2024年までのGROWLYと
語弊なく言いたいが、薄情という言葉こそ自分だと思ったりする。
俺たちのライブハウスGROWLYは無くなった。"俺たちの"なんていうほど張れる胸や情が本当に俺に存在しているのか、問いただして分からなくなる。大変に世話になった場所であるし、そこに集う先輩たちに押し上げてもらっての今の俺なのは確か。その恩を返しきる自信なんかは微塵も持てないのがまた俺であり、ここで情という言葉が合ってるならば、正しくの薄情が俺です。俺は俺の利己的な判断で生きているのみ。変わりたいけど変わらない根がある、それで離別するしかなかった人間関係もある。
GROWLYでの年末の閉店イベントは素晴らしいものだった。昼から翌日の明け方まで、面倒臭がりの俺には意味不明な長丁場。それなのに俺はド頭からその場に居続けることにした。GROWLYが俺を変えてくれたからこそ、かろうじて最後の日ぐらいは全てを寄り添える俺になった。最初のバンドから涙が出た。再結成したピアノガールは素晴らしかった。なんやかんやあって俺たちトリを務め、最後のGROWLYの音の天井を見送った。疲れて寝たら年末、俺は仕事で愛知で年を越し、気づけば2025年。
時間がただ進むのだ。
1月、なんばHatchでGROWLY葬送イベント。
色々デカかった。売れてるバンドも出てたし。
なんか薄情な俺的には、いやもうGROWLY無くなったやん、??の気持ちも少しぐらいは無くはなかった。これは決して嫌な言い方をしたい訳ではなくて、俺の根からの性根はこんな程度ということ。俺はスタッフでもなければ、、、でんでん
まぁ俺らのボスであり、俺がプッシュし続けたい人間・内田秋は職を失った訳でもある。軽はずみに俺の心のうちの少しのあたたかさや怒りなどを、こんなnoteには書けるまい。俺のことをよく知ってくれている人たちだけが、察してくれても、くれなくてもいい。
GROWLY、好きでした。
なんばHatch、トリで俺たちが弾く番になると相当に熱い気持ちになったし、感動した。
デカいステージに連れて行ってもらえて感謝です。そこに立ってやっと分かる素晴らしさがあった。
GROWLYがなくなっても、好きなものが終わっても、毎日昼までぐらいに起きれたら太陽を浴びて。暑いな、寒いな、とか感じましょう。
散歩とかもすればいい。
適度に穏やかに生きて、たまに信じられないぐらいの気合いを出して。それがなにかのタイミングに相性の波で相乗して、爆ぜればいい。
うまく認めてもらえる日がくるかもしれないし、逆に一生こないかもね。