私をくいとめて ③
みつ子の怒りとSDGs
「お一人様」の時間、空間をこよなく愛するみつ子だが、決して「引きこもり」ではなく、定職に就いて周囲の人々とも一定の距離を保ちながら(ディスタンス?)仕事をこなし、プライベートなコンフォートゾーンをしっかり確保している。
タイムリーにも今はコロナ禍によって、「お一人様」「ステイホーム」が新しい生活様式の基本となっているが、まさにそのお手本のような暮らし方だ。
オフィスでは、来客にお茶を出すみつ子。
その来客のひとり、多田君は女性らしい清楚な雰囲気のみつ子に惹かれたのだろう。
女子社員がお茶を出す。
ごく普通の光景…
だが、これを見てどこかピンと来た…
ここで既に、この映画の深いテーマ、というか問いかけのような伏線が…
お茶は、女性が出すもの…?
お馴染みの、お茶のCM。
和室に正座した和服姿の初老のお父さん。
「お~い、お茶」と、妻を呼ぶ。
妻は出てこないが、「はい、あなた」
と、熱いお茶を運んでくるのだろう。
これは、古き佳き日本家庭の光景。
今だったら「お茶ぐらい自分で煎れなさいよ!忙しいんだから!」
と怒鳴られるかもしれない。
いや、きっとそうだし、妻に「お茶!」だなんて言えないだろう。
古来日本は、男性中心社会であった。
いわゆる家父長制…?
家父長制は日本だけではないが…
それは、善い悪いは別として、日本の生活文化の風習であったことはまちがいない。
戦後、憲法によって男女平等が謳われても、いまだにその名残は見られる。
話が逸れたが、みつ子が「お一人様」でいたい理由のひとつに、ネガティブな原因があった。
それは、上司によるセクハラ行為であり、その無神経な言動は、みつ子の記憶に深い傷を負わせていた。
そのトラウマが、ある出来事によってフラッシュバックし、暴走する場面があった。(実際には心の中で叫んだだけで終わってしまったのだが…)
のんさんがインタビューで「感情に溺れて怒り狂う演技は初めてだった」というのはこの場面のことだろう。
娯楽施設で女子芸人に悪ふざけをする男性客に怒鳴る空想場面や、そのあと過去の記憶が甦って、怒りがこみ上げる場面は、さすが女優のんの新境地、鬼気迫る熱演だった。
SDGsゴール5
ジェンダーの平等を実現しよう
なぜか政治の世界から、性差別的な発言が多い。公の場面だから目立つだけなのか?
それは失言の撤回としてあっさり終わる。
昔だったら冗談で済まされたかもしれないが、いったい自分の発言のどこに問題があったのかすらわからないまま、撤回して謝罪しているだけのかもしれない。
世の中が急速に変わりつつある。
自分も偉そうに言えないが、問題の本質が理解できていない。
要するに単純に考えれば、差別された側の立場と気持ちである。
相手に尽くすとか、犠牲を自ら受け入れるのはその人の自由だと思うが、現代は他人に差別的言動をする権限は誰にもなく、また他人の差別的言動を許容する必要も一切ない時代である、と思う。
みつ子の怒りを観て、甦ったのは伊藤詩織さんの性暴力事件だ。
被害者は、その後の人生に精神的に大きな制限を抱えてしまうことになる。
そもそもハラスメントとは、地位の上下関係や権力の強弱の差によってに発生する問題だから、する側も、される側も、地位や力関係の相違として問題を黙認するのが習慣だった。
性差別や暴力に限らず、権力や立場の優位性を盾に、理不尽な抑圧を加えること、そのような行為が許される担保はどこにもないのだ、ということを改めて気付かなければならない。
その思考転換を促すのが、SDGsゴール5『ジェンダーの平等を実現しよう』なのだと思う。