錯視にみられる知覚補正、クオリアは意識の謎解明の糸口
7/23のノートに、「忘れる」ことの効用など、道具としてのAIには無用の人間の能力について記しました。「強いAI」すなわち、人間そっくりの機械を作るには、人間の記銘、思い出し、そして忘れた状態いろいろ(度忘れ、本当に記憶に無い、喉元まで出かかっている etc.)を再現したり、思いやりで人を庇って嘘をつくなどの振る舞いをも再現できなければなりません。
そして、大前提として、意識、自意識、自画、欲望、責任感や、時に野心や狡さなどや、本物の情動、感情も再現できないと、強いAIには辿りつかないでしょう。その入口としての意識の解明の手掛かりの1つとして有力視されているのが、クオリアと呼ばれる、感覚器官からの情報を強力過ぎるほど補正し、現実とは違うものを見せ、聞かせ、おそらく匂わせ、味わわせ、感じさせる機構です。
ありのままの現実とは違う見方をしてしまっている分かり易い明白な証拠が錯覚の一種、錯視現象。本ノートのバナー画像は、「猫マナー」の4文字を全く傾けずに沢山コピペしただけのものです。それが、右下に傾いて見える。逆に、「ーナマ猫」を繰り返したものは、右上に傾いて見える。しかし、実際には傾いていません。
もう一つはこちら:
これらが白黒写真って、信じられますか? 人間の脳は決して見たままを見ているわけではありません。視覚認知の際には、頭蓋骨で揺れまくりの映像を激しく補正したり、補完したりしています。上の「猫マナー」も同様。このクオリア現象は、無意識と意識をつなぐかのような脳機能みたいな理解でいいと思います。次は、白黒写真がカラーに見える原理とおそらく共通する説明です:
同サイトの、視覚以外の錯覚も楽しめます:
もう少し深く、自然科学の研究の前線を紹介したこちらの名著は一読に値します:
目次
第1章 意識の不思議
第2章 脳に意識の幻を追って
第3章 実験的意識研究の切り札 操作実験
第4章 意識の自然則とどう向き合うか
第5章 意識は情報か、アルゴリズムか
終章 脳の意識と機械の意識
この書籍は大変、誠実に真面目に書かれています。殆どのシンギュラリティ関連本とは完全に一線を画す、科学者ならではの仮説、実験、検証、そして謎が増え、拡大している状況も率直に伝えてくれます。著者は強いAIというより、人間の意識、人格をサーバーにアップロードできる日を夢見て基礎研究されているようですが、その一方で、脳の電気的反応でデジタル処理できる部分だけでも、とてつもない高速なインタフェースがあっても転送の所要時間が10年かかりそうな見込みであり、工学的に実現できる目途はたっていないと正直に語ります。
人間機械論は、私もまったく同感で、著者以上に、人間のデジタル性を講演などでは強調します。しかし、加えて、化学物質が数10、数100種類の異なるアーキテクチャの脳全体にぶちまけられて、状態が一気に変わってしまう仕組みをどうやってデジタルコンピュータでシミュレーションできるのだ?など、絶壁にぶちあたったまま、足踏み状態が来世紀まで、いや来世紀末やその先まで続くのでは、という現実感覚ももっています。先に、パソコンがノイマンアーキテクチャに支配されたまま40年、汎用機から数えたら約70年、大した変化がないといえます。
そして、今後、数百種類の情報処理レベルのアーキテクチャとその動作原理が脳や全身の情報処理について見つかってきそうな中(すごく凄くエキサイティング!あー、あと100年生きて関わり続けたい)、2045年にシンギュラリティなど荒唐無稽もいいところであり、科学的にも工学的にも笑止千万、というのが正常な感覚としか思えないのです。
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