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「仕事ができる」とはどういうことなのか?
「仕事ができる」というひとつの言葉には、複数の意味があると思う。
「仕事ができる」とは?
ひとつ目の意味は、本当に仕事ができる人。業務への取り組み方の質の高さ、対応も迅速。物事の問題点の洗い出しや対処の仕方、改善が的確な人。
ふたつ目の意味は、その会社が求めている人材像にピッタリな人、「君はまさにうちの会社が求めている人材だ!」な人。
私が新卒で入った会社をやめるまでに蓄積していったもの(ほぼ不満)の、かなり大きな比率を占める、すごく嫌いな先輩がいました。彼女は「仕事ができる」と評価されていました。私は「え、どこが?」と思ってました。私は「何であの人、あれで仕事できるって言われてるの?」と思ってました。
では逆に、私はどうして「彼女は仕事ができると思えない」と判断していたのか。
彼女とは、同じ部署だった期間がありました。私が担当した仕事の前任者が彼女であることが多かった。ひと通りのやり方は教えてもらった。教わった通りにやっているけど、その時のイレギュラーが出たりすることもあるし、もちろんトラブルだってある。ひと通りやってみて、無事に終えることもあるけど、「この文言、このままでいいのかな?」「もっとこうした方がいいんじゃないかな」と沢山思うことはあったから、その都度相談しました。
イレギュラーに対する相談は「自分が担当してたときにそんなこと起きたことないから、私に言われても」というような答えだった。改善や確認の仕方についての相談は「いやいや、何でそんなことが気になるの?何でそこまでやるの?」というような反応だった。他の人も呼んできて「そこまでやらないよね~」と言われ、ちょっと気にし過ぎなんじゃないの?という雰囲気を出された気がした。
当時は運良く、直属の上司に恵まれていました。私含めた部下の様子をよく見てくれたし、相談に対してもアドバイスをくれたり、一緒に考えて行動してくれる素敵な方だった。
彼女の返答に少し納得できなかった私は「今回はこうだったけど、次回からはこの手順にした方が良いと思うんです」「この文章や、この表、ずっと同じものを使ってきていると思うんですけど、今は様子が変わってきたこともあるから、少しずつ変えていった方がいいと思います」と、その上司に相談して進めました。私自身が「こうした方が良いんじゃないか」と思うことが進んだこともあれば、このままの方がいい、従来のやり方で、というものもあった。ただ、一緒に考えてくれたり、意見を言ってくれたりして辿りついたことだったから、納得できた。
彼女がやってきたこと、残してきた資料を見て「これ、何の疑問も持たずにずっとこのやり方変えてないの?」と思うことが増えてきた。彼女が残してきたものを「例年通り」にそのままやろうとすると、つじつまがあわない。「これ、ちょっと変じゃないですか…?」と上司に相談して一緒に確認してもらったら、環境が変わっていってることに対して「例年通り」を続けてきたから、ズレてた。そりゃズレるわ。
修正するのは私。気づいたからね。
私の中で「相談や質問をしても返してくれないから、あまり相談したくない先輩」になっていた彼女。加えて交わす言葉の温度やひとつひとつの表情の印象がどうしても良く思えなくて、こちらが笑顔でいることも不快な思いをさせないように気をつけていた言葉づかいにも、他の人より体力と気力を使わないとやっていけなくてちょっと疲れた。私の中で「被害者意識」が生まれた。「私は彼女の尻ぬぐいをさせられてる」ような気分になった。
数年後、私はその部署を異動して、異動先で彼女と一緒に仕事をします。異動先の方が彼女と関わらなければならないことが多かった。異動して心機一転頑張ろうと思ったけど、彼女は相変わらずで、彼女の仕事の仕方や言葉や表情に被害者意識も嫌悪感も抱くようになってた私は、被害者意識も嫌悪感が大きくなり続けました。
ある日。「あ、私この人のこういうところ嫌いだ」と判断する決定打になった出来事がありました。
またまたある日。「あ、私この人嫌いだ」と判断する決定打になった出来事がありました。
またまたまたある日。彼女のひと言と態度で前日まで大学の後輩と旅行に行ってエネルギーチャージして頑張るぞと思っていた自分の気持ちが一気にどん底まで急降下した。急降下してる途中で「あ、もう気をつかうの疲れた」とぷつんと何かがきれた。それから数日たって勃発した。苦手な先輩は二度と一緒に仕事をしたくない人になりました。
更に拍車をかけたのは、異動先の上司が彼女を絶賛していたこと。「本当に仕事ができる」「私が異動したら、そこに彼女を呼ぶ。頼りになるから」
こういった経験や感情から(感情多めっていうかほぼ感情でしたね)、私がなぜ彼女が仕事ができると言われているのか、評価されているのかが全く、本気で理解できなかったのです。
ただ、彼女は全く仕事ができないポンコツではありませんでした。当たり前だけど締切は守るし指示通りに動く。言われたことはやる。
ただ、言われたことしかやらない。
彼女の「言われたことしかやらない」ところが、私が新卒で入った会社の求める人材だったのです。
言われたことだけ確実にやる、例年通りを最良とする。疑問は持たない。変えようと思わない。変えた方が良いという発想を抱かない。前例にもとづいて確実に。あの会社が欲しいのはこんな人で、まさに彼女はこんな人。だから彼女は「仕事ができる」と評価されている。ふたつ目の意味の仕事ができる人。
あの会社にとって、彼女は人財という財産なのでしょう。
私はあの会社にとってお互い違和感だらけの「人罪」ということに気づいたから辞めたのですが、あの会社でなぜ彼女が仕事ができる人に位置づけられているのかはわからないままでした。
彼女含め、前の会社で「仕事ができる」と言われ評価された人は、必ずしも「全てにおける仕事ができる人」ではない。「仕事ができる」という言葉のインパクトや、私自身もそう思われたい、言われたいと強く願っていたこともあり執着していたことで、そのことに気づいたのは転職活動をして、前の会社を離れてからのことでした。
私自身はどうなのか?
私は、ひとつ目の意味の「仕事ができる」にはなれないでいます。もともと要領悪いし、今お世話になっている会社でも、1教わって10できるようになるのが理想ですけど、1教わったにもかかわらず上手くできなかったりきちんと解釈できなくて「すみません、もう1度教えてください…」と教えてくださる皆さんに時間をいただいてるのが現状です。先を見越して考えたり行動するのもできないし、余計な心配をして行動が止まってしまうこともある。
昨日の自分より、今日の自分より、明日の自分はできることや覚えたことが増えていますようにとメモをとって記録して、記憶もできるようにしています。点と点がつながって、理解しながらなめらかに…という仕事の話題で出てこないような表現ですがとにかくやるのだ。
ふたつ目の意味の「仕事ができる」にはなれるのか?
あの会社の中で、ふたつ目の意味の「仕事ができる人」には絶対なりたくない。けどいつか、自分が好きなこと、得意なこと、私自身の個性のどれかが少しでも、どこぞの企業が求めてる人物像にピッタリあてはまるのなら、その企業に出会ってふたつ目の意味の「仕事ができる」人になりたいと思う。
そんな会社や企業がないなら?
会社や企業に入る以前に、私と自分はピッタリあてはまってるから、やりたいことをやろう。仕事ができるかどうか、会社や企業に受け入れてもらえるかどうか以前に、まず自分自身。
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