「天災は忘れた頃にやって来る」寺田寅彦の名言です。
「天災は忘れた頃にやって来る」
「健康な人には病気になる心配があるが、病人には回復するという楽しみがある。」
「科学は不思議を殺すものではなく、不思議を生み出すものである。」
天災という単語は自然の大災害を普通意味すると、思いますが、生活の中で私たちは「小さな天災」に見舞われることがあります。
ブルーツースイヤホンの片方が側溝に落ちてしまい、諦めるしかない!
etc車載でないのにスマートICに入ってしまい、後から請求書払いになってしまった!
また、身近な人が「小さな天災」になる場合もあります!
なので、「小さな天災」に打たれる前に「小さな幸せ」を探しておいたほうが賢いかも知れません💦
科学者であり、随筆家である寺田寅彦の短編は人生を科学者の目で洞察しながらも慈愛に満ちた珠玉の傑作となっている。
特に晩年に書いた「柿の種」の中から二編を紹介します。57才の若さで永眠しました。
寺田寅彦とは
簡単に紹介しておきます
寺田寅彦は1878年に東京都千代田区で生まれ、高知県で育ちます。熊本県の高校で英語教師をしていた夏目漱石と、物理教師をしていた田丸卓郎に出会い、知遇を得て東京帝国大学理科大学に進学。文学と物理学の道を志しました。
その後、大学、大学院と卒業すると、そのまま教授職に就きます。理化学研究所や東京帝国大学地震研究所などでも研究をしています。その一方で文学や音楽にも造詣が深く、それらを融合させた多くの随筆を発表しました。
また夏目漱石の元に集まる弟子の中でも最古参の1人で、漱石の『吾輩は猫である』の水島寒月や『三四郎』の野々宮宗八のモデルだといわれています。
1935年の大晦日、57歳で転移性骨腫瘍のため、永眠しました。
『柿の種』
<コスモスと蟻>
コスモスという草は、一度植えると、それから後数年間は、毎年ひとりで生えて来る。
今年も三、四本出た。延び延びて、私の脊丈けほどに延びたが、いっこうにまだ花が出そうにも見えない。
今朝行って見ると、枝の尖端に蟻
が二、三びきずつついていて、何かしら仕事をしている。
よく見ると、なんだか、つぼみらしいものが少し見えるようである。
コスモスの高さは蟻の身長の数百倍である。人間に対する数千尺に当たるわけである。
どうして蟻がこの高い高い茎の頂上につぼみのできたことをかぎつけるかが不思議である。
(大正十年十一月、渋柿)
<花を咲かせない>
住み家を新築したら細君が死んだという例が自分の知っている狭い範囲でも三つはある。立派な邸宅を新築してまもなく主人が死んでその家の始末に困っているという例を近ごろ二つ聞いた。
しかし家を立ててだれも死ななかった例は相当たくさんにあるであろうから、厳密な統計的研究をした上でなければ「家を建てると人が死ぬ」というような漠然とした言明は全然無意味である。
しかしまた考えてみると、家を建てると人が死ぬということも、解釈のしようによっては全然無意味だともいわれない。
今まで借家住居をしていた人が、自分の住宅を新築でもしようということは、その家庭の物質的のみならず精神的生活の眼立った時期を劃する一つの目標である。今までは生活の不如意に堪えながら側目もふらずに努力の一路を進んで来たのが、いくらかの成効に恵まれて少し心がゆるんでくる。
そういう時期にこの住宅の新築という出来事が起こるという場合がしばしばある。そういう時にもしもその家の主婦が元来弱い人であり、どのみちそう長きをすることのできない人であったと仮定する。
そうするとその主婦の今まで張り詰めていた心がやっとゆるむころには、その健康はもはや臨界点近くまでむしばまれていて、気のゆるむと同時に一時に発した疲れのために朽ち木のように倒れる。そういう場合もかなりありうるわけである。
また従来すでに一通りの成効の道を進んで来た人が、いよいよ隠退でもして老後を楽しむために新しい邸宅でも構えようというような場合にも、やはり同じような事がいわれようかと思う。
植物が花を咲かせ実を結ぶ時はやがて枯死する時である。それとこれとは少しわけは違うがどこか似たところもないではない。
いつまでも花を咲かせないで適当に貧乏しながら適当に働く。平凡なようであるが長生きの道はやはりこれ以外にはないようである。
(昭和十年十月十一日)
寺田寅彦自身の『柿の種』序文
元来が、ほとんど同人雑誌のような俳句雑誌のために、きわめて気楽に気ままに書き流したものである。
原稿の締め切りに迫った催促のはがきを受け取ってから、全く不用意に机の前へすわって、それから大急ぎで何か書く種を捜すというような場合も多かった。
雑誌の読者に読ませるというよりは、東洋城や豊隆に読ませるつもりで書いたものに過ぎない。従って、身辺の些事に関するたわいもないフィロソフィーレンや、われながら幼稚な、あるいはいやみな感傷などが主なる基調をなしている。
言わば書信集か、あるいは日記の断片のようなものに過ぎないのである。
しかし、これだけ集めてみて、そうしてそれを、そういう一つの全体として客観して見ると、その間に一人の人間を通して見た現代世相の推移の反映のようなものも見られるようである。そういう意味で読んでもらえるものならば、これを上梓するのも全く無用ではあるまいと思った次第である。
如何でしたでしょうか。
青空文庫で読めるようです。
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寺田寅彦 柿の種
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