こんにちは「中の人」です part1
アジアの東端の日本の最北の北海道の東端の釧路の歓楽街でスナックビルを運営している「中の人」です
どうもこんにちは
わたくし生まれも育ちも花街でして生家は札幌市の歓楽街ススキノのど真ん中にある「すすきの0番地(https://deepannai.info/susukino-apartment/#gsc.tab=0)」というカオスなアパートの3階でした
父はススキノのはずれ、ほぼ狸小路に近いところにあった「ポケットクラブ」というキャバレーの経営者、(産みの)母はススキノの中心で「ユリアンヌ」という高級クラブのオーナーママという生粋のお水の家系でして、名は体を表すの通り苗字にも「さんずい」が二つも使われております(父母の経歴はそのうちご紹介したいと思います)
父が経営していた「ポケットクラブ」はその名の通りポケットマネーでクラブ遊びができるサラリーマンに優しいお店で、「絶対に成功しない」と言われたススキノのはずれでも行列が絶えない人気のお店だったそうです
母が経営していた「ユリアンヌ」については情報が乏しいのですが、2007年に他界した母の遺品整理をしたところユリアンヌ開店10周年の粗品が出て来まして、なんと粗品の中身はお客様やスタッフの寄稿による記念誌でした(今じゃ考えられませんよね)
そのなかに札幌の伝説のウィスキーバーである「バーやまざき」の山崎 達郎 様(http://www.bar-yamazaki.com/about_staffs.html)から寄せられた文章があり、居ても立ってもいられずに通夜帰りの足で「バーやまざき」を訪れました
恐る恐る「バーやまざき」の重厚な扉を開け(なんせ初訪問でしたので)
「あのーユリアンヌのママの息子なのですが、今日は母が他界したことをお知らせに来まして・・・」
と告げると山崎マスターは普段から細い目をさらに細め、でもしっかりと私の顔を注視しながら
「そうか。君が息子さんか。君のパパとママが結婚すると言った当時はススキノ中が大騒ぎだったんだよ。今で言うと大型M&Aだ」
と優しい笑みを浮かべていました
山崎マスターによると、母は父に負けず劣らず義理人情に厚く商売に熱心な方だったようです
他界してようやく産みの母の半生を知ることができ、そしてその人生が私にとっても誇らしい人生であったことに、ちょっと嬉しくなった貴重な時間でした
(次回に続く…)
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