人間臭くないと作れないものを。
ここ3年間は『飲み会』というものが激減。
まぁ多くの方々が同じだと思うけれど、やっぱりもしも飲み会でコ◯ナにかかったよ、となると都合の悪い事も多くて極力避けてきた。
意外なことにあんなに飲み会が好きだったのに、めちゃくちゃ寂しいとかつまらないの感情はなくて、生活が整頓されたような心地良さが勝ってきたので 正直何も失った気はしなかった。
足を運ぶ飲み会といえば、ごく親しい人の送別会(送別会だけはこの三年めちゃ多かった、人生見つめ直す人多し)くらい。
それもビジネスの関係なのでサラッとマスク会食を終えて、次の日にダメージなど残す事なくて 私はコ◯ナ禍の優等生をしていたのだ。
しかし、久々に先日は翌日にダメージを残し(体も財布も)反省文として残すことにした。
これもまたビジネスの仲間で初めての集まりなので、開始こそ『はい、今日もさらりと終えられそ』くらいにいられたのに、おやおや中盤に差し掛かり、あまりの心地良さにほぼ何も食べず酔いと時間を楽しんでしまった。
日本酒とお肴の美味しいお店で、日本酒をいただいたところからおおよそおかしい。
カラオケにも行った、多分。
タンバリンのアザが残るほどのカラオケ。
そこから次の記憶は、三軒目がひくほどの急な階段、私が足が付かない程のハイチェアのバーで居心地が悪くて降りたがり、床に座りたい本能からおそらく土下座してました。
この歳になってあまりにもです。
ええ。
目に余ります。
誰に謝ればいいですかね?
記憶は断片が欠けているものの、会話の中の『人間臭さがもっと必要』みたいな話は思い出せた。
飲みすぎた翌日に使い物にならない自分をさらけ出せるチームだったらいいのにね、なんて話をしていて。
この日飲んだ仲間が、プロモーションを考えるために集まったチームだった事から、このマインドが合致したのがあまりに心地良かった。そのタイミングで入った日本酒が悪かった。(いや、よかったのかも)
もっとエモーショナルを受け止めて、その正体が何者なのか突き止めたい。
一旦ダメな人間感も受け止めたい。
感情は揺らいで良い。
元々の人に迷惑をかけないように、の世の中な日本に拍車がかかったコ◯ナ禍で窮屈に暮らしているなら、オシャレなバーで土下座しちゃうこともおすすめしてみる。
笑って許してくれるかもしれない。まぁ怒られるかもしれないけど。
感情の揺らぎを忘れてモノづくりは出来ないことを思い起こさせた一日でした。
夢でもなく、間違いなく現実だったことは、恐ろしいタクシー代の領収書が教えてくれ、隠す事も出来ないフラフラ帰宅で、家族にも土下座してこの一日を締めました。