主体的な応援と消費的な応援
みなさんこんにちは。
日々人々の推しを見つけ、お互いの推しトークをしたいがためにいろんな人に「推し活」を推奨している瀬沼です。
3月も勝手に人の推しを掘ってしまった、推しの押し売りは良くない。
ごめんなさい。
と言いつつ、推し活している人は楽しそうに見えるらしく(実際楽しい)
「推しっていいなと思うんだけど、いないんだよね~」
という声をたくさん聞くようになりました。
私の中での推しは、自分が主体的に応援している対象はだいたい全部推し、だと思っているので、いわゆる世間で言われる推しではなくても「概念推し」の人もいるんじゃないかなと思っています。
でも世の中には、「消費的な応援」と「主体的な応援」があると思っているので、何が消費と主体を分けるのかを書いてみようと思います。
「消費的な応援」
好意的な印象を持っているけれど、自分から積極的に調べたり、時間を割いたりはしない対象はだいたいすべて「消費的な応援」だと思っています。
そこに流れていたら見るけれど、なんとなく見ているテレビ、なんとなく見ているYouTubeの動画、各種SNSの情報、大半の有名人、大半のスポーツ選手など。
私にとっての大谷翔平選手とか、私にとっての3coinsの商品とか、大半のお洋服とか、大半の化粧品とか。
しかし、いまや自分の興味関心があるものはSNSのタイムラインにも検索欄にも大量に流れてくるので、消費的な行動だけで永遠に時間経過してしまうのが「推し」が分かりづらくなっている要因ではないかなと思います。
「主体的な応援」
好意的な印象を持ったうえで、自分から主体的な行動を伴っているものが「主体的な応援」だと思っています。
お金をかける、というのは現代では一番わかりやすいですが、それ以外にも時間をかける、思いを寄せる、ほかの人に薦める、などなどいろいろなかかわり方があると思います。いずれにしても、自分が主体的にその時間やお金/気持ちを割いているかどうかがかなり大きな分かれ目かなと思います。
グッズを買う、わざわざ時間を取ってコンテンツを見る、聖地に行く、毎試合応援に行くサポーターたち、リターンを期待しない寄付・・・などが主体的な応援なのではないかと思います。
私にとってのKinkiKids、Vリーグの試合、ワールドトリガーなど
「推し」
推しと主体的な応援は違うのかと言われるとほとんど一緒の気もしますが、
主体的な応援をしているうえで、さらに「他の人に薦めたいかどうか」が推しの語源でもある(?)ので、他の人を誘いたいかどうかが、応援がさらに一段深まった「推し」という概念に近いのかなと思いました。
他人に薦められる状態は自分自身もその対象をよく理解していないと難しいので、やっぱりある程度の時間と思いを割いて、相手に伝えてもよいと思えるくらい自分の中で思えているということが一番大きいのかもしれない。
自分の価値観に合わないと絶対に主体的な応援はしないので、自分の大切にしているものや価値観を非常に反映するのではないかと、今でも思っています。
推しは鏡!なので迷ったときこそ推し活だなと思っていますし、ぜひ皆さんにも「自分の推しは何だろうな?」と考える機会を通して自分が大切にしていることを発見する機会になると嬉しいです。