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宇多田ヒカルと“落とし物”と“孤独”
「落とし物を見つけるのが好き。
I like finding things in the street.」
これは、宇多田ヒカルのInstagramの自己紹介に書かれている一節です。
彼女は、自身のInstagramアカウントにて、しばしば落とし物の写真を投稿しています。
![](https://assets.st-note.com/img/1687703438925-L848l1wDvP.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1687703473022-CeWTKRD7aX.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1687703498005-6LpSyMMNAs.jpg?width=1200)
宇多田ヒカルと”落とし物”
宇多田ヒカルは、2020年に出演したバラエティ番組で、“落とし物”について以下のように語っています。
落とし物に惹かれる理由、本来あるべき場所でない場所に置いていかれてしまった物に共感するからなのかなと、最近思ってたんです。申し訳なさそうというか、所在なさげというか。本来たどるべきはずだった運命からこぼれ落ちてしまった、予期せぬことも甘受せざるをえない、ただ置いていかれてしまったものの、誰にも目をくれられずにいるものが、なんか好きなのかな。
彼女は、“落とし物”という、本来たどるはずの運命から外れた存在に、自身の姿を重ねているのです。
自身にとっての“作詞”について、宇多田ヒカルは以下のように述べています。
「誰か」の気持ちを描くことで、自分の意識下にあった気持ちに触れることができた。
それが私にとっての作詞だった。
彼女は、“落とし物”への自己投影のその先に、何を見ているのでしょうか。
宇多田ヒカルと”孤独”
常に外部者だった。どこにも属したことがない。
プロデューサーの宇多田照實を父に、歌手の藤圭子を母に持つ彼女は、幼少期より特殊な環境で育ちました。転居や転校も、よくあったそうです。“宇多田ヒカル”と“孤独”は、常に背中合わせでした。
全ての落とし物には、本来たどるはずだった運命があります。運命から外れなければ、いまごろは持ち主の家にいたかもしれないし、持ち主が身につけていたかもしれません。
彼女は、置いていかれてしまった“落とし物”に、Instagramの投稿を通じて、居場所を与えているのではないでしょうか。
これは、孤独と向き合い続けてきた彼女にしか送れない、落とし物へのラブレターように思えます。
日曜日の昼下がり、ヘッドホンから流れる『For You』を聴きながら、私はこんなことを考えたのでした。