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6月7日の日記「なぜ幼女は顔面に膝蹴りを叩き込まれないのか」


 朝5時に寝たのに、朝10時とかに目が覚めちゃった。体が健康的な生活リズムを刻みたがっている。勘弁してくれ。休日の起床時間は15時以降だって、大学の4年間で自分の体に嫌というほど叩き込んできたってのに。いつだって結ぶことよりも、解くことの方がずっと簡単なんだ。


 しょうがないから朝食昼食を兼ねてドトールにパンケーキでも食いに行こうかと思った。いちごのソースがかかってるやつ。昨日の朝マックに行く途中で看板を見かけたんだけど、「ドトールはいつだって行けるけど、朝マックのホットケーキは今しか食べられないんだ(そんなこたぁない)」と自分に言い聞かせ、泣く泣くスルーしていたものだ。いつでも行けるっつーなら、今日でも構わないよなぁ? ということで二日連続のパンケーキに洒落混もうと思ったのだが、近所のドトールは日曜定休日だった。「日曜に休む強気な姿勢、アタイ嫌いじゃないよ!」と思いつつ、まあせっかく長居する用のあれこれをバッグに詰め込んでるってこともあり、別の喫茶店を目指すことに。ふと、コメダの玉子トーストが食べたくなったので、徒歩30分くらいのコメダ珈琲店に行くことにした。


 コメダの玉子トーストには、生のレタスとキュウリが入っている。家の玉子トーストを食べてるときも思ったが、その生野菜は本当にいらぬ。玉子トーストの主役はもちろん玉子、あとはハムとカリカリのトーストだ。それでもう聖域が完成しているというのに、彩りだか栄養バランスだか知らないが空気の読めない生野菜たちが割り込んできやがる。味的にも食感的にもその聖域で浮いてるだろ。邪魔物を真っ先に排除すべく、パンを分解してマヨネーズにひっついてるレタスとキュウリを先に食べてやった。ぬるくなった野菜たちは味わいたくもなかったので、舌にも乗せず歯で噛み砕いて処理。お前たちとは、ドレッシングがたっぷりかかったシャキシャキのサラダの上で出会いたかったよ。


 コメダ珈琲では仕事の勉強の本を読み、その要点をテキストにまとめていた。……誓ってその言葉に嘘はないが、基本的にYouTubeで月ノ美兎のアイドルマスターシャイニーカラーズ実況をずっと流してたので、3時間で書けたのは300字くらいだ。デヘ。僕の敬愛するダ・ヴィンチ・恐山氏もドはまりしているシャニマス。僕も1年前に1回始めてすぐにやめちゃったけど、また再開してみようかな。やめちゃった理由はゲームが割とカクつくのと、運ゲー要素強めなのと、あと単純にゲームやるのにパワーが要るからだった。でもシャニマスは物語としてめちゃめちゃ面白そうだし、やっぱ自分でプロデュースした方が感動もひとしおだろうから、野村P復帰しようかな。リアルの仕事とポケモントレーナーとプロデュース稼業、三足のわらじ履いてやっていけるだろうか?

 集中すれば2時間もすれば終わるであろう仕事の勉強を動画見たりスマホいじったりしながらやってたから、夜になってもまだ終わってない。でも休日にまでシャキシャキ生きてどうするんだよ! という気持ちがあったので、これでよいのだ。無駄を避ける人生など矛盾している。だって最後には絶対死ぬ以上、人生そのものが無駄だと言えるからだ。だからみんな、無駄なこといっぱいやって無駄に長生きしようね!  イエーイ!!




 夜、ランニングしていたら、道で小さな女の子とすれ違った。彼女の頭は、だいたい僕の腰あたりにあって、僕はそのときこう思った。「この顔の高さ、めちゃめちゃ綺麗に膝蹴り叩き込めそ~」と。

 もちろん、思っただけだ。したいとも思っていない(だから、然るべき機関に通報するのはやめてください)。同時に僕は、こうも思った。僕は彼女の顔面に膝蹴りすることはないし、きっと他の人もしないだろう。彼女は世界の誰からも膝を叩き込まれることないまま成長し、やがて彼女もまた、幼女に膝を叩き込めるくらいの背丈になる。しかし彼女も、決してそのような行為には及ぶことなく、彼女とすれ違った幼女もまた、誰かに膝蹴りされることなく、誰かを膝蹴りできるくらいに大きくなる。そうやって、世界は回ってゆく。


 僕は同じようなことを、例えば神社で手水を使うときに思ったりする。こんなのさ、無敵状態になった人が手水舎におしっことかしてたら終わりじゃないですか。あと、やよい軒のご飯おかわり処とかね。ただ、世界の多くの人はそんな想定してもいないっぽいし、多分そういうことをやっている人はいないんだろう。そういう、「やろうと思ったらできること」「やられようと思ったらやられてしまうこと」に対して、割と世界って無防備だよねって思っている。もちろん、それを咎めるために法律っていうシステムはあるんだけど、世界を成立させている最大の要因って、それじゃあないんじゃないか。だって、明日から「幼女の顔面に膝叩き込んでも無実でーす!」って政府から広報あったとしても、やらないっしょ? ……少なくとも、俺はやんないよ。貴方はどうなのか知らんけども。


 僕は、世界のこういう無防備な部分を守っているのは、その無防備さそのものなのではないか、と思っている。幼女が膝蹴りに備えて、顔面の筋肉を硬調させながら歩いたりしないのは、世界から膝蹴りを飛んでくることなんてないと信じているからだ。いや、信じているというより、そんなことゆめにも思っていない、と形容した方が正しい。手水舎だって、おかわり処だって、きっと同じだ。腹を割って話そう、なんて言うけれど、そんなこと言われずとも彼女たちは、世界に弱みを曝け出しているのである。そして僕たち世界の方は、そうした彼女たちの無垢さに応えたい、応えねばならない、と無意識レベルで思っていて、だから彼女たちの純粋さを踏みにじろうとはしない、踏みにじろうとする発想さえ出てこないのだ。このような、明文化されていない信頼関係によって、僕らの世界の安穏は成り立っている。……と、するのであれば、僕らの世界は僕らが思っている以上に儚く、尊く、そして美しい。そんなことを、きみは思ったりしないだろうか? 僕は自分でこの文章を書きながら、「いや、別にそんなことは思わんな」と感じている。うーむ、俺、疲れてんのかな。明日に備えて今日は早めに寝るか。みなさんも明日からまた1週間、元気に頑張っていきましょう!




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