冷たい風に震える蕾。
昨日も夕方からの授業だったので,朝まで起きて,昼間寝ていた。今年は選抜高校野球を1試合も見ずに終わりそうだ。
15時半くらいに部屋を出ると,ものすごく寒かった。渋谷に着くと,桜の花がほぼ満開だったけれど,風も冷たく,お花見には向かない天気だった。
4月になって,遊んでいた生徒たちも徐々に集まってきたのか,校舎は何だか賑やかだった。最初のクラス分けテストに向けて,そわそわした落ち着かない気分で過ごしていることだろう。本格的に授業が始まるまで2週間。講師側もいよいよ暇な時期が終わってしまう。
11年前,浪人時代の2008年度,僕は毎日SNSに日記を書いていた。ガラケーに向かってひたすら文章を打ち,メールを送信して更新,というのを1年間で1000回繰り返した。
『短い文章で更新数を稼ぐのはズルい』
どこで教わったわけでもない謎の価値観に支配されていた僕は,1本につき500字以上書くことを自分に義務付けていた。
『ネタがない』×100
そんなズルも防ぐために,『ネタがない』や,それに準ずることを書かないというルールも課していた。結果的に,毎日同じようなことを書いていた。そりゃそうだよな。
毎日同じ校舎に通い,同じ教室で,同じ先生の授業を受ける。同じ電車に乗って登校し,同じメンツで昼ご飯を食べて,同じ電車に乗って下校する。リフレインが叫んでた。
ときに,こんな生活がこのまま一生続くのではないか,という妄想に囚われたりもした。そのくらい淡々と同じことを繰り返していた日々だった。だからこそ,些細な変化さえ貴重な日記のネタになった。電車で向かいの席に座ったカップルの行く末を案じてみたり,週ごとの席替えで両隣が女の子になったと狂喜乱舞してみたり,何を食べてもうんこが茶色い不思議をポエムにしたためたりした。驚くほど平坦な日常を,壊れるほど抱きしめた。
ある意味で世界に対する感度が上がっていたと言えると思う。あの頃ならこれを書かずにいられるか,と思ったであろう出来事を,今の僕はいくつもスルーしているような気がする。別にわざわざ書き残すほどのことでもないな,と思ってしまうのは年を取ったせいだろうか。それとも,また同じルールを自分に課せば,取り戻せるものだろうか。どうして,どうして,離れてしまったのだろう。
桜の花はもうすぐ散ってしまうだろう。自然は同じことを繰り返すけれど,時代が流れて,年齢を重ねて,人の立場は変わっていく。あの頃生徒として予備校に通っていた僕は,場所は違えど教える側になった。
何の変化も起こっていないように見えても,ゆっくりと確実に人は変わっていく。そして突然,花開く。今年は咲かなかった蕾を見守る日々が,今年も始まる。