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「行政アーティスト」という肩書のスーパー公務員(1)~山形 巧哉さん~

※2019年4月12日初出の記事をnoteに引っ越ししたものです

「行政アーティスト」という肩書で、地域の役に立つITサービスを次々とリリースする山形さん「地方にはITに詳しい人材はいない」とは、地方に行ってよく言われることですが、ここまでITサービスを次々と世に出す公務員は東京にだってません。

森町は函館の2つ隣りの北にある人口1万5千人の町ですから、そもそもIT関係者の数もそう多くはないはず。元々ITの専門家でもなく公務員志望ですらなかった地方公務員が行政アーティストとして毎年賞を取り続けるようになったのはなぜというところが今回の取材の動機だったりします。

 ​話し手:北海道森町 行政アーティスト 山形 巧哉さん
​  聞き手:サイボウズ 野水

田舎の町だからいろんなチャレンジができた​


そもそも何で役場入られたんですか

そこ行きますか。(笑
高卒でそのまま就職先が無くて。僕は元々美容師志望で…。

見た目は公務員より美容師さんな感じですよね。(笑

「卒業したら美容師学校に行って美容師になるんだ」って気持ちが強かったんですけど、地元に残るっていう事になって。それを決めたのが高校3年生の夏前だったので、もう紹介出てる就職先無いぞ」って話になり、「公務員試験を頑張って受けるしかない」って言われて…。​

入ってみたらどうですか?意外と面白かったとか​

最初はやっぱりキツかったですね。元々「地域のために」とかいう気持ちが強くて入った訳じゃなく、最初の2~3年は色んな仕事もしたし、「住民との触れ合い」と呼べるような優しいものじゃないので…(苦笑)​

そういう中からITとの接点ってどの辺だったんですか?​

2003年8月からICT系の担当になって。たまたま僕が一番若かったのとITが得意っぽいって事で。​

得意だったんですか?​

​僕のウチの親父が変わった人で、僕ら兄弟が当時流行ってたファミコンが欲しいと言ったら、「これがあるとゲームが作れるらしい」と言われてパソコンを買ってきちゃったんです。

勉強にもなるゲーム機!​

そうですね。でもpingが打てた訳でもないし、LANケーブルが作れた訳でもないし。ただ嫌いじゃなかったっていう感じですかね。

どこで何が目覚めたんですか?​

​何でしょうね。ウチの町は貧乏だったので、「何かやりたい」っていった時にITに対する予算もなかなか付かなかったので。「そんなのやるぐらいだったら漁港直す」とか。
あと僕自身が好きだった。「LINUXを触るのが何となく好き」とか。

かなりマニアックですよね(笑

​当時の業者さんが良い人ばっかりで、「こういうファイルサーバーを作りたい」って言ったら、「ウチに頼むとこういうお金が掛かるけど、山形さんが自分で学んで覚えられるなら教えてあげるから作ってみたら」って言ってくれて。​

うわあ、いい人ですねえ

凄い良い人で。「メールサーバー建ててみようか」とか、「sendmailを使ってやってみようか」とか。
あとファイルサーバーは当時Active Directoryが出た所だったので、「これはADにした方が良い」って、先見の明がある業者さんで。

東京でもそこまで先進的で理解のある人はなかなかいませんよ

​​森町は2庁舎で町という規模にしては大きい方だったので、「自分達で出来るようになった方が我々に声掛けるよりも楽ですよ」って言ってくれて

それでもさらに飽き足らずに地域の事までやり始めると

​なんとなくなんですが、ウチの婆さんがキッカケで。
ウチの婆さんがここ数年痴呆になって、日に日にボケていっちゃって会話もままならないようになっていってたんですけど、やっぱり婆ちゃんと過ごしてた日々をリフレインするじゃないですか。「あんなに元気だった婆ちゃんが…ショックだな」とか。

そういうのを思っていく内に、僕婆ちゃんと昔話をするのが凄く好きで、色んな話を聞かせてもらってたんですけど、そういうのが無くなっていくんだなとふと思ったんですよね。それで「婆ちゃんとの思い出とかをIT化して残せないかな」とか、やんわりと考えてた時に色んなものが重なって。

色んなものっていうのは?​

一番最初になぜかそこで思ったのが地図だったんですよね。結局「婆ちゃんのものを残したい」って言っても何を残していいか分からなくて、「とにかく手を動かしたい」と思って見たのが地図だったんですね。

「何をやるにもまず地図なんだろうな」って直感的に思って、OpenStreetMapっていう自由に使用できる地図サービスにそういうのを残し始めたんですよね。「とにかく町を残す作業って大事なんだろう」って突き動かされて残し始めていったんですよ。

そうこうしてる内にウィキペディアを見たら、ウチの町の ウィキペディアの情報がやけに少なくて。

ありますよね。5行で終わってる自治体とか

そうそう、「何でこんなに少ないんだろう。ウチの婆ちゃんの話を聞く限りだったら凄い歴史のありそうな町なのに」って思ってるうちに、「どうやらウィキペディアタウンっていうものがあって、地域の歴史を ウィキペディア に書き残していこうって取り組みがある」って話を聞いたんですね。

それで国内で3例目か4例目ぐらいにウチの町でウィキペディアタウンを開催して、そこで地域の歴史を残していこうって取り組みを始めたんです。

なので元々は「婆ちゃんとの思い出を残したい」っていうザックリした気持ちからどんどん発展して、「地域はアーカイブされる事を望んでるのかもしれない」っていう風に思い始めて。

思い込んだら止まらないタイプですね。(笑​

そうですね。「これはやるしかない」って思って後輩にすぐ声を掛けて。「地図描きたいから一緒にやろうよ」って。

そうこうしている内に新聞社が来てくれて取材してくれたんですよね。それが地元の一番デカイ北海道新聞さん。
​​

お、北海道の代表紙、道新さん

​それの道南版ってやつなんですけど、それに記事を載せてもらったら、その記事を見てくれた地域のお爺ちゃんがいきなり役場に来て、「凄い面白い事やってるからウチに遊びに来い」ってナンパされて。​

お爺ちゃんにナンパされた!(笑

​みんな地域に対する熱い思いを持ってるし、「残したい」って気持ちもあるけど、「結局自分が死んだらこれは捨てられるんだろうな」って気持ちが強いらしくて。

言葉は悪いですけど、もう亡くなってしまうじゃないですか。その人たちって物じゃなくて口伝情報も沢山持ってるんですよね。その口伝情報をいかに後世に残していくのかっていうのに面白さを感じて。

ハウモリっていう団体はそういうことをやるために作ったんですか?

元々はそうですね。​

名前の由来ってなんですか?

​僕は北海道のオープンデータって取り組みもやっているので、それの森町のローカルだからMori Localで、頭文字を全部取るとHOWMLだったのでハウモリだったんですけど、途中で「これは運命だな」と。

HOWって「森をどうするか」っていうHOWだと思って。それで「森町をどうするか」って名前に変えちゃおうっていうので今はハウモリという事で。

オープンデータの取り組みを元々どういうキッカケで始めたんですか?​

大学さんとの共同研究ですね。「北海道全体でこれをやらないとダメな話なんだろうな」って思い立って、知り合いに声掛けまくって、「一緒にやっていこうよ」というので…。

2歩ぐらい先が見えちゃうんですね。

​どうなんでしょうね。つい「面白そうだな」と思ったらやりたくなっちゃうというか、そういう感じですね。

プログラミングもまさか自分で?

​いや、それはできなくて、詳しい方が「僕手伝ってあげるよ」って言ってくださって。それで森町のデジタル年表がボーンって作られて、それをLODチャレンジっていうコンテストに出したらアイディア部門の最優秀賞を頂きまして。味を占めちゃって(笑
田舎の町でもやろうと思えば色んな事が出来て、「田舎者だからそういうのやってもダメなんだろうな」って思い込みっていうか、田舎特有の考え方っていうんですかね。

「どうせ勝てない」みたいな。

​そうしたら「意外にイケてるじゃん」「森町イケてるじゃん」って事に気付いて。逆に小さいからこそ面白い事も出来るし注目してもらえるんだって事に初めてそこで気付いたんです。

山形さんが手がけた「5374」(ゴミなし)「オガルコ」、「AKIJIKAN」単機能で操作もシンプルでわかりやすい。
壮大なプロジェクトではなく、近所のおじちゃんおばちゃんに言われた「これ、わからん」みたいなことを解決してゆくようなアプローチ。
こちらは、道南20市町村​で共同利用されている熊のトレースサービス「ひぐまっぷ」もともとは山形さんが作ったものではないが、色んな人を巻き込むうちに、道南のプロジェクト代表者になってしまった。

後編はこちら


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野水克也(nominomi)
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