【F1】6600kmの旅路の果てに見た風景
ども。
野村です。
TOPの画像はHondaさんのWebサイトから借りてきました。
レッドブル・ホンダ、カーナンバー33、マックス・フェルスタッペン選手。
初のドライバーズチャンピオン、本当におめでとうございます。
最終戦まで全くの同点で迎えたF1ドライバーズチャンピオンシップ。
71年の歴史の中でたった1度しかありませんでした。
1974年の選手権以来、2021年が2度目。
しかも1974年は全15戦、今年は全22戦です。
丁々発止、鍔迫り合い。
死闘というのはこういうことなのでしょう。
今のF1の決勝は約300km、それを単純に22をかけると6600km。
東京からの直線距離にすると南半球の島国、バヌアツまでの距離に相当します。
最低重量733kgの車体に1000馬力以上を発生させるパワーユニット(PU)を搭載し、6600km全1355周を駆け抜け、フェルスタッペンとメルセデスのルイス・ハミルトン選手とのタイム差はたった2.2秒。
この2.2秒で今シーズンの勝者と敗者が生まれました。
フェルスタッペンを大きく支えたのがホンダPUでした。
ガソリンを爆発させピストンを上下させることで生まれる動力と、ブレーキ回生エネルギー、排気熱エネルギーを電気変換させモーターを回す動力。
たった1600ccのターボエンジンが1000馬力以上を常時生み続ける。
2017年までのマクラーレンとのジョイントが失敗し、レッドブル陣営のトロロッソ(現アルファタウリ)とのプロジェクトに移行して以来、目覚ましい進化を遂げ、最強PUであるメルセデスと同等に近いの性能を持つに至りました。
栃木県さくら市にあるHRDさくら(ホンダ・レーシング・ディべロップペント)とイギリス・バッキンガムジャーにあるHRDミルトン・キーンズの2拠点を軸に、オールHondaで戦ってきました。
市販車部門はもちろん、ジェット機を制作するホンダ エアクラフト カンパニーの技術も取り入れ、グループ全体で最弱のPUから最高のPUに押し上げました。
最強ではなく、最高です。
PU単体の性能だけではない、車体全体を考えて作られた最高のPUです。
マクラーレンから意思疎通の風通しが良いレッドブル・アルファタウリ陣営に移り重ねた勝利は17勝。
フェルスタッペン15勝、今シーズンからレッドブルに加入したセルジオ・ペレス選手1勝、去年のイタリアGPでトロロッソ時代から12年を経てアルファタウリとして初優勝をもたらしたピエール・ガスリー選手1勝。
コンストラクターズタイトルは8年連続でメルセデスが獲得しました。
ドライバーズタイトルも7年連続でメルセデスが獲得してきました。
2014〜15、2017〜2020年はハミルトン、2016年はニコ・ロズベルグ。
2014年以来の今のレギュレーションを完全に支配しています。
現レギュレーションで唯一、メルセデスの牙城を崩したのがフェルスタッペンであり、レッドブル・ホンダなのです。
We Did it Together.
俺達がやってやったんだ!
各々の全力を出し、F1の世界では清廉すぎるほど正々堂々と真っ向勝負を挑み、勝った。
その喜びが込められた言葉だと思います。
改めてフェルスタッペンおめでとう!
Hondaおめでとう!
ちょっと今年のHonda F1を振り返りましょう。
今年からレッドブルに加入したペレス、愛称のチェコで言いましょうか。
去年とは特性が大きく違う車体や環境、意図しないクラッシュに巻き込まれるなど、チェコのポテンシャルを発揮することができませんでした。
ただ、チームに対してやれることは全部やるという献身的な走り。
特に最終戦でタイヤ戦略でハミルトンの前に付き、必死にブロックしてフェルスタッペンとの9秒差を1秒差まで縮める名アシストを見せました。
残念ながら最終的にはリタイアに終わりましたが、31歳。
しかし自己最高の190ポイント、自己最高位タイの4位を獲得しました。
来シーズンは11年目、チェコの「ベテランの味」を存分に発揮して、もっとメルセデスに肉薄できるシーズンにしてほしいものです。
同じく今年からF1ドライバーに加入したアルファタウリのルーキー、角田裕毅選手も最終戦を4位でフィニッシュしました。
3位のフェラーリ、カルロス・サインツ選手までたった0.5秒。
各戦で3回行われる練習走行、フリープラクティスが90分から60分に短縮。
更にプレシーズンテストの日程も削除され、F1史上で最もルーキーに厳しいシーズンとなりました。
速いけど安定しない、遅いときはとことん遅いシーズン序盤から中盤。
角田裕毅のポテンシャルを懐疑的に見る人も多かったのですが、終盤にかけて徐々に花が開き、予選Q3進出する機会も増えて、最終戦では予選8番手、4位フィニッシュとついに同僚ガスリーに勝利しました。
角田裕毅について、2020年のF2終了時にこんなnoteを書いています。
彼にとってフラストレーションが溜まる一年だったことでしょう。
思うように走れない、思うように結果が出ない。
やれることをやっているはずなのにレースに結びつかない。
批判の声も数多く浴びる。
まさに修羅場だったと思います。
特にルーキーに厳しい2021年シーズンを持ち前の学習能力の高さとフレンドリーな性格でF1に溶け込んでいき、批判の声をかき消していきました。
ガスリーとはとても良好な関係を築き、速さはもちろんのこと、明るい笑顔はF1に欠かせない存在となりました。
来シーズンはマシンが大きく変わります。
持ち前の学習能力と明るさでより高みに挑んでほしい、挑めるはず、登れるに違いないと確信しています。
今までにいない日本人F1ドライバー角田裕毅は、私達をもっともっと喜ばせてくれると信じています。
ガスリーは4シーズン連続でホンダPUとともに戦いました。
2018年のF1フル参戦の前年には日本のスーパーフォーミュラでチーム無限に所属し、レッドブル・アルファタウリ陣営の中でも最も長くHondaに乗り続けたドライバーです。
今年は速さと安定性に磨きがかかり、全22戦中15戦で入賞。
表彰台も2019年の2位、2020年の優勝に続き、アゼルバイジャンGPで3位となり、3年連続でシャンパンファイトを味わいました。
予選もQ3進出は当たり前、常に6位前後でスタートし、確実にポイントを持ち帰る素晴らしいドライバーに成長しました。
獲得したポイントは自己最高の110、トップドライバーの一人に数えられる飛躍のシーズンとなりました。
そしてHondaは今シーズンをもって、F1から撤退します。
この「負けるもんか」は私の座右の銘でもあります。
そして「じゃ、最後、行ってきます。」と言葉を残しました。
やれる準備は全部やった。
最後の最後まで詰められるところは全部詰めた。
しくじった悔しさも、腹が立った怒りも昇華して、ありったけを詰め込んだ。
あとは戦うだけだ。
そんな後ろ姿を見せて、見事に勝ち、Hondaは去っていきました。
Hondaファンの私としてはF1撤退を残念に思うところもあります。
しかしながら、本田技研工業株式会社は営利企業であり株式上場企業。
グループ全体で21万人の従業員が携わる世界有数の企業であり、従業員やその家族、多くの株主や顧客に対しての責任が非常に大きい企業でもあります。
関連企業だけではなく、取引先を多く抱えています。
また「自動車」というものが大きな転換期を迎えていることも理解しています。
今までの自動車が大好きだけど、それだけじゃダメなんだ。
個人的な意見として、100%の電気自動車(EV)が正しいとは思えませんが、エネルギーに関する多くの事柄は向こう数十年で劇的な変化を遂げるとも感じています。
カーボンニュートラルな時代へシフトしていくために、F1から去る。
それはごくごく当たり前で当然のことだと考えています。
とはいえ、F1からHondaのDNAは消えません。
ホンダPUは来シーズンから「レッドブル・パワートレインズ」が引き継ぎ、2022年シーズン用のPUもHondaが開発します。
また4輪モータースポーツ事業を子会社のHRC(株式会社ホンダ・レーシング)に移行します。
今まで2輪モータースポーツ専業だったHRCが4輪も受け持つことでHondaの事業を明確に区分し、本田技研本社とHRCの役割を整理することとなりました。
HRCは今後レッドブル・アルファタウリ陣営と連携し、レッドブルPUの運用サポートを行っていきます。
No attack, No chanse
ホンダエンジンとともにF1を戦い、ホンダエンジンでアメリカモータースポーツの最高峰Indy500を2回制した佐藤琢磨選手の言葉です。
Hondaも果敢に挑み、躓きながら失敗しながらチャンスを掴もうと手を伸ばし、手を伸ばし、諦めなかったことで一つの頂きに登ることができました。
2015年から7シーズンに渡ったHonda F1活動はそんなことを残していったのだと思います。
2021年、6600kmの旅路の果てに見た風景はとても色鮮やかなものでした。
苦しいことも嬉しいことも全部内包し、ホンダPUは喜びとともにエキゾーストノートを残し、少しだけ名残惜しそうに去っていきました。
そうして、1964年から4期に渡ったHonda F1は幕を閉じました。
いつかまた、新しいF1で。
いつかまた、新しいHondaで。
長い旅、本当にお疲れ様でした。
ありがとう。