かけがえのない、退屈な暮らし。

久しぶりの「予定通り」の完全オフ、mustな予定が一切ない一日を暮らしております。
なので、毎度おなじみの「玉ねぎ、人参、鳥の胸肉」のカレーを作っています。カレー粉はS&B。最高。煮込み料理はテンション上がる。

で、リハビリ仕事も本業もボチボチとやっておりまして。ここ10年近く味わっていなかった充足感を少しだけ感じて生きています。まあ体力は衰えたので先週は休みましたが。

普通に近い暮らし、なのかなあ。
働いてギャラを稼いで、それで飯を作って食う。
公共料金をちゃんと払って、温もりと明るい環境にいる。
そういう暮らし。

今にして思えば、うつを2回経験したんじゃなくて、7年半前からずっとうつだったと思うんですよ。途中に回復したのは実は躁状態だったんじゃないかと、ここ数日で思っていたりします。あと強烈な焦り。
その期間にこういう充足感を感じませんでしたから。
歳をとった、そのせいも多分にありましょうが。

まあ、ステレオタイプな普通の暮らしではありませんがね。
会社員に向かない気質なので。いや、会社員もやっていましたよ。
ただ、妄信的では決して無く、常に自分と会社を疑いながら仕事をしていましたが。
今でもそうですよ。妄信的に信じたりしません。疑うことで問題点を見つけて、それを解決することで成長していく。
疑うって言葉はネガティブに聞こえますが、客観的に物事を見る場合には絶対に必要ですから。ヨノナカに絶対はない。これと一緒です。

反面、寂しいと思うことも多くなりまして。
42年の人生の内、たった7年半しか独り暮らしをしていませんから。
34年半は「誰か」と暮らしていたわけです。
それは親だったり恋人だったり。
ざっくり言うと人生の6/7は誰かがいる生活を送ってきたわけです。
18歳から42歳で独り暮らしをしている人は24年、対して僕は7年半。
そんなに僕は「寂しい」に耐性がないのかもな、と思ってみたりします。

ただ、現状は恋人もいませんし、だからといって年老いた親元に、東京に帰る気もないですし。このまま暮らしていくのでしょう。
これが退屈だ、と思い始めまして。
基本的に僕ってのはお喋りですから、喋りたいんですよ。
昨夜もネコどもに向かって「俺がいるからこそ君たちは餌と水を得ることができる」などと演説しましたが、残ったのは「ニャー」だけですし。
そうだよな、ネコだもんな、お前ら。
そりゃあ「ニャー」だよな、うん。

でも、寂しさに耐性が付いてしまうことも怖かったりします。
現状でもある程度は身についてしまっていますが、やっぱり誰かに看取られて生を全うしたい気持ちもあり。
そうではない今の暮らしは少し退屈で、勿体無いとも思います。

こうやって玉ねぎを煮込む間に書く文章も、やもすれば誰かと喋ったり笑ったりできるかもしれない時間なので。

その時間は二度と帰らない。

毎秒毎秒、僕は老いて衰え、確実に生のタイムリミットを減らしているわけです。

ねー。うん。なんだかなー。
自分で選んだ人生に後悔はないけども、悔しい部分だったりします。
あー、玉ねぎが煮えるいい匂いがしてきた。
ネコには絶対に食わせないけど。