ピペドがピペドを辞める時

住めば都というが、ピペドはその環境が地獄だと気づかないまま(むしろ天国と錯覚しながら)、自身が業火にやきつくされるまで、科学の進歩に邁進する。

先日、理研の雇止め問題が、話題となった。
雇止めの対象となる研究者に対して、同情的な記載・意見が多かったと思う。
たしかに、日本の研究環境について個人的に思うところはあるが、アカデミアを去った私の視点からすると、己の研究以外に視野が及ばない状況で雇止めが制度化されて年単位が過ぎた後、文句だけいうのは筋違いだ。私などより優秀な人間が自身の状況すら認識できないなど、頭の切れる愚か者以外の何者でもない。転職先も私より引く手あまたのはずだし、労働組合は特殊な技能のない人たちが団結するための組織であって、特殊技能のある有能な人には本来必要性が低い。そのため、私はこのニュースに違和感を感じた。

ピペドとは2chかどこかの適当な自虐ネタの造語らしく、ピペット奴隷?の短縮らしいが、個人的には”テニュアを得られていない生物系研究者の多く”ぐらいの緩い定義だと考えている。そう考えると、(私が言うのはおこがましいが)理研職員の大半がピペドという計算だ。

私の場合、教授との折り合いが悪くなり目が覚めた。当時は、その教授を好きになれなかったが、「あなたのアカデミアでの成功は無理だ」と率直に言ってくれた当時の教授には今では本当に感謝している。この時、アカデミアが自分にとって地獄なのだと分かった。なぜなら、自分は研究が自分の”美”ではなかったからだ。教授は、この私の本質を見抜いていたのだろう。
アカデミアに骨を埋めることは、真にいばらの道を進むに等しく、己の辞書には「QOL」や「時給」などの単語は存在しないことが条件だ。三度の飯より、女より、酒より、金より、研究なのだ。

私は、任期付きの助教を1年経験した。たかが一年だが、科研費の取得には成功したし、雰囲気ぐらいはつかめたと考えている。しかし、土曜日の午前は一切賃金が出ないにもかかわらず、出社?が義務付けられていた(大学全体としてパワハラ状態)し、夜も馬鹿な学生の採点(なぜ怒りを感じたのかは後述)等で夕方からやっと始められる実験が深夜に及ぶ状態だった。年収は500-600万程度だったと思うが、時給はマックのバイト以下だった。

ポスドク時代、ハーバード系列の研究所で働いていた。ハーバードの大学院生たちがよく実験しに来ていたのが、(当たり前だが)本当に優秀だった。
その後、助教となった大学は日本国内の医療系の最下層の私立大学で、経営のために学生は無駄に多く、学生のテストはほとんどが再試。つまり採点量が初めから2倍だったし、ダブルチェックが必要で計4倍だった。あげくのはては、卒業したはずの学生の国家試験合格率がワースト常連。私自身の自己実現からは遠すぎる日常。マック以下の「時給」。辞める勇気がなかっただけで、かなり精神的に追い詰められていたと思う。
さらに、私には愛すべき家族がいる。研究に美を見出す人は、大なり小なり家族(とのつきあい)を犠牲にする必要がある。私にはできなかった。
任期付きの助教という立場は、多少給与の良いポスドクみたいなものだ。5年程度で雇止めとなる制度だった。(テニュアの有無には海より深い溝がある…)

だから、私はピペドを辞めた。しがないサラリーマンとなった。サラリーマン生活もすでに5年以上になった。
9時5時生活。美人妻。子供3人。投資までできる時間的・経済的余裕。
何をもって美とするか、幸福とするか、ピペドの皆様には再考願いたい。
転職の話は、どこかでまた書きたい。

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