ひねくれ者自転車配達員とヘルメット

僕がウーバーを始めたことを父に言う時やっぱり緊張したのを覚えています。
職業選択の自由があるとか職業に貴賎なし、というきれい事はあれども父のような世代に分かってもらえるかな?という気持ちがありました。
ですが、父は「好きにしろ」と言ってくれて、後日家にヘルメットが届きました。
「お父さんありがとう」とヘルメットを抱きしめながらクローゼットにしまったのを覚えています。ヘルメット嫌いだからしかたないよね。
そんなヘルメットがクローゼットから出てきたのは2023年4月1日。自転車のヘルメットが義務化された日です。
「まさかこれを僕がかぶることになるとはな……」
敵だったプリキュアみたいなことをつぶやきながらヘルメットをかぶりました。
そんなこと言うと「偉い!」「配達員の鑑!」「ワキガ!」みたいに思われるかもしれませんが、そういうことではありません。
「義務」という言葉に弱いんです。
努力義務と言われるとヘルメットしていないだけで「あいつ努力していないじゃん」と、いい歳こいて努力していない大人なのが見抜かれてしまった悲しい気持ちになり、また「義務」という言葉に縛られすぎて「あいつ義務はたしていないぜ」「じゃあ納税とか選挙とかもしないのかな?」みたいに指さされそうで怖いわけです。
ということでヘルメットはそういった目からも守ってくれるわけです。うまいこと言っちゃいましたね。

ですがここで問題が発生しました。
自分がヘルメットをつけはじめてからというものの、ヘルメットしていない配達員に少しむかつくようになってしまったのです。
なんででしょうか?
ヘルメットしていない配達員をぼんやり眺めては「むかつくけど、なんでだろう?」とよくわからない気持ちになり、ポケモンバトルをしかける虫取り少年みたいな視線を浴びせてしまいます。
まあ別に配達中にむかつくことなんていっぱいあるんでその一つとして片付けてもいいんですけれど、せっかくだから自分でこれがどういう感情なのか考えてみることにしました。
むかつくのは「ヘルメットが義務」だから?
それはおかしいですよね、だってあくまで努力義務、他人にどうのこうの言う権利はないはず。
じゃあ「危険」だから?
いや自分だって4月までヘルメットしてなかったわけだから、むかつくのはおかしい。
じゃあなんでだろうと考えた結果、「自分はヘルメットをしているんだからヘルメットしがほうが良いに決まっている」というやつだと気がつきました。
自分の選択が正しいと思い込んでしまうアレです。
禁煙成功した人のほうが喫煙に厳しかったりするアレです。
自分の選択を正当化しすぎて、別の選択に腹が立ってしまう。
そんなつまんない大人になってしまいました。
「僕は配達の時に敷紙を敷いているんであなたも敷いてください」
あの閑散期に出てきては消えていくあの謎の自分の考えの押しつけ、あれもきっと正体は「自分の選択が正しい、だから他は認めたくない」という気持ちだったのでしょう。
なんだか少しああいった人の気持ちに寄り添えて嬉しいやら情けないやら……でも少しスッキリしたような気持ちになりました。

ということで最近はヘルメットをしていない配達員を見るとムカつきはしなくなったものの「僕はつまんない配達員になってしまった、お前は僕にみたいなるなよ」とぼんやりと眺めてしまうようになりました。あっちからしたらいい迷惑でしょうけど。

老害になるのは仕方が無いことかもしれないけど、でもできるだけ抗っていこう。
そう思いながら自転車こいでます。

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