伝え残したいものがあるから、彼らは「J」を背負う
例によって嵐についての雑談の文脈から、嵐のアクションを通して考えた「世界に向けて広く発信する」ことに対する個人的な所感です。
事実ではなくあくまで個人の所感ですので、悪しからず。
「日本から世界へ」の違和感?
先日「日本から世界へ」という話の時に、若者は日本企業なのか、韓国の企業なのか、気にしていない。「SONYって日本の企業だったんですか?それ、どこで知るんですか?」という発言がそれを象徴しているだろう、という話題が出た。
日本も世界の一部なんだから、日本から世界へという言葉には「日本」が前提にあり、世界は別のものという境界線があることが、違和感に繋がっているのではないか。という話で盛り上がり、
これからは国籍に関係なく、世界に向けた戦略を持てるチームが強いのでは?と続く。
たとえば、
BTSは国籍を気にしないで、「世界」を相手にした戦略をとっている。
そして、そのあとにBTSの対比として、「嵐は残念ながら日本が前提にあるよね」と続いた。
のだが、(嵐が世界に向けていろいろ始めているのを知ってくれているのはとても嬉しいけれども!)
「残念ながら」というワードに、個人的に非常にもやっとしたので、あのときの自分の「もや」を言語化しつつ消化する。
つまり、それは本当に残念なのか?ということを消化したい。
あえて「日本から」にこだわる理由
なぜわざわざ日本やJ-POPを前提にした発信をするのか(しているように見えるのか)と考えると、それは残し伝えたいものがあるからなのではないか、と考えた。
2019年11月3日にyoutube上で行われた会見と同時にリリースした「Turning UP」の歌詞にこんな一文がある。
世界中に放て
We're turning up with the J-pop!
世界に向けた第一弾のリリース曲という象徴的な曲にわざわざJ-popと入れる理由はなんだろうか。
リリース当時J-popは、Japanese Pops 以外に、Johnny'sのJなのでは?などという推測もあった。
真意は定かではないが、私はJ-popという文化を、ジャニーズという文化を、世界に伝え、残していきたいというのが理由ではないかと感じた。
伝え・残していく、伝承していくことはとても日本的だなと思ったし、受け継いぎ繋いでいく姿こそ、彼らがこれまで受け取ってきたものなのではないか。
先輩の姿から学び、受け継いで自分たちのエッセンスを足し、後輩に引き継いでいく。そうしてこれからも続いていってほしいという願いなのではないか。
受け継ぎ伝えていきたいことがあるから、あえてJ-popを背負っているのだ。
自分の強さに
そう考えると、しがらみにもなり得るものを自分たちの強さに変えて、世界に向けて発信していく姿はとても力強く美しい。
しがらみと伝統は表裏一体かもしれないけれど、「しがらみ」としてとらえるのではなくて、自分の「強さ」に変えていけるのなら、より伝えたいメッセージが伝わっていくはずだ。
最後はいつも、自分もそうでありたい。という思いになるのだけれど。
今回もまた勝手に、嵐に励まされる出来事が増えた。