見える孤独をあじわいたい 06
決めては彼の言葉
言葉は魔法のようなものだと思う人生にある。言葉を重視し過ぎない、行動こそ大事だと人生の経験により今はそのように思うに至ったが、かつては言葉を盲信していたように思う。言葉にすべてできると信じるという意識もなく信じきっていた。それはそれで事足りていたからかもしれない。
確かなことはわからないが、ぼくの場合、お付き合い、人との恋愛によって「言葉ではそう言っていたのに」というある意味での裏切りみたいなものにより、言葉って? となった。恋人とは好き同士で一緒になるのだから、それはずっと続くのだと今思えば楽観というのか無知なのか純粋なのかそれこそ言葉で規定することはひとまず、もうずっとこのままでいるものだと思っていたが、初めての恋愛でそのファンタジーは終わった。浮気を発見してしまったのである。浮気現場を目撃した、行為を直に見たわけではないから本当にはただ自分の中での話ともいえるけれど、そのようなやりとりのメールをある夏だったか秋に見てしまい、世界の終わりくらいのショックを受けた。
当時はその人だけが悪いと責める気持ちばかりが湧いて、そのような自分にさせたことが腹立たしく悲しくて、泣いたこともある。今になれば、当然自分にもそうさせた原因、因子はあったと思える。引き寄せではないが、自分の側にその経験をする必要や必然、用意なくしてその現実を味わうことはない、と、そういう考え方を持っている。とはいえ、それは机上の空論というか、感情は思考とは別物なので、頭でそう考えていても泣いたり怒ったり得意の自己憐憫におちいることはするだろう、してしまうだろうと思うが、それでも「自分にも非のようなものがあるのだろう」という視点は確実に定着し、なんなら自分がいけなかったのかもしれないと自分を責め始めるパターンもある。いや、当時だってそう自分も責めただろうか? いや、それはなかったと思う。恋愛を特別視していた。恋愛だけは違う、恋人との間にはそれはない、という謎に甘い、スイートな観念を握りしめていた。あの日の自分には、恋愛関係も人付き合いであり、人間関係という感覚が欠けていたのだと思われる。欠如していた。その自分の偏りのようなものをお知らせするのがその初めての彼氏であったのだ。
幸いにして現在の彼はその気配を見せない。17年一緒にいて一度もそれを野生的本能的な感覚で感じ取ったことがないのだから、きっと本当に彼には浮気心のようなものがないのだろう。と、これが得意のファンタジー、盲信という意識はあるが、でも、けれども、そう信じることができるその人と出会えたことの幸から、かつての浮気のその人のことも今は感謝の対象となった。いろんなことを感じさせてくれた、教えてくれた、間違いなく自分を強く深くするきっかけを与えてくれた。ずいぶん嫌な役回りを引き受けて去っていって、もう10年以上同じ東京にきっと暮らしているだろう、新宿二丁目というかなり狭いエリア付近に足をときどきはお互い運んでいるだろうが、一度も遭遇していない。噂話もほぼ聞かない。そう、言葉の話だった。好きと言い合って、好きという言葉だけではなく裸で交わる行為も重ね、それでも「裏切られた」となった経験により、言葉というものは絶対ではないということを深いレベルで知ったのであった。そうして「恋愛を重ねたことにより、言葉ではないものを感じていく作業が増え、その回路が活性していった」と自分の中ではそのようなストーリーが出来上がった。
彼はこれまで出会った人の中でも指折りの無口である。「少し黙っていて」などともし言ったならば丸一日同じ空間にいても話しかけてこず、それでも息苦しくならないだろうそういう、自分とは真逆のような人。その彼が、言った。一年間、八王子の家をキープしながらたまの別荘みたいな距離感で、ほとんど家賃だけを払っているような期間を経て、代々木と八王子の二か所に駐車場まで借りて、リッチに無駄にお金をかけていた私もさすがにこのままではもったいないという思考になり、決めかねていた。迷っていた。たかが引っ越しではあるが、もっと大きなものが変わってしまう予感はあり、足がすくむ感じで決断できないでいた。お金さえ投じればこのまま二拠点のように暮らせるし、お金はこのまま上向いていく自信があったため、その選択肢も捨てられずにいた。ちょうど代々木の部屋の更新がその年にあった。そのぼくに彼は「ダメだったらまた戻ってくればいいんじゃない?」と言った。言葉にしてみるとなんということはないアイディアかもしれない。「だよね」と言って、そのまままた迷いの森へ帰っていくことも自然といえば自然。ただ、彼は無口なのである。そして男女ではなく男男のふたりであるが、家長は私で彼は静かな妻のような関係性だったため、ぼくに意見などはいつもなかった。ぼくも稼ぎもほぼないキャリアもないやる気もあるのだかわからない彼の意見は自分のそれと対等と思っていなかった。その人が、そのように言ったのである。そしてそれは自分にとって第三の選択肢のような、aとbで迷いに迷っていたらc! という画期的な道と感じたのである。その言葉が強烈な後ろ盾となって、代々木の家を引き払うこととなった。親の庇護のもと実家でぬくぬく暮らし、初の彼氏が同棲を希望しちょうど無職から記者という仕事を得て盛り上がっていたこと、両親も早く実家を出てほしい、資金は出すからすぐにでも一人暮らししてください、と繰り返していたことも手伝い、その元カレが行動力がありいい物件を見つけてくれたこともありそこへ引っ越し73ヶ月。人生が次の展開へと運ばれたそれは2008年の8月。当時の日記によると、8月28日だったそう。忙しい私は、石原軍団のスペシャルドラマの取材でグアムへ行くことになっていた、その前には新潟でアーティストに密着。彼は暇がベースだったため、荷造り一切は彼がやった、やってくれた。ぼくがしたのは引っ越し業者の見積もりと、全部が運び出された空っぽの箱を掃除したことくらいであった。当時の記録によると私の口は、雑巾掛けなどをしながら自然と「ありがとう」と部屋に言っていたのだそう。
言葉というのは時に一生ものとなる。だから気をつけなくては、と思う。その言葉は口から放たれたが最後取り返すし不能。生まれるということなのだな、言葉は。生まれたら命の終わりまでは生きる。言葉は命である。ということは言葉には寿命というものがある。言った人は覚えているが言われた人は瞬間で忘れるもの、その逆、双方がすぐ忘れる、両者ともに一生覚えている、いろんなパターンがあるが、ぼくの彼のその言葉は一生ものになりそうな気がしている。きっと彼は言ったことさえ記憶にないだろうが。