何度も戻ってくる必要があるけれど、何度も戻ってきている
というワードがこの前コーチングを受けていた時にふと浮かんだ。ので忘れないように書き残す。
今回、うっかり、でも割と強く感じた違和感を言語化してみて思ったのは、
やっぱりより良い方法で、よいコーディネーターを増やし、広げていきたいなと。
良いコーディネーターがいることは、世の中にまだ見ぬ様々な役割が増えていくことだと思うし、それはやっぱり楽しく生きられる人が増えることに繋がるなあと思うので。
だからそれが自分のベースなんだな、と改めて思った。別に今回初めて思ったことでは全くないし、むしろ今までも思っていたことでしかないけれど。
そういえば何がやりたかったんだっけな。って何度も思い出す必要があって、変わっていくことだとも思うけれど、なんだかんだ同じところに戻ってきているし、やっぱり同じところの周辺をうろうろしたり掘ったりしているだけのような気もする。
我ながら、しつこい、本当に。よく飽きないなと思う。
何回忙殺されてそこから離れても、クジラが呼吸するために浮上するように、思い出したときに毎回ハッとする。そんなに毎回ハッとしなくていいじゃんと思うけど、いつもハッとして違う世界を発見したみたいになる。違う世界なのに、見据えているものは同じという不思議。これまで何度も遠ざかり、遠ざかるたびになんだかんだ、何度も戻ってきている。
去年の10月まで続いた(と思っている)「遠ざかり」は、まあまあ過去のなかでも長かった。遠ざかりすぎると見えなくなって余計なことに気をとられて全くよくない。と、今なら様々に思い返せることもあるけれど。
改めて、やっている仕事の領域が関心領域に遠い/近いではなく、自分の(小室さん的に言うと)北極星に向かっている感覚があるかないかの方がよっぽど大事だ。普通に暮らしているとあっさり流される。だから何回も思い出すんだけど。
立ち返る場所を見据えながら離れた領域の仕事をできると、すごく学び深いし、遠いから逆に見据えやすいというのもあるなあと思った。見えやすい距離感はその時によっても個人によっても変わるので。
ということで(どういうことで?)個人的には仕事含めて諸々立ち戻って振り返る良い機会になるので、二宮和也氏がMOREで連載していた【一途-It-】を改めて集めようと思った。雑誌用に編集した言葉だと思っているけれど、だからこそ、仕事感があって、節々に仕事に対する姿勢が見られて、とてもよい。
未だに本にならないかと期待しているけれど、しばらくならないよね…。
たしか最終回の掲載号の発売が釜石の合宿と被っていて(ということは活動休止発表の翌日で)こっそり昼休みにイオンの本屋まで買いに行って読んだ記憶がある。諸々含めて思い出深い、釜石のイオン…