20210227 私をくいとめて
『花束みたいな恋をした』を観てからの邦画ブームはまだまだ続く。
『私をくいとめて』は『勝手にふるえてろ』で強烈な印象を残した大久監督×綿谷りさの組み合わせによる最新作ということで、昨年公開された時からずっと気になっていた。
配信でもいいかな…と思いかけたところで、自分の中で「今だ!」というタイミングがやってきたので、東京近辺で唯一まだ上映してくれているキネカ大森に初めて行ってきた。キネカ大森はこの作品にも出演されている、片桐はいりさんがチケットもぎりをして働いていたことで有名な映画館。いつか行ってみたいと思っていてようやくその時が来た。
大森駅自体も初めて降り立ったけど駅ビルのアトレの小綺麗な感じと街の雰囲気がなんだかマッチしてなくて(けなしているつもりはない)独特の空気感が流れる場所だった。そしてキネカ大森は駅から歩いてすぐの西友の5階にあるという不思議な立地。
こじんまりとした映画館は魅力的な作品を色々上映していていい雰囲気。だけど映画のポスターなどを眺めていると、隣のインドカレーのお店からインド人の賑やかな話し声が耳に入ってくるというなかなか珍しいシチュエーションを体験できる。
そんなキネカ大森の、私が想定したよりだいぶスクリーンサイズが大きく(座席数134席だけどヒューマントラストシネマ渋谷の200席のシアターより1.2mも大きいらしい)、スギ花粉が舞うこの季節にしてはだいぶ暖房が効いているという、更なる意外性を繰り出してくるキネカ1にて鑑賞。
本編上映前に片桐はいりさんが出演する先付ショートムービーが流れるのはキネカ大森ならでは。その映画に合った場所で観るのって大事だなと最近よく感じるので、この時点で「今回は勝った!」と自己満足で悦に浸る。
(映画本編の感想に入る前に長々と語ってしまった。。)
この映画、『勝手にふるえてろ』を求めて鑑賞するとその期待はおそらく裏切られる。まず、主演女優の”のん”と松岡茉優のタイプが全く全然本当に違う。私は無意識に松岡茉優のテンポ感を期待していたようで、最初はあれ~?と感じた。でもこの映画はこの映画で楽しもうと頭を切り替えると、主演女優”のん”ならではの魅力にハマってしまった。
のんが演じる主人公のみつ子は、たぶん周囲の人達から見るといつも淡々と自分の世界を楽しんでいそうなちょっとだけ変わった人。だけど彼女自身の内面は全く淡々とはしていなくて、1人で色んな想像を膨らませて不安になったり、時には激しく憤りを感じたりしている。内に秘めた思いは基本的に表に出すことはなくて、彼女自身の脳内相談役である”A”との会話によって消化している。
のん自身のかわいらしさや穏やかさ、それと同時に感じさせる独特の繊細さや純粋さが、みつ子とAの存在にリアルさを与えているように感じた。
特に、みつ子が1人で温泉宿に行って女性芸人に対して男性客がセクハラ的な絡みをしている様子を見た後のシーン。てっきり実際に声を上げたのかと思ったけどあれは脳内の妄想で、過去の自分の経験と重ね合わせて強い憤りを感じたものの結局行動に移すことはできない自分。浴衣姿で1人ベンチに座って独白するシーンは、穏やかでかわいらしく見えるのんだからこそ痛みが増す。松岡茉優だったらあの場で男性客に対して勢いよく啖呵きってたんじゃないかな。
みつ子のおひとりさま充な感じ、あれは完全に私だ。1人でぷら~っと出かけたり、掃除した後ひたすら家でダラダラ過ごしたり。特に最近はコロナの影響で人と会う機会がほとんどなくなった分、益々この平和なおひとりさま時間を手放すのが無理になってきている。
だからこそ、多田くんと付き合うことになったみつ子が直面するあの戸惑い・恐怖心に共感できすぎて、ホテルの製氷機の前でうずくまって泣き叫ぶシーンは見ていて心が痛かった。東京タワーで告白された時に「私の生活は何か変わるの?」って聞くのも良かったなぁ。そしてそれに対する多田くんの答えも良い!
みつ子と多田くんって、『花束みたいな恋をした』の麦くんと絹ちゃんみたいな強烈な”好き!”から始まったカップルではないと思う。だけど、なんとなく一緒に過ごしたら楽しそうな気がするっていうところから、ゆっくりと始めていく2人の感じがリアルで好感を持てた。
『私をくいとめて』は大久明子監督という女性が監督・脚本を務めているだけあって、女性同士の関係性の描き方がとてもリアルだ。
ここ最近ぐっときたいくつかの映画も結局男たちの話が中心なんだよなぁというところに物足りなさを感じていたため、やっと出会えた!と嬉しくなった。
まずは会社の先輩のノゾミさんとの関係。
ノゾミさん役の臼田あさ美さんはどうやら私と同い年のようだけど、憧れの姉さんとして見てしまう。『架空OL日記』の小峰様の印象が強いせいか。ノゾミさんは小峰様のような引っ張ってくれる先輩ではないけど、みつ子にとっては社内で唯一心を開ける存在であり、仕事を続ける上での心の支えになっている。
ノゾミさんってたぶんみつ子より5歳くらい年上だと思うけど、偉ぶるわけでも卑下するわけでもなく人としてまっすぐみつ子と接してくれる。惚れた相手のカーターへの度を越した献身ぶりは痛いけど、そんなダサくてかっこ悪い姿も隠さないところもノゾミさんの魅力のひとつ。
私は今の職場で20代の同僚たちと一緒に仕事をしているのだけど、ノゾミさんみたいにフラットにまっすぐ接することができているかな。これから更に歳を重ねてベテランと呼ばれる立場になってもノゾミさんの姿を見失わないようにしたいな。
次に、親友の皐月との関係性。
『あまちゃん』を観ていなかった私でも、演じる2人の実際の関係性を重ねざるを得ない感じ、ずるい。
恐怖の飛行機旅を乗り越えてはるばるローマまで会いに行ったのに、皐月の大きなお腹を見た瞬間から流れ出す微妙な気まずい雰囲気。みつ子の気持ちわかるよ。私も「えっ、妊娠したなんて聞いてないんだけど・・」ってなったから。
そして陽気なイタリア人家庭の空気感に全く馴染めず、孤独を感じるみつ子。おひとりさまをやっている時よりも孤独感が強いのはなぜだろう。
そこからしばらく皐月との距離感がつかめない時間を過ごしながらも、2人でちゃんと向き合う時間を作れたのは偉いね。私は完全にみつ子に感情移入しているから、思い出の公園の話をしていた時「もう古くてボロボロでしょう?」という皐月の言葉に傷ついた。あなたにとっては遠い過去の話でしょうけど私はついこないだもあの公園に行ってきたし、大体そんなボロボロになるほど昔の話じゃないし。
そして、温泉宿の時と違ってみつ子は実際に皐月に自分の想いを伝えることができた。その結果、皐月は皐月で不安や後悔を抱えていること、だからこそ少し強引にみつ子をローマに呼んだことがわかった。やっぱり思っていることは話さないと伝わらないよね。みつ子はようやく皐月に「おめでとう」と言うことができて、涙を流す2人。それを見守る私の目からも涙が流れ落ちた。
30前後に突然現れるライフステージの分岐点。そして異なる選択肢を選んだ者の間に流れる微妙な距離感は女性ならではのものだろうなぁ。
片桐はいり演じるイカした上司の澤田さんが結婚していると知った時の何とも言えない感覚。ノゾミさんにはあの話流されてたけど私はものすごくわかるよ。
こうして映画の内容を思い出しながら感想を書いていくと、いかに私自身に近い世界観が描かれていた映画だったかがわかる。
でも不思議と映画を観た直後の感想としては、そこまでがっつり自分と重なるものという印象はなかったんだよなぁ。それはもしかしたら脳内相談役Aの存在の影響が大きいのかもしれない。自分の頭の中であれこれ思考を巡らせることは頻繁にあるけど、相談役という立ち位置は不思議。しかもあんなにいい声の男性が自分の脳内にいるってどういうこと?!原作ではどんな描かれ方をしているのか興味深い。
あとはこの映画の主な舞台となっていた築地に馴染みがないこと。だからリアルに自分が知ってるあの街でこの人たちが暮らしてるんだという感覚になることができなかった。築地市場の移転とかもあって今しか撮れない風景が映しこまれていたのだろうから、そこをきちんと拾えなかったことが悔しいな。
今度またおひとりさまで築地の街を見に行ってこようか。そういえば地方に住んでいる人は東京近郊が舞台になった作品をどういう視点で見ているのだろう。それも今度聞いてみよう。
とはいえ映画の楽しみ方は共感だけではないので、観た後にここまで言葉が溢れるような映画にまたひとつ出会えたことを嬉しく感じている。大久監督はもちろんのこと、のんさんの今後の活躍も追っていきたい。
帰りの電車でビルの隙間から東京タワーが見えた。心の中で「東京タワーだ!」と叫び、マスクの下でひっそり笑った。
映画館で聴く『君は天然色』が本当に素晴らしかった。音楽と映画が記憶の中で強く結びつく映画っていいね。
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