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反動期の高校演劇 6

反動期の高校演劇〜「らしさ」をつくるために〜

⒍コンクール以外の活動が開く、現在の可能性と隘路

    私はこれまで、現在の高校演劇について、否定的で悲観的なことばかり書き過ぎたかもしれない。たとえば、飴屋法水と福島県立いわき総合高校との『ブルーシート』が岸田國士戯曲賞を受賞する等、プロの演劇人と高校演劇との協働はこれまでに無いほど進んでいるという見方も可能だからだ。ここで『ブルーシート』を引き合いに出したのは、無論、岸田賞が偉いと言いたいのではなく、それがコンクール以外の自主公演の営みから生まれたものだからだ。『ブルーシート』だけではなく、高校演劇の世界でも全国至る所で日々無数の自主公演が行われている。東京などの都市部ではコンクールよりもむしろ自主公演の方が演劇部の主な活動であるという。確かに自主公演では、これまで述べて来た「高校生らしさ」を産出するコンクールの構造からは自由であり、60分という上演時間の縛りが無く、大人との共演も可能になる等、表現上の規制も格段に少なくなるので、より多様で豊かな表現活動を実現しやすいと言える。だが、それはあくまで可能性であり必要条件に過ぎない。実り多い創作活動の十分条件とは何だろうか。

    コンクールが、勝利至上主義から表現の多様性を狭め、「高校生らしさ」を再生産する結果になりがちだとすれば、自主公演も、「みんなちがって、みんないい」式の相対主義や日和見主義の隘路に陥る危険を伴う。それがプロの演劇界の根無草・無重力状態の劣化版にならない保証はどこにもない。

    それでは高校演劇における重力とは何か。それはやはりコンクールと「高校生らしさ」に他ならない。本稿が長々と「高校生らしさ」にこだわったのもそれゆえである。たとえ否定的なものであったとしても、それは依然として高校演劇における基準であり続けており、「高校生らしさ」に対峙するより他に、高校演劇における真に革新的な作品を生み出す道はないと考える。そしてそれこそが、自主公演においてさえ実り多い活動を可能にする十分条件であると考える。
( 7に続く )

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