
ドラマトゥルギーって…何?
ドラマトゥルギーという耳慣れない単語を聞いた。
ドラマツルギーとも言うらしい。
元来、演劇の世界で、その手法を指す用語であったらしいが、アーヴィング・ゴッフマンという米国の社会学者によって、社会学の分野に拡張された概念だという…。
#ドラマツルギー


それは、平たく言えば…
人は皆、演技しながら
社会生活を送っている
というものらしい。
なるほど…、え?
演技しながら生活しているだって?!
いや、そんなことはない!
自分は、やりたいように自分に正直に、自由に生きているんだ!
とも言いたくなるし、演劇の知識はないけれど〝日常の演技〟については、ちょっと面白そうなので、紐解いてみよう…?
『あまちゃん』に見たかもしれない、ドラマトゥルギー?
自分は、大の『あまちゃん』ファンなので、すぐ引き合いに出してしまうが、多くの方が視聴されていたと思うので、イメージを共有しやすいかな、とも思って…
『あまちゃん』は、ドラマだからフィクションじゃないか!と言われるかもしれないが、そこをリアルと仮定して解釈いただきたい。
ただし、これがドラマトゥルギーにあたるのかどうかは、確証できませんが…😂
アキの変身は偽物…?
【 あまちゃん 第17回より 】
ユイ: 今日、訛ってないね。
アキ: あっ、そうだね。最近浜に出てないから戻っちゃったのかも。
ユイ: そっちのほうがいいよ。アキちゃんが訛ってるのなんてウソだし、不自然だし、なにか馬鹿にされてるような気がする。

無人駅のホームでのアキとユイの会話は、私のお気に入りのシーンなのだが、ユイはアキが〝にわか東北弁〟をしゃべっているのがお気に召さないらしい。
東京に憧れて「アイドルになりたい」ユイにとっては…
ユイが言うようにアキの〝訛り〟はウソなのか?
アキは、はたして〝偽物の自分〟を〝演じている〟のだろうか?
自分としては、答はNOだ。
結論から言うと、アキは海の中で、それまでの自分の虚像を捨てて
「本物の自分を、獲ったど~!」
だったのかもしれない。ウニは獲れないけれど…
私の嫌いなものばっかり好きにならないでよ!
という母春子の遺伝子から、隔世遺伝的に夏婆っばや、天野家のDNAが目覚めた…
いわば自分のなかの元素《 element 》のようなものが蘇ったのだろう。
決して嘘とか演技ではなく、自分との激しい格闘の末に選択した〝変身〟だったのだが…、ユイには東京から来た女子高生の気まぐれな酔狂ぐらいにしか見えないのかもしれない。
ー element ー
需要と供給の
ドラマトゥルギー?
【あまちゃん 第21、22回より】
アキ: そんなのインチキだべ。
弥生: インチキなんて人ぎきの悪い。
アキ: あんべちゃんが獲ったウニを、自分がとったような顔してお客さんに出すなんてできません 。それじゃあんべちゃん、まるで落武者だべ…
・・・
夏婆: 『観光海女』は接客業、サービス業なんだど。
アキ: サービス業?
夏婆: お客さんを第一に考え、サービスする、それが基本だ。自分で獲りてえとか、あんべちゃんに悪いとか、そんなん知ったこっちゃねえ。サービスする、喜んでもらう、また来てもらう、おららが考えるのはその事だけだ。ウニは銭、海女はサービス業、わかったな。
夏婆っぱにキツく説教されたにもかかわらず、アキには「観光海女は、サービス業」の意味が理解できなかった。
そして、アキのファンだという横浜から来た親子に
「あの人(安部ちゃん)が獲って、海の中でこっそり渡してくれるんです。凄いっぺ。」
と、からくりをタネあかししてしまう。
純粋に「海女になりたい」と、決意した女子高生のアキにとっては、いくらサービス業だといわれても、いわゆる〝ヤラセ〟は受け入れられなかったのだろう。
いわば商売としてのテクニックだが、パフォーマンス、極端に言えば〝ヤラセ〟も一種のドラマトゥルギーに入るのだろうか?
アキ: 需要と供給?
ユイ: そう、だってアキちゃん自身潜るのが好きで、お客さんも喜んでるわけでしょ?需要と供給つりあってるじゃん。
アキ: そうなのかなあ。
ユイ: そうだよ。だってダルダルのおばさんが潜ってウニ獲ってきてもお客さん納得しないわけじゃん。
アキ: ダルダルのおばさんって、誰の事言ってんだろ?
・・・
アキ: ユイちゃんはさ、電車乗って、記念写真撮ったり、握手したり、サインしたりして楽しい?
ユイ: いやぁ、楽しくはないけど、それが今、望まれてる自分だからね。
さすがユイは、アキと同い年にもかかわらずえらく達観している。
考え方が夏婆っぱと同レベルだ。
自分も身の回りに〝東北出身者〟が居るが、寡黙ながら、考え方が〝しっかり〟している人が多く感じる。
やはり厳しい気候による凶作などを経験してきた土地柄なのか?
東北に限らないが、要するに地方、特に過疎地では、アキのような都会人の正論じゃ生きていけない厳しさが土台にある、と言ったら大袈裟だろうか?
足立ユイのアイドルへの憧れの裏には、やはり過疎地の厳しさが根っこにあるし、そこは春子にも共通するが、アキにはわかりにくいところなのだろう。
「それじゃあんべちゃん、まるで落武者だべ」というアキだが、その後、落武者どころではない、母春子がアキの憧れの大女優、鈴鹿ひろみの〝歌の影武者〟であったことを知るのだ。
たとえば「ヤラセ」とか「需要と供給」などの、ある意味教訓的なテーマが、時間と場所を変えて「これでもか?」と、相似形の如くアキの前に現れるところが、このドラマのオモシロいところでもある。
【 あまちゃん 第20回 より 】
アキ: 仕事楽しいですか?
足立ヒロシ:え?
アキ: あ、興味ないのに聞いちゃった、すいません。
ヒロシ:興味、ない?
アキ: 海に入ると嘘がつけないっていうか、つい本音が出ちゃうんです。
ヒロシ:楽しくはないけど、とりあえずおやじはホッとしてるんじゃないかな、世間体ばっかり気にする人だから。
(ヒロシの父:23にもなって昼間からうろうろして…世間体の悪い!)
アキ: ホントにそうかな?
ヒロシ:え?
アキ: 世間体気にしてたら、私の前でストーブさんブン殴ったりしないと思う。親として、本気でストーブさんの事が心配なんじゃないですか?
アキとヒロシは、どこか似た者同士という感じがする。自分にも他人にも、ウソがつけない不器用な正直者だ。
ヒロシは、アキのことが好きで、海が好きなアキの動画を撮っていた。それをPR動画としてアップロードしたら、予期せぬオタクがワンサカ押し寄せてきた。
そこには、ユイが言うような
「需要と供給」とか「望まれてる自分だから…」
というような冷めた計算は、感じられない。自分の好きなことを、やりたいようにやっているだけだ。
需要と供給、といえども、どこに需要があるのかは、わかりにくい。
「自分が好きなこと」とは「需要と供給」というターゲットからは、全く的外れとは言えないだろう。
興味を持つ人、共感する人は予想以上に沢山いるはずだ。
PRには、ある程度の演出(ドラマトゥルギー)が必要かもしれないが…
正直者はゆく