5月20日の日記「己を信じて映画を観よ」
今日は6時間睡眠(仮)、すなわち2時間昼寝+4時間睡眠だったわけだけど、所詮は(仮)は(仮)だった。明らかに起きてからのエンジンのかかりが遅いし、悪かったぜ。睡眠時間が少なかったらちゃんと体に現れるの、すごいね。人体。
最近huluに登録したから、今日観た映画の感想を日記に書くぞ。本当は因果が逆だけど。日記に書くことがないから、映画を観た。1日が日記に支配されつつある。でも日記を書かなかったら、今日は日記に書けるようなことが1つもない1日だったわけで。日記を書くと言う行為は、不健全であり健全だ。
僕は映画をぜんぜん観てこなかった人間だけど、映画を観てる人種にはすごい憧れがあって。「週末は家でずっと映画見てました」とか、名前聞いたことのない俳優が主演のすごい文学的なタイトルの映画に「あれ、けっこうよかったですよ」とか言いたいよ! そのための第一歩として、一般教養レベルの映画を一通り観ていきたい。映画に詳しくないから何が一般教養なのかもわかんないけど。あ、今日見た映画は『フォレスト・ガンプ』です。とりあえず「俺でもタイトル知っていた=一般教養」という方程式で行くぞ!!! 主人公の名前がフォレスト・ガンプなのね。なんか森でわちゃわちゃする話とかだと思ってたわ(だから画像が森なんですね)。
感想としては、フォレストのブレなさに圧倒された、という感じだ。差別とか戦争とか政治とか、社会的な問題提起になりうるエピソードはあちこちに散らばってたけど、あくまでこの映画の主軸はフォレストという「個」だと思う。彼は最初から最後までまっすぐなんだけど、物語が進むにつれてそのまっすぐさを馬鹿にしたり、称賛したり、憧れたり、恐れたりする周囲の人の方の心は、どんどん歪んでいく。視聴者である自分も、そのうちの一人だ。最初のシーンと最後のシーンで、自分が彼に抱く感情はずいぶん違っていたから。そういう意味でも含みがあるような物語に感じて、フォレストの愚直さに感動! と手放しで思えるような映画ではなかったな。だから悪いというわけではもちろんないし、素直にいいなと思えるシーンもたくさんあったけどね。バッバとの友情を描くシーンもすごく微笑ましくてよかったけど、なんといってもダン中尉だな。ダン中尉は軍人の頃のかっこよさと頼れる感じもよかったけど、やっぱ戦争が終わってからよね。彼が人間臭い部分を見せた上で、この人は本当に誠実でいい人なんだっていうのが伝わってきたから、ダントツで好きになっちゃったな。彼がもしフォレストを裏切るようなことがあったら、この映画の評価はめちゃめちゃ下がっていたと思う(物語としてどうかとか関係なく、ただ単に俺が悲しいからという理由で)。
あと、フォレストの長所が「足が速い」っていうのも、めっちゃいい。足の速さってのは歳を取るにつれ具体化されていって(50m7秒とかね)、大人になったらその具体的な数値が飛び抜けて、競技で活躍できるレベルでもない限り評価されなくなる。でも小さい頃に僕たちが憧れたのは「◯◯m△秒」みたいな数字じゃなくて、もっと概念的な、エネルギー的な意味での「足の速さ」だったんだな。アメフトで活躍している時期とかもあったけど、最初から最後までフォレストはずっと「足が速い」ままで、その言葉がもつ輝きが最後まで色褪せなかったのがよかったな。
自分の悪癖のひとつに、映画の感想をすぐネットで調べちゃうってのがある。自分の感想の答え合わせをしたくなるんだろうな。でもここで映画の感想を書くときは、そういうのを調べないことにしよう。人の感想を見ていると、何が自分の最初の感想かわからなくなっちゃうんだよね。それってまあまあ怖いことだよな。だから自分の生(き)の感想を最初に書き残して固定するというのは、わざわざやろうとしないとできない、結構有意義なことだと思う。正解を探そうとするな。探さなくとも正しさは常に自分にある、自分だけが正義なのだという思想で生きよ。……とまではいかなくとも、自分の考えには適量の自信を持って生きたいものですね。