に聞かないで、自分の足で調べてみろ。すぐに楽をしようとする人間はダメ人間になるぞ。口先だけのな。そういう大人はいっぱいいるだろ」
「なら、あなたもそんな思わせぶりな言い方はしないでくださいよ。大体、こっちにはもうあなたの正体はわかっているんですよ。高城公子なんて名前は偽名なんでしょ」
 苛立っていることもあり、加瀨は突っかかった。
「何を言っている。私の名前は正真正銘、高城公子じゃよ。違うと言ったら、何だと言うんだよ。ほらっ、見てみろ。証拠じゃ」
 さすがにムッとしたようだ。公子は不快な顔をすると、腕に提げていたバッグから何かを取り出し差し出してきた。
 受け取ると、マイナンバーカードだった。すぐさま見てみると、確かに高城公子という名前が表示されていた。写真も間違いなく、目の前にいる女性のものだ。手で触れている限り、偽物ではないようだ。
「どうだ。これでわかっただろ。私が名前を偽っていないことが」
 公子は時間切れとばかりにマイナンバーカードを取り上げ、バッグに戻した。
「はい、すいません」
 ここまでされては、自分達の考えが違っていたことを認めるしかない。加瀨は肩を落とした。
「大体、私が高城公子じゃなきゃ誰だと思ったんじゃ」
「北見明美ですよ」
「北見明美? そうか、あの女の母親か。となるとお前達は、私があの被害者の母だと思っているのか。あまりにも話が的を射ているから。これは傑作だな。いかにもお前達のような三流雑誌社が考えつきそうな答えだ。間抜けだな。そんな発想しか思い付かないから、いつまでもあんな三流雑誌しか作れないんだよ」
 全てを察し公子は高笑いした。それに合わせてカラスが鳴く。
「違うんですか」
 とても嘘をついているようには見えなかったが、悔しさから加瀨は確認を取った。
「だから、違うと言っているだろ。わからない奴だな」
 公子は鼻を鳴らした。
「大体、お前はこんなところで油を売っている場合じゃないぞ。追い詰められているんだからな。また一人犠牲者が出るぞ。あの会社の中から」
「誰ですか。それは」
 加瀨は聞いた。またしても声が大きくなる。丁度、宅配業者が台車を押して通り過ぎていったが、それでもしっかりと聞こえたほどだ。カラスは、その音に驚いたのか、鳴きながら飛び去っていった。
「また質問か。本当に質問好きだな。一体、何度言えばわかるんだ。疑問は自分で調べろと言っているだろ」
 公子は数分前と同じ答えをくり返した。
「とにかくな。あの会社は危険じゃ。もう風前の灯火だよ。潰れる前に人はいなくなるぞ。今のうちに去った方がいい。お前もあいつらと同じ目に遭いたくないのであればな」
 そこまで告げると公子は歩き出した。小さな背中は、たちまち雑踏の中へと消えていく。
(くそっ、一体、何が起こっていると言うんだよ。会社では)
 加瀨は仕方なく会社へ向かい走り出した。
「さぁ、どうなるかな。これは見物だ」
 その後ろ姿を公子は笑って眺めていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?