「好き」に〝正しさ〟なんていらない
のんちゃんのサングラス姿
クールで格好いい!!
これを見て
フッと思い出した動画…
Kim Carnes - Bette Davis Eyes
キム・カーンズ
ベティ・デイビスの瞳(1981年)
ロッド・スチュワートのような
ハスキーボイスと、独特なリズム
🥁
ンタタ ツッタ、ンタタ ツッタ
これが妙に耳に残る曲
ベティ・デイビス
Da Ya Think I'm Sexy?
キム・カーンズとロッド・スチュワート
みごとにシンクロしてる?
Short Hope【のん全てを語る2/
改名、俳優、怒り、後悔、希望】
(全4回)
あえて役の幅を広げて
セクシーなキャラクターをやってみよう
という気持ちはないんですか?
と、質問されるが…
「(セクシーな役の)才能がないです!」
と語るのんちゃん。
(動画の12分あたりから)
そもそも
セクシーとは何ぞや?
性的魅力のあるさま。
性的なものを感じさせるさま。
「セクシーな表情」
セクシーと言うと、アダルト、エロい、エッチなキャラクターというステレオタイプが定着しているので、のんちゃんが敬遠されるのも無理ないと思う。
のんちゃんからも、敬遠されてしまった可哀想な形容詞『セクシー』のリベンジのために、ちょっと考察してみよう。
なんとセクシーの意味が
閣議決定されていた。
気候変動対策に取り組む、小泉進次郎元環境相のセクシー発言。
経緯や内容はともかく、政府のお墨付きで『セクシー』の意味が、ワンランク格上げされのは良かったのではないか?(笑)
ところが…
セクシー過激ダンス懇親会
の意義は『多様性』?
せっかくイメージが上向いたと思われた『セクシー』ちゃんは、血迷った『多様性』君とダンスしながら地に落ちたのでした。
良し!
これはセクシーにとって
明るい兆しかも…
女性としての内面的な豊かさを感じられるような奥深いセクシーさを表現できる女性になりたい…
≪内面的な豊かさを感じられるような奥深さを表現≫
セクシーに、これが正しいという意味はなくて、時代とともに変化してゆくのかもしれない。
『あまちゃん』の天野アキは、そういう意味では、新たなセクシーキャラクターであったと思う。
フィジカルな性的表現ではなくて、内気な少女が、心の殻を自ら脱いで成長してゆく「日本一の天野アキ」を演じたのんちゃんは、すでにセクシーを演じていたのだ。
さらに昨年の『荒野に立つ』は、のん本人が心のベールを脱ぐ、エモーショナルにセクシーなMVと言えるかも知れない。
先日のスイッチインタビューで、百田さんも、「苦しくなる」と感想を述べていたが、たしかに視るたびに胸がキュンとなるMVである。
たしかに世の現実は、先述のニュース記事のように、「セクシー」とか「多様性」という語彙が、イミフ(意味不明)に濫用されてしまっているのが実情かもしれないが、そんな『多様性』の形骸化を、打ち破るような映画を視てショックを受けたのだ。
その映画とは
『正欲』
フェチとか、性的対象が人以外であること。
フィクションとはいえ、そんなこと「ありえない」と思う〝普通人〟ほど、ショックを受けるのではないか?
その「ありえない」と思う浅薄さが、視る自分にダイレクトに撥ね返ってくるから…
ここの登場人物たちは、まさに『多様性』というマトリックスから漏れたアノマリーのようだ。
原作を読んでいないので、よくわからないが、この『正欲』という不思議な題名は、「正しい欲求なんてものはない」という、『多様性』へのアンチテーゼを含んだレトリックなのかもしれない。
生きるために必死だった道のりを
「ありえない」って簡単に
片付けられたこと
ありますか?
予告編にもある新垣結衣さんの台詞だが、彼女や検事役の稲垣吾郎さんらの好演によって、とても深い問題への理解を導いてくれる。
『さかなのこ』では、ミー坊にリスペクトするツッパリ総長だった磯村勇斗さんが、今度は壮絶な「自己肯定」ドラマを、新垣結衣さんと共に演じている。
また、検事と彼の子供や、妻との関係が、映画『さかなのこ』のミー坊親子関係と似ていて、その既視感から話を理解しやすかった。
世の中が、どのように変わろうと
力で正しさを押し付ける側ではなく
純粋な〝好き〟(自由)を持ち続ける人
そういう人の側に居たいと思う
♪Bette Davis Eyes
歌い方、評価の仕方
いろいろあって、いいね…