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【小説】とあるスポーツが存在しない退屈な世界線で起きたあまりにも不可解な殺人事件
――直径72.9ミリから74.8ミリの球状の物体が、時速165キロの速度で頭部に直撃したことによる脳挫傷――
三浦は何度もその死因を脳内で反芻するが、どんなボールがどんなスピードで撃ち出されたのか、その映像を鮮明にイメージすることは叶わなかった。三浦に分かっていることはただ1つ、そんな芸当は人間には不可能であるということだけだ。
現在捜査真っ只中の、都内某所で起こった謎の殺人事件。犯人は何らかの道具を使用して殺人を実行したに違いない。しかし、そのぐらいの大きさの弾を、そのぐらいの速度で射出する凶器など、三浦にはまったく思いつかなかった。実際、どれだけ調べても、該当するようなものは見当たらない。それも当然だろう、弾は大きければ大きいほど空気抵抗を受けて狙いが逸れるし、所詮スピードも拳銃の10分の1程度だ。こういう言い方をするのはよろしくないが、人を殺すにはもっと良い方法がある。すなわち元々殺人の道具ではないものを、殺人に使用したということなのだろうか。
殺した方法ははっきりしないが、殺した人間の目星はついている。第一発見者である大滝亮平という青年だ。殺人に使われたボールの行方が知れないことから、大滝が第一発見者であると同時に犯人で、凶器の処分してから警察に連絡したのだと、三浦は考えている。
しかし、大滝にはアリバイがあった。大滝は被害者の死亡推定時刻である時間帯に、現場から18.44メートル離れた居酒屋に居たらしい。酒も飲まずに長時間カウンター席に座っていたため、店員が印象深く覚えていたそうだ。死亡推定時刻の時間帯、大滝は一度電話で数分店の外に出ていた、と店員が証言してくれたが、その僅かな時間で大滝は殺人を実行できたとは考えづらい。その居酒屋と現場は道路を挟んでおり、人通りは少なくとも交通量は多い。かといって横断歩道は300メートルほど先にある。仮に大滝が数分で全力疾走で現場に向かい殺人を遂行し、再び全力疾走で戻ってきたとしたら、流石に大滝は平常な状態ではいられないはずで、それこそ店員が違和感に気づくはずだ。
ならば大滝は道の反対側からボールを撃ち出す謎の凶器を用い、僅かな時間で息ひとつ切らすことなく殺人を実行した。これなら説明がつくように見えるが、ではその道具はどこに持っていたのか、という話になる。そのときの大滝はまったくの手ぶらだったらしい。拳銃ならともかく、あのサイズの弾を射出する装置なら、それなりの大きさがいるだろう。とても隠しきれるとは思えない。持てるとしてもせいぜいボールくらいだ。凶器が見つからない以上、大滝亮平に犯行は不可能である。何度目か分からない、同じ結論の到達に、三浦は頭を抱えた。
※ ※ ※
その事件の捜査が難航する中、また都内で殺人事件が起こった。被害者の頭部が凄まじい力で握り潰され、殺害されるという殺人事件。
これは数日で犯人が捕まった。理由は簡単で、例の事件とは異なり、その殺害方法が人間業の範疇だったからだ。犯人は現場近くの某高校に通う高校生。ここまで言えば誰しも予想がつくことだろうが、やはりその学生は果実破壊部に所属していた。
日本を代表するスポーツである果実破壊。毎年夏になると、甲子園に各都道府県の予選を勝ち抜いてきた果実破壊部が集い、全国の頂点を決める。迸る汗、流れる涙、飛び散る果汁は、人々は大いに感動するだろう。プロ果実破壊では12チームのファンが毎日贔屓チームの試合結果に一喜一憂し、莫大な金が動いている。そして4年に1度開催されるワールド・ブレイクフルーツ・クラシック、通称WBCでは、「ブレイクフルーツではなく果実破壊」をモットーに、第1、2回の優勝国として他国と激しくぶつかり、国民全員を熱狂させる。今回の事件の犯人である少年は、果実破壊の中でも最も観客を魅了する果実握潰を得意とするスター選手として、チームを甲子園に導き、プロ、ひいては世界でも活躍することを嘱望されるような学生だった。だからこそその握力の強さ、握り潰すときの人差し指に異常に力がかかる癖などは広く知られており、遺体の状態からすぐに彼は容疑者に挙げられ、速やかに逮捕まで至った。それは光輝く将来が待っているはずの少年が起こした、あまりにも悲惨な事件であった。
※ ※ ※
その少年の取り調べを終えた帰り道、三浦は近所のスーパーでスイカを1玉購入してしまった。少年が言っていた「握り潰された人の頭は、スイカによく似ていた」という言葉が、耳を離れなかったからだ。しかし買ったはいいものの、その言葉がこびりついているうちは、とてもじゃないが食べる気になれない。夕食を終え、何かすっきりしたものでも口に入れたい気分だったが、スイカの中身にみっちり詰まった赤い肉を想像すると、今までそれにむしゃぶりついた過去の自分さえ気持ち悪く思えてきた。三浦はテーブルの上のスイカをぼうっとした目つきで眺めたあと、ふと自らの手を、スイカの上に乗せた。満身の力を込めて、スイカを握り潰そうとする。なぜそれができたかというと、自分がどれほど力を込めようとも、決してスイカが潰れるわけがないということを分かっていたからだ。しばらく食いしばっていた歯の力を緩め、高校時代の果実破壊部だった友人のことを思い出す。果実を握り潰すときは、手の力を使うだけじゃ駄目なんだ。全身の力を使わなきゃ。そう友人は言っていた。スイカを1.5秒で潰せるようになったら、全国でも通用するぜ、とも。その友人は果実破壊部のエースだったが、最後までスイカ握潰2秒の壁を破れずに、選手として甲子園の土を踏むことは叶わず、現在は甲子園で破壊されたフルーツを美味しく頂くスタッフとして働いている。犯人だった少年は確か、スイカを1.2秒で握り潰せるらしい。プロでもそうそう見ない数字だ。そんなパワーと技術とがあれば、人間の頭も握り潰すことも容易だろうという気持ちと、是非あの少年にはうちの贔屓のチームに来てほしかった気持ちで、三浦は複雑な心境に陥った。三浦に実際果実破壊をプレイした経験はないが、贔屓である関西のチームの試合を観るためにわざわざBSを契約するくらいには果実破壊好きなのである。
明日は筋肉痛になるに違いない。そう思えるほどの力を込めたのに、何ら変わった様子もないスイカを見ていると、急に三浦の背筋に鳥肌が立った。スイカに対する畏れではない、スイカを簡単に握り潰せる人間がこの世にいるということ、すなわち自分が絶対に不可能だと思うことを実現する人間がいるという事実に対して、畏れを抱いたのである。そして、三浦は、ふと考えついた。例の事件において、大滝亮平は何らかの道具を使ってボールを撃ち出したのではなく、大滝自身がボールを投げることで、殺人を実行したのではないか、と。それならば、抱えている疑問のすべての説明がつくからだ。
そんなこと、ありえない、と三浦は首を振る。時速165キロがいったいどれほどのスピードなのかイメージはつかないが、人間の肉体が出せるようなものではないことだけは分かる。もし、人間がその速度でボール投げられたとしても、18.44メートルという距離から、確実に頭部を狙ってコントロールできるなんて考えられない。ありえない。ありえない。でも、ありえないが、ありえる。目の前に鎮座するスイカが、そう言っている。
仮に、仮にだ。「果実を握り潰す」という能力に関して天賦の才能を持つ人間が、「より大きく、硬い果実を握り潰す」ための鍛錬を何年も積み重ねることで、人間の頭蓋すら簡単に握り潰すことが可能になるように。「速いボールを投げる」という能力に関して天才的な肉体があり、その肉体が「より速いボールを投げる」ことに特化した鍛錬を行い、その努力を10年か、それ以上積み重ねることができれば、人間は165キロのボールを投げることができる、のかもしれない。人間の秘めた力は底知れない。そこまでの条件を揃えれば、ありえなくはない、のだろうか。でも、それを、なんのために? 速いボールを投げることに、そこまでの労力を費やす意味が分からない。あまりにも大きな才能、努力、そして時間を無駄に遣った、まさしく狂人の所業ではないか。
ただ三浦は、そこで思考を止めなかった。「より大きく、硬い果実を握り潰せることがアドバンテージになる」果実破壊のように、「速いボールを投げることで有利になる」ような仕組みの競技が存在するとしたら、165キロのボールを投げることにそれだけの価値が生まれるのかもしれない。一方がボールを投げ、一方がそのボールを打ち返すスポーツ、とか。それでも、ただ前に飛ばすだけじゃ打ち返す方が有利すぎるから、ある程度きれいに打ち返さない限り、打つ側の勝利を認めてはならないだろう。しかし、165キロものボールを正確に打ち返すなんて、恐ろしくなるような難易度ではないか。10回やって3回うまくいく、成功率が3割いけば優秀な方だろう。7割方失敗するスポーツの、何が面白いんだ? たとえそんなスポーツがあったとしても、果実破壊のように国民的なスポーツになることはないだろう。……でも、冷静に考えてみたら、ただ果実を破壊するだけで年俸が何億も貰える世界なんて、既に狂っているのではないか? だったら球を投げて打ち返すだけの競技でも、あんがい興行として成立するのかも――
そこまで考えたとき、三浦に強烈な眩暈が襲った。こんな妙なことばかり考えているから頭がぼうっとするのか、頭がぼうっとしているからこんな妙なことばかり考えてしまうのか。いったいどちらなのかは分からない。日付が変わらないうちに、三浦は床に就くことにした。瞼を閉じ、完全な眠りへと落ちる寸前。大滝自身が時速165キロのボールを投げたのだというセンで改めて捜査をしようと、心に決めた。
しかし翌朝、三浦は昨晩の自分の考えを、自分自身で一蹴した。最近は事件続きで疲弊していたから、訳のわからないことを考えてしまったのだ。あんなもの推理でもなんでもない、ただの妄想に過ぎない、と。そして1週間も経てばあのスイカも跡形もなく消え去って、「人間が時速165キロを投げられる可能性もあるかもしれない」なんて考えに至ったこと自体もすっかり忘れている。それから三浦は凶器の特定に注力した捜査ばかり行い、贔屓のプロ果実破壊のチームがリーグ1位に躍り出たことで、14年ぶりの優勝がありえるのではないかと、毎日夢中になってプロ果実破壊の試合中継に噛り付いた。けれども最終的に165キロの速度でボールを射出できるような凶器は見つからず、贔屓のチームは例年通り後半戦に連敗を重ね失速、最下位に転がり落ち、その事件は迷宮入りに終わった。