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酒とは ~祖父の回顧~
馬鹿な飲み方をするな。
電信柱と喧嘩
玄関先で泡を吹いて倒れる
道端の植木に頭突っ込み、起きたら視界が森
道路でカバンを枕にして睡眠
起きたら知らない天井
酒瓶の投げ割り
酒はこれまでの人生の数えきれぬ、忘れきれぬ愚行の元凶だ。
しかし酒より人間が悪いという話もある。自分の悪い所を酒が引き出すらしい。俺としては引き出してくれてありがとうの気持ちである。悶々と溜まっていられちゃ困るほどの邪念たちが、俺の中にはあるはずだろう。
明け方まで飲んだくれ、辛うじてたどり着いた家の玄関。電話の着信で起こされる。
"急だけど今日から3日間ショスタコーヴィチ、いけますか?"
慣れ親しんだマネージャーの声。
"いけます、受けさせてください。楽譜はデータで良いので送っておいてください。"
直ぐに着替えて電車で譜読みを済ませ、いつものように仕事に臨む。クオリティが下がることはない、俺の信念。
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祖父は酒の人だ。
彼は宮大工の棟梁で、身内でいちばん逞しい人であった。俺の実家も祖父が木造でネジを使わずに建てた。
しかし、いちばん先に死んでしまった人でもある。
俺は小児喘息だったのだが、夜の一服に着いて行って、ステテコにタンクトップ姿の祖父と一緒に夜風に吹かれるのが好きだった。
"またバケツにボウフラがワいてる。"
"この鳴き声はコウモリだな。"
コウモリに関しては嘘のように思っていたが、実際俺は中学生になった頃にコウモリの群れを見た。
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彼は70を前に煙草も大工仕事も辞め、いつからか性格も頑固に歪んでいった。
80になる頃には癌を患い、あっという間の強制入院だった。
もちろん祖父は無理やり退院して、当然NGの酒を飲んでブッ倒れ、また入院した。
そんな事を二度、三度くり返して、死んだ。
俺は朝帰りから急いでオーケストラに出勤する道の最中、嘘のようにひん曲がった背中、冗談みたいに遅い歩みで近所の薬局に酒を買いに行く末期の祖父を何度か見た。もう誰の言うことも聞けない祖父に俺も声をかけることは出来なかった。
俺も酒が好きなのにな。
俺にとっての酒とはなんなんだ。
酒とは、信念もなく飲む必要はないもの。
葬式には俺は出なかった。
オーケストラの仕事は休めるものではない。
ハイライトの青い袋を握りしめ、缶チューハイを飲みながら誰とも話さず帰った。
俺には祖父と同じ血が流れ続ける。
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