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6月21日の日記「本音は仮面に表れる」


 朝、7時間睡眠くらいで1度目覚めた。まだ頭がぼうっとする。そこで、ベッドに戻ってもう1度寝るんじゃなく、座椅子に座って眠ることにした。1時間弱で自然に目が覚める。さっきよりもだいぶすっきりしていた。

 昼寝なら小1時間も寝ればけっこう満足するが、就寝となると6時間寝てもまだ足りないと感じる。その性質を逆手に取り、座椅子で眠ることで身体に「ああ、これは仮眠なのだな」と思わせることで、短い時間ですっきり目覚めることに成功したのだ。もしもう1度ベッドに戻って寝ていたら、何時間もだらだら眠気に苛まれていただろう……って考えてるんだけど、これ本当に合ってるのかな? でも、電車で20分くらい寝ただけでだいぶ元気になった、とかよくあるし、逆に10時間寝たのにまだまだ眠い、みたいなこともある。睡眠の質と量をこう、うまい感じにコントロールできるようになりたいよね。人生の3分の1くらいは眠ってるわけだし。



 日曜の午後はゲーム。ポケモン&シャニマス。途中でなんか飲み食いしたりトイレ休憩したりすることなく、ぶっ続けで7時間くらいゲームやってた。なんだその妙なストイックさは。


 ポケモン、DLC買ってやり始めたけど、ストーリー攻略はダクマを進化させる手前くらいの段階で、厳選作業に戻っちゃった。やはり私は、戦うことでしか己に価値を見出だせない哀れな殺戮マシーン…‥。ええっと、クララが思ったよりもいいキャラしていてよかったね。ポケモンの登場人物、だんだんキャラが濃くなっているというか、プレイヤーの性癖にぶっ刺してやるぜ! みたいな思想が感じられるキャラが増えてきた気がする。女キャラに関しては、BWくらいからそういう雰囲気強まってきた気はするけれど、剣盾は男キャラの人気もすごいもんな。ポケモンだけじゃなく、トレーナー側も含めたキャラゲーになってるね、ポケモン。トレーナーが攻略対象のギャルゲー・乙女ゲーとか出たらどうなるんだろう。俺が発売発表された瞬間に予約することくらいしかわかんないわ。まあ、親御さんがびっくりしちゃうから、絶対に出ないだろうけども。




 シャニマスは、黛冬優子さんをプロデュースした。今から、冬優子さんについていろいろ語るんで、シャニマスに興味ある人は読まないでください。自分の目で確かめてねってやつです。逆に興味のない人はぜひ読んで、興味を出してくださいね。




 黛冬優子さんは、一見可愛くていい子で、みんなから好かれるようなキャラクターをしている(通称「ふゆ」)。けれどそれは演技であり、その化けの皮? が剥がれた冬優子さんは、なかなかに攻撃的で、野心家な女の子だ。……かといって、そのアグレッシブな面こそが彼女の本質だ、と断ずるのは早計である。「ふゆ」を演じる理由は、「本当の自分を知られたら皆に嫌われるから」。また、本人曰く「本当の自分」の振る舞いは刺々しく見えて、周囲を気遣う優しさが潜んでいる。そういった繊細な一面だって、確実に冬優子さんの構成要素だ。「可愛い子ぶってるけど実は腹黒」みたいな、わかりやすい表裏ではないのである。そういう演技をする動機は、冬優子さんの本質的な部分に起因するものだし、冬優子さんのたゆまぬ努力のおかげで、「みんなに好かれる、可愛い女の子=『ふゆ』」は作られているのだから。


 物語の中盤、冬優子さんは作り物の自分と本物の自分との間の揺らぎに苦しみ(作り物・本物というのも便宜上だが)、一度アイドル活動から逃げ出す。しかし最終的に冬優子さんは、「ふゆ」の仮面を被ったまま、アイドルを続けることを選んた。そして、「ふゆ」のペルソナを洗練させることで世界を魅了し、虜にすることに快感を覚えるようになるのである。





 僕の最も好きな文芸作品のひとつに、山際淳司の『スローカーブを、もう一球』がある。高崎高校=通称タカタカの、スローカーブを武器に淡々したピッチングを見せるエース・川端俊介にスポットライトを当てたノンフィクションだ。この作品には、クールで痺れるフレーズがたくさん出てくるんだけど、その中でも特に印象に残っているものがある。川端の高校球児らしからぬマイペースな振る舞いを評した、

「それは一つのポーズであるのかもしれないが、いかなるポーズをとるかも、その人間の表象の一つだろう」


 という、一文。この一文に、自分は強く膝を打った。嘘をつくのは、守りたいと思っている部分があるから。演技をするのは、「周囲にこういうふうに見られたい」と気持ちがあるから。人が仮面を被るとき、その行為の根本にあるのは、きわめて本質的な心理なのだろう。ある意味本音を言うときよりも、その人にとって重要な何かで、ペルソナは形成されている。だから仮面を被るとき、「これは本当の自分じゃないんだ……」なんて思い悩む必要はないと、自分は思うのだ。冬優子さんをはじめ、自分を偽っていることに罪悪感を覚えている人たちに、『スローカーブを、もう一球』を読んでほしい。そんで、この作品のかっこよさ、特に締めくくり方の美しさに、いっしょに打ちのめされましょうぜ。


 






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