なぜ私は嵐の記事を書きたくなるのか
正確に言うと嵐の記事ではない。
嵐の行動や立ち居振る舞いから見た、私のありたい仕事との向き合い方記事だ。
彼らの立ち居振る舞いから勝手に、ああこれは自分がありたい姿だ。という部分を見つけて(勝手に重ねて)書いているだけなのだけれど、それがあまりにも高いレベルで実現されているもんだから、お手本にせざるを得ない。
よく働き、高いクオリティーで、良きパフォーマンスを行うこと。周囲からの期待と自分たちが表現したい世界観の両立。そのどちらもを高いレベルで実現し続ける力。
いろいろあるけれど、一番は、互いへの尊敬と信頼に基づくコミュニケーション。
それを一番表しているのが活動休止という意思決定だったと思うけれど。
それまでも10年ぐらいファンクラブには入っていたけれど、それまでは単に入っていただけで、あの意思決定で完全に単なる好きからが尊敬に変わった。
前にも書いたけれど、あそこで彼らが活動休止という意思決定をして、それを約2年前というタイミングで世の中に公表しなければ、たぶん私は仕事を辞めていたと思う。いったん立ち止まるいう選択肢が全く頭になかったところに、休止という選択肢を与えてくれたのは、間違いなく嵐だ。
つまり、私は嵐を通して自分を見ている。
いま、嵐を通すと、とてもクリアに自分を見つめなおせる。
それはもう、仕事なんて比べ物にならないぐらい素直に、純粋に。
だから私は嵐の記事を書き、嵐を通して自分を顧みるのだ。
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