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見える孤独をあじわいたい 03

彼のことが進まない

彼のことなど進まないのである。記憶とはそう都合よく運ばない、あるいは思考とは。あるいは想像とは、時間とは。そういうことばかりなのである。だけど試みることはできる。人には自由意志というものがあり、その自由意志が有効なのか、それとも決まっているルートをベルトコンベアーに運ばれるように、ディズニーランドなどの乗り物アトラクションみたいにただ運ばれた先に決まったタイミングで何かがどーんと出てくるそういう世界と同じなのかは本当にはわからない。彼が運命だったのか、運命の人が彼なのか、結果「運命だったね」ということなのかの真相は不明でしかない。それを「わかる」としてもいいし、「これはこうなのです」と言い切れることは絶対的に才能だと思うが果たして私にはない才能である。

彼のことをもう一度最初から書いてみる。mixiで出会った、初台のデニーズで会った、あったその夜に寝た。それからいつかにぼくは好きになった。思いが募って仕方がなくなっていく。日光へ誘う。行き道でクラクションに汗をし、宿は和室のホテルだったがそれは最初のホテルか二つ目のホテルかどちらだろうか。浴衣の彼の写真を撮った。裸の彼の写真を撮った。ラブラブで、ということとも違って、オーバーに表現するなら切羽詰まった感覚がどこかにあって撮った。この人は近いうちに去っていく、でも、ものすごく魅力を感じてしまっている、せめて裸を撮っておきたい。ものすごく恥ずかしいがそういう下心、すけべ心でカメラを持っていった気もしないでもないし、表現欲みたいなことでもあっただろうか。当時30歳。週刊誌記者歴は5年半くらい。友だちで先輩でもあった記者の友達からたしか「グラビア班のエース記者」なんて呼んでもらっていた。呼んでいるのはSさんひとりだったから本当にはエースでもなんでもないが、彼女とぼくの中ではぼくはエースで、エースって? と検索もした気がする。とにかく仕事があってあってありまくって、それが苦でもないどころか充実感。お金は使っても使っても入ってきて困らない。記者はあなたの天職、と幼なじみと対外的には表現している長い友人からそう言われ、え、そうかもしれない、と思えるくらいに自分に合っていた。だから自信があった。いや自惚のようなものがあり、だから今から思うと恥ずかしい態度で生きていた気がする。人に上から何かを言ったりも平然としていたかもしれない。

彼は一方、25歳。アシスタントをしていた。詳しく書くとプライバシーなので、それだけまず書いておくが、毎日は働いていなく満足な収入も得ていなく、社交的ではなく酒は飲めないが二丁目にはよく出入りしていた。酒も飲めないお金もない彼がなぜ二丁目へ行くのか、何をしに、出会いに?  となるとぼくは何? と、彼と出会って深みにハマりだしてから、その「問題」にどっぷりハマっていった。答えは彼に聞けばわかりそうだが恋愛とはそうではない。知りたいが知りたくない。知らなければ壊れることはない。だからあえて問題を長引かせている、自主的に解かないということでもある。そのくせ友人にはずっとずっと「彼の気持ちがわからない。苦しい、頭がおかしくなりそうだ」と相談なのか愚痴なのか、くだらないが味わい深いそういう話を毎日のようにした。おもに深夜が多かった。当時の世界は半分夜だった。週刊誌とは当時そうだった(今は知らない)。入稿といえば朝まで。本当に朝、いちばんひどいときは朝を超えて昼近くまで書いて帰ってちょっと寝てまた編集部へ行って深夜まで働いたが、お金をもらえたので、言葉がまだ存在していなかったのでブラックとはならなかった、思ったことがない。今は「ブラック」というその黒色を指す英語ではない和製英語のような単語が標準語となったが、今だったらどうだろうか。まるでわからないが、お金さえ満足に得ていたら「ブラック」とは言ったかもしれないが冗談度が高そう。そんなことはいい、彼のこと。彼とのこと。

告白をした夜のことと当時の仕事のことは無関係ではない。30のわたしはタクシーに割と乗る人だった。今は年に数回程度。そのほぼが八王子駅で終バスが終わり自転車では駅まで来ず、雨が降っているかものすごく酔っているか眠いか疲れているか荷物が多いか寒いか暑いかお金にめちゃくちゃ余裕があるか気分がいいかの夜。大体1500円程度だがそれを贅沢とする金銭感覚がこのまま一生つづくのだろうか? それは不幸なのかそうでもないのか幸不幸とはそれほど関係がないのか、ということを、お金と幸福みたいなことをずっとずっと考えるでもなく考えてしまう。こびりついてなかなか剥がれないのがお金のこと。お金イコール幸せですとはさすがにそこまでの無邪気さというのかシンプルさはもう持ち合わせていないが当時はちょっと近かった。お金があったから問題がなかったという側面は否めない。彼がなかなか落ちなくてでも好きなんだけどどうしよう状態とはいえ、ま、ダメなら次の人に行けばいいか、とは思えていた(行くより仕方がないということでもあるが)。その楽観には案外お金のことがけっこうあるのではないかと、お金が本当になくて自分を卑下してしまう、え、お金が自分の価値なのか? という自問自答を何十何百回と繰り返している近年を経た今はそう思う。「お金によるのである」と断定したいくらい、そう感じる。お金がある。お金を稼ぐ力、能力がある。お金を稼ぐ自信がある。当時はそういう感覚だった。が、今にして思うと当時のあなたは囲われて、雇われている、いつの時代のもしかすると誰もがそうだが、「あなたじゃなくてもいい」ということをまだ若く、イケイケどんどん時代のわたしはあまりわかっていなかった、ある種めでたかったがそれは魅力でもあっただろうと思う。その状態を一説には、ある角度からは「若さ」と呼ぶ気がする。無敵とまでは言わないが、「俺、大丈夫」みたいな無知というのか無謀というのか若さ。今の彼だったら、当時のぼくのその若さを好きと思わないかもしれない。今の彼は41歳。当時の僕の11個上になる。41の彼は30のぼくをどう見るだろうか? 案外かわいいと思ってくれるだろうか? 疲れていびきをかく夜もあるこの頃の彼は、だけど体は肉体仕事で締まっていて、あいかわらずのセクシーさを放っているその彼のことを当時のぼくは好きになるだろうか。ならないかもしれない。あ、おじさん、おじさんだけどかっこいいけどぼくには関係ない。としたかもしれない。彼も普通に考えると、あ、若い、以上。となる気もする。だからタイミングというものがすごいこととなる。生まれるタイミングと出会うタイミングと、それが合わないとこうはならない。この人とこうならなかったら今このような文章を書くことはなかった。別の文章を書いていたという当たり前みたいな話ではなく、このように「書く」ということをまだしていなかったと感じる。思うのではない。もっと肌感覚。もっと根拠はないがわかるような感じ。「感じる」のである。

告白は成功であり失敗であった。「好きではない」と言われた。彼の坂上のマンションは窓がひとつだけだったか、ベッドではなくて布団で、ちいさいテレビではよくライブビデオを見ていて、あまり掃除機をかけていないから抜けた毛とかがある、そういう印象、日当たりはそれほどよくなくて、だけど居心地はそう悪くはなさそうで、家賃のことは聞いたことがない。そこに興味はなかったのか、デリカシーとしていたのか、それはさておき、「好きではない」が彼の答えであった。その言葉でさえ、告白から何分も経って搾り出させたようなことだったと思う。彼は言葉が少なくて時間がかかる。即答する人の方が多そうなそれほどの質問に対して返答を促して促して1週間後にくるみたいなこともある。その質のようなものは付き合う前からそういえばあったのか。告白はだからものすごくやきもきした。さすがにシラフだったとは思うが、いっぱいくらい飲んでいた可能性もある。それはいいとして、その答えは衝撃的だった。え、好きではないのに日光へあなたの誕生日に行った? え、この数ヶ月はなんだった? なぜの嵐という歌を思い出すが思い出すのはタイトルだけで歌は知らない。カラオケが分厚い本だった時代の朝までの惰性フリータイムのカラオケはたくさんの聞いたことがないがタイトルだけ知っているソングをうむ。

さて、なぜなぜなぜ、ということになった。それから、どうするのどうするのと迫った。じゃあ、もうこれっきり、この今夜で会わなくてもいいの? と具体的に迫ると、それはいやだ、という意思表示があった。じゃあ、どうするの? である。好きではない。が。これっきりはいや。わがままじゃないか。わがままでもいいのだが、ぼくはあなたといたい、どうしてもあなたといたくて、これは好きということで、ぼくはどうしたらいいのですか。時間の経過は忘れた。雨が降っていたような気もするが忘れた。未明ではあった。その晩は告白だけして帰った。別れる前にハグのようなことはしたかもしれない、それくらいはさせてくれと思いそうである。結局は、やや強引に合意を取り付けた着地点としては「好きではないが付き合ってみましょう」であった。付き合ってみて無理だったらやめましょう、ということでもある。不服であった。釈然とせず、自信を失い、悲しくもありイライラもし、少し安堵もあった。彼は「人を好きになったことがないかもしれない。これからも人を好きになれないかもしれない」とそのようなことを言った。それは驚きで、救いでもある告白だった。

その夜の一番の告白はそれだった。長年、その言葉を今も思い出すが、長く噛み締めて長く彼と付き合い思うのは、「好き」とは人によって違うということ。なにを「好き」とするかの正解はなく、それぞれが個々の捉え方でその言葉とその感情のようなものをイコールとしている。ぼくのその時の好きはすごくかるい。「好きになった」とすぐに思うタイプだった。案外今も、50が見えてきた初老的な今もそこはそうかもしれない。「好き」となる。が、「愛している」みたいなことはぜんぜん口に出せない。愛という言葉を愛の告白として使用することにはとても慎重。そのときには飛鳥涼氏の「僕は上手に君を愛してるかい? 愛せてるかい?」という歌を思う。愛に値するのだろうかアタイは、というようなことである。ひとりよがりではあれだが、自分の中の事象? 問題? でもある。愛しているという言葉は究極であると思っている。反面、すべての人にそれこそ簡単に使ってもいい気もしている。愛しているという言葉は、愛とは何か、ということを自問させ、その答えは自分なりにその都度あるが、まず自分が自分を愛せているのか、という、ないものはあげられない、ということになっていき、愛しています、と告げることを慎重にさせている。が、好きは簡単でいい。そうした言葉との関係は個々のこと。ぼくの自由で、彼の自由。けれどその夜やそれからの何年間もぼくはそれをわからなかった。「彼はぼくのことを好きではないんだって。でも付き合うって」と友に愚痴った。悩みとして、不安材料としてずっとリフレインさせた。

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