天から託された宿題報告
神さまは、人間に理性や思考を持たせ、言葉を使わせた。
その意味は、宇宙に無限に漂う、美しきもの、幸せなエネルギーを、
再現し、永遠の一瞬をつかみとらせたかったんじゃないか。
その美しさ、感動、感謝、切なさをともなう幸福感を他者と分かち合い、
永遠のものにしていくためなんじゃないか。
・・という問いが、このところ頭の中の大部分を占めている。
そして時代の流れに伴い、それぞれの内側にある答を解放する応援がたくさんやってきているなと。
自分の内側は、天・・宇宙でも神さまでも、something greatなど、さまざまな呼称を持つ、森羅万象ともいうべき大きな見えざる手とダイレクトにつながっている。
そしてその見えざる手から自分の内側にやってくるものは、「意識・エネルギー・アイデア」・・などと表現される、実体を持たないとらえどころのない状態でやってきている。
実体をもたない理由は、それを実現する権利は一人一人に託されているから。
理想の想い、願い、思いがけないアイデア、頭に鳴り響く音楽、浮かんできたビジョン、ふっと湧いてきた言葉・・・
宇宙のどこかに、そして自分の心の一番深いところにあるそれらが、ふとした拍子に、表に出ようとする。
それは
あなたを通して、表に現されたがっている。
そう【表現】されたがっているのです。
それを創造していく主役は自分。
作曲家は、頭の中に浮かぶ音を譜面に落とし、演奏者は、譜面のおかげでカタチになった「それ」、と、そして譜面に表現しきれなかった「それ」をつかみとると同時に、その演奏者本人を通して表現されたがっているもの、を、一緒に表に現していく。
その営みを通して、曲や音楽という、この地上に実在するものになっていく。
作曲家の頭の中に鳴り響く音の、その豊かさや多彩さのすべてが、譜面に落としきれるかどうかは作曲家の譜面を記す技術にかかっているし、そして演奏する側が、解放されたがっている音楽をすべて表現しきれるかどうかは演奏者の技術や、受け取る器にかかっている。
それでも、譜面に落とさなければ、あるいは奏でなければ、それらは永遠に宇宙のどこかに葬り去られてしまう。
自分の心の中にある、言葉にできない想いも全くおんなじで・・、
心の中の多彩なエネルギーは、完全に具現化しきれるわけではないけれど、
表現しなければ、それは、宇宙のどこかにまた消えていってしまうだけ。
再現不可能な、なかったもの、になってしまう。
他の誰かが連れ出してくれるかもしれないけれど、自分が表現することを許されたからこそ、自分の脳裏を訪れてくれたはずだから、それらを大切に向かい入れ外に出ることを手伝おうとしさえれば必ずできるはず。
冒頭に記した、
神さまは、人間に理性や思考を持たせ、言葉を使わせた。その意味は、宇宙に無限に漂う、美しきもの、幸せなエネルギーを、再現し、永遠の一瞬をつかみとらせたかったんじゃないか。
その美しさ、感動、感謝、切なさをともなう幸福感を他者と分かち合い、
永遠のものにしていくためなんじゃないか。
そして、それを通して人間にも、地球から搾取するばかりではなく、地球に貢献できる人間にしかできない幸せのエネルギーを放射する、ということをさせるためなんじゃないか。
ということも、こうして書き記し、そして人にシェアすることで、より実体を伴っていく感覚があります。まだまだ言葉足らずだけれど・・・
瞬きのような瞬間にあらわれてあっという間に消え去っていく創造主の息吹を肉体を通して私たちが形作ることで、その一瞬のエネルギーを、地上で再現性のあるものにしていく。
それは人間にしかできない、とても大切な営み。
芸術家は、永遠に語り継がれる物語や、記憶に留められる音楽にしていく。画家は心の中に浮かんだビジョンや、目に映った美しいものから受け取ったエネルギーを、平面に映し出している。
研究者や、実業家は、世界に還元できるカタチに具現化していく。
ミケランジェロが石膏の塊の中に埋まっている天使をただ掘り出したように、手や口や体を使って、私たちはそれぞれに、表に現して欲しがっているものがあるように思います。
それぞれのステージで、それぞれの場所で。特別な人だけじゃなく、当たり前の毎日の中で・・。
天啓、インスピレーション、アイデア・・といった、幻のような、はかない、実現できる根拠の乏しいひらめきを信じ、その手元にたぐりよせ、試行錯誤を重ね、捉えられる何かにする作業。
それを試みようとする人を、天は猛烈に応援するんだなあと。
これまでも、そしてこれからはこれまで以上に!
すべては表現・創造活動。
天でも神でも、森羅万象、宇宙でも、自然でも、something greatでも・・・呼ばれ方呼び方は違えど、それはつまり万物を動かす創造活動を司る、創造主というべき存在。
そして私たち人類は、母親と胎児が、へその緒でつながっているように。その子どもとして、心の奥底で、そことつながっている。
一人一人が、心の奥にある答を、表に現していく、表現者として生まれ落ちている。
表現とは、必ずしも特別なものだけではなくて、当たり前の普通の日常の中で、ふっと浮かんできたことを実体化させていくこと。
新年にあげる抱負や、会社の理念といった理想的な言葉も、フワフワ漂わせておけば、そのまま実体のない幻で終わる。机上の空論、絵にかいた餅で終わるだけ。言葉にしただけでは地上に着地しきれないまんま消えていくだけ。
でも、矛盾するようだけれど、そのふわふわとしたものを、地上で実現するためのおすすめは、まずは言葉で書き出すこと。
いろんな言葉で、色んな角度から。
そうやって書き出すことを通して出てきた言葉の断片たちは、天とつながるスイッチや、さらに言葉が湧いてくる呼び水の役割をはたしてくれます。
そのキーワードをもとに、さらに自分が気づいたこと、感じたことを紙の上や画面の上に書き出すことで、それはあなたの中から表に出ていく。
表に出ると、そこには神の手が伸びます。
そうそう、そういう感じ、
そうじゃないんじゃないの?
こっちに向かったら?
違和感や、ワクワク感という形であなたを導いていく。
そして、それを続けていくことで、深く自分とつながり、その先で既につながっていた天(宇宙でも神でも)とのリアルな交信がはじまっていきます。
0から何かを生み出すのが苦手と思い込んでいた人が、アイデアがどんどん涌くようになったり、
これは自分がやっているの? と疑ってしまうような作品が生まれたり。
ずっとずっと考えても考えても見つからなかった、問いの答が、当たり前のような顔をしてやってきたり。
そして本当の自分の言葉で生きていけるようになる。
純度の高い自分の本当の言葉・・=「本音」。
言葉なのに「音」がつくのは、天では同じものだからかもしれませんね。
宇宙に既にある、人類に託された宿題・・・私たちを通して、地上に、表に現されたがっているものたち。
それを少しずつ少しずつ、手分けして表に現していくことが、私たち人類に宇宙が託した最大の宿題であり、贈り物。
そして私たち人類が存在している意味なんだろうなと。
上記に記した【考え】が、昨年末あたりから、なんとなくもやもやと頭の中に浮かんできました。
すべての答え合わせができていないけれど、そこを言語化することが、今の自分に課された宿題のような気がしてならないので、
宿題の進捗状況として、こうして表に現していこうと思う。
私の神様からの宿題は、こうやって生まれてくる感覚をよりシンプルにわかりやすく受け取って、より多くの人と分かち合えるようにすることかな。
これまでに湧いてきて言葉にしてきた断片たちが、現在地で、少しずつ繋がってきました。
その一部はこちら
言葉に書き出すことは、自分を前進させること。
初めに言葉ありき、が考える葦である人間にとって、大切でありがたいことだなとあらためて思っています。
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塾生のみなさま、パーソナルクレドは、みなさんが本当にたどり着きたいところに必ずあなたを連れていってくれます。ぜひ実体を伴わせて使ってくださいね。使い方もあらためてこちら復習してみてくださいね。
それでは今日はこのへんで。
お読みくださってありがとうございます。
感謝をこめて
冨永のむ子