背教者Snowの歩み~奇跡の裏側~
『すのーちゃ、おかえり!』
『えほんのつづきよんで!』
『すのーちゃ、あのね、しーちゃんがね』
幾度となく繰り返してきた光景が、少しずつ、ほんの微かに変化してきている。
先日赤い眼の女の子に触れた影響なのか、まだ判断するには情報が無さすぎる。
例の天使…というべきか、明けの明星とやらもあれから夢に出てこない。
ただ確実に何かが変わり始めたのは間違いなさそうだ。
「…あとで少し、よろしいですか?」
静かに優しく背後から声を掛けられる。
えぇ、またあとで
いつものように笑顔で答える。
正直経営の話はあまり好きじゃないけれど、先生の決めたことなのだからこればかりはどうしようもない。
先生と出会ってカトリックから改宗したというこの男性、当施設の新しい校長も、悪い人ではない。
ただ私は素人なのだから、専門用語の羅列は勘弁してほしい。要するに、お金の話は退屈なのだ。
「どうぞ、入ってください」
「お疲れのところすみませんね、レモンティーで良かったですね?」
初めの頃はなぜ私の好みを知っているのか怪しんだりもしたが、流石にもう慣れてしまった。
餃子が食べたいですとも言えず、素直にご厚意に甘える。
「早速で申し訳ないのですが、例の件について意見を頂ければと」
ティーカップに浮かんだ輪切りのレモンを無言でつんつんする無作法な私の前に、分厚い資料ファイルが置かれる。
もはや何度目かすら忘れてしまったが、レモンをはむはむしながら見慣れた資料をめくる。
我ながら本当に下品だとは思うが、子供たちとさんざん楽しく遊び回った直後で正直眠いのだ。
…なんだこの切り抜きは。
天使?復活?何の話だ…?
「前回もお伝えしましたが、列聖省の方々が何やら妙に慌ただしく飛び回っておられるそうです」
彼らがそんな役割を?いや奇跡認定なんてパフォーマンスの一環じゃん電波乙、と眠気に任せて暴言を吐きそうになるも飲み込む。
今までは経営の話をなんだか良く分からないままお任せして、少し寝て、子供たちと晩御飯を作って帰路についておしまいだった。
確実に事象が変わってきている。ストーリー分岐とか正直やめてほしい。
信じる人もいる以上、奇跡云々を全否定する気はない。
私自身は見たことが無いので信じようがない、というだけのことだ。
「美しい女性の姿をした天使を見た、という証言がいくつもあります」
「歌声を聴いたという者もいるそうです」
「信徒の方々はガブリエル様ではないかと」
「この少女だけ、名簿に写真が無いのです」
「マリアという名前に、心当たりはありませんか」
私は人と目を合わせるのが好きじゃない。
よく知らない相手の腹の底など知りたくもないし、自分の内面を覗き込まれるのもあまり気持ちの良いものじゃない。
子供たちは例外として、普段の社会生活の中で他人と目を合わせて会話するという当たり前のことが、本当に億劫になってしまった。
が、つい目の前に座る男性の、優しくも真剣なまなざしを睨んでしまった。
分かってる。この人は何も悪くないし、私だって敵意は無い。
ただ、天使や奇跡がどうのいう中で彼女の名が挙がったことが、どうしようもなく不快だったに過ぎない。
『一つ質問が』
深く息を吸ってから、言葉を投げかける。
きっとこの男性…新校長は、私の恩師、前任のゲオルグ牧師にも同じ質問をしたのだろう。
私に聞くということは、またいずれ、とか何とかいつもの調子ではぐらかされたのかも知れない。
聡明な先生のことだ、自分が答えなければいつか私に同じように聞きに来ることも予見していたはず。
先生、こういうのは託すんじゃなく丸投げって言うんだよと内心溜息をつきながら、言葉を続ける。
『奇跡の真偽はともかく、あなたはカトリックから改宗なさった上で今ここにおられるはず。旧友のお手伝いは結構ですが、今現在当施設に在籍しない子供の身辺調査など、興味本位で行うべきではありません。その上で、あなたはいったい何を求めておられるのですか?経営に関わることであれば、協力はいたします』
私の質問に一瞬ぎょっとしたかと思えば、口に手を当てて考え込んでしまった。
ちょっと冷たい言い方だったかな…でも頭の良い人だし、私の言いたいことは十分伝わっただろう…たぶん。
「…あなたのおっしゃる通りです。些か職務から外れていました」
「ただこれだけは分かってください。私たちにも決して無関係ではない、信仰の根底を揺るがしかねない事態が起こりつつあるのかも知れないのです」
ごめんね、実は私神さまが嫌いなんだとも言えず、一応話を聞くことにした。
『マリアは私の姉です。血の繋がりはありませんが、共にここで育ちました。彼女は今眠っています。丘の上の石碑は彼女のものです。あなたは、そのガブリエル様とマリアが何か関係があるとお考えなのですね?』
「姉…そんな…そうだったのですか…」
余計に考え込んでしまった。気を遣ってくれるのは嬉しいけどちょっとじれったいぞ。
『大丈夫、彼女の尊厳を守っていただいた上であれば、私の知ることは可能な範囲でお答えします』
「では…名簿に記されているマリアさんが施設を退所なさった日付、これは彼女が…その、眠りにつかれた日付で間違いないでしょうか」
『名簿の存在自体初耳ですが、この資料を見る限りは…そうですね、間違いないです』
「彼女の…何か不審な点はありませんでしたか? いえ彼女が、ではなく変わった出来事か何か」
『いえ特にこれと言ってなにも。何かしら予兆でもあればまた違ったのかもですが』
不審といえば、事件の数日後に犯人が自らの命を絶ったことぐらいだ。
その話はあまりしたくない。してもしなくても、彼女がいなくなったという事実は変わらないのだから。
「分かりました。では、私の知っていることをお話します。」
「話半分で聞いていただいても構いません。あなたが少しでも不愉快に感じられたなら、すぐにやめます」
ずいぶん意地悪な前置きだなと思いつつ、彼の誠意を素直に受け止めて耳を傾けることにした。
「今も続く奇跡のはじまり、第1の奇跡は、彼女が亡くなった翌日に目撃されています」
「奇跡で聴こえる御声は、賛美歌ではなく嘆き悲しんでいるように感じられるそうです」
「奇跡の目撃者の内数名が、何らかの形でこの世を去っています」
「天使は人に憑く、という噂が世界各地で流れています」
ちょっと待って姉さんほとんど関係ないじゃん、と言おうとした矢先、何とも言い難いまるで縋るような目で校長は続けた。
「私は…過去にマリアさんと会ったことがあるのです」
「いえ言葉は交わしていませんが…親睦会でこちらにお邪魔した際に、子供たちが賛美歌の練習をしているのを見学させていただいたのですが」
「子供たちの真ん中…子供は皆天使なのですが、ひときわ美しい…まるで本当に天使のような少女が、この世のものとは思えない美しい歌声で歌っていました」
あぁそれはマリアだ。間違いない。
親睦会…そういえばそんな日があった気もする。
おそらくすぐ隣で私も歌っていたはずだけど、記憶にないのもしょうがない。それほどに彼女は綺麗で完璧だったのだから。
実際彼女の聖歌を聴くために訪れる人は多かった。私の自慢の姉だ。
変な意味じゃなく、男性が彼女に心奪われるのは自然の摂理だ。
溺愛する姉をべた褒めされてちょっと気分の良くなった私に、彼は続けた。「私は、ガブリエル様を見たという者に会ってきました。その時なぜか、マリアさんの記憶が蘇りました」
「似ているのです、あまりにも…ガブリエル様と彼女の特徴が…!」
うん…途中からなんとなくオチは読めてたよ。
それでも、いざ実際に言葉にされると頭が混乱する。常識的な思考が追いつかない。
『分かりました、一応心に留めておきます。今後の調査はあなたの自由ですが、こちらを数日も留守にするような行動はなるべくおやめ下さい』
『それと、あなたのことですので大丈夫とは思いますが、子供たちや既に退所された方々に彼女のことを聞いて回るような事だけはしないと約束してください』
もちろんです、と、不完全燃焼気味にまだ何か言いたそうな表情を一瞬したものの、すっかり冷めてしまった珈琲を一口飲んで大きく息を吐き出した。
私も冷たくなったレモンティーを飲み干す。
これからどうすればいいのだろう。
私の夢に出てきた " 明けの明星 " と名乗る年齢も性別も良く分からない天使っぽい何かは、神を超えた存在【アガペー】を探すのに協力しろと言う。
その日から私は死ねなくなった。
正確には、「アガペーに関係ありそうな人物と心を通わせると」「自分もしくは相手が命を落とし」「明けの明星に会った日からの人生を繰り返す」ようになってしまったのだ。
成功するまで延々と繰り返せということなのかとちょっと嫌気が差していたけれど、今回はいつもと少し違う。
そのガブリエル様とやらがアガペーだとして、どうやって会えばいいのか見当もつかない。
というより、マリアなのか?
もし彼女だとしたら、私は正気を保てる自信がない。
彼女が私の全てだった。自分が彼女を愛していたと気づいたのは、彼女がいなくなった後だった。
異性を愛せずいつまでも独りでいる私の姿を見て、彼女はなんて言うだろうか。
いや、どうでもいい。たとえ人とは違う存在でも、彼女が生きているのだとしたらこれ以上嬉しいことはない。
とにかく今は眠ろう。
それから、みんなでご飯を食べて、とりあえず家に帰ろう。
マリアに…逢えるといいな…
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秋ですね。ご無沙汰しておりますミーチャです。
先月投稿しました【明けの明星プロジェクト(仮)】の続編になります。
全然話が進んでませんね。ぐうの音も出ません。
短いスパンで面白い作品を仕上げてしまう方々は本当にすごいんだと実感します。
今後もゆっくりした投稿になっていくとは思いますが、気が向いたとき、お時間の許すときにでもチラ見していただければすごく嬉しいです。
ここまで目を通してくださった優しいあなたが大好きです。
ではまたいつか、あなたの毎日に祝福がありますように🍀