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親とケンカした#78

絶対許さない。

多分、そう思ったことは今までも何度もあって、その都度なんやかんやほぐれてきて、それが家族だと思ってきたところがある。

しかし時は流れて20年後。

自分も親になり、親が老人に両足を突っ込んで、一緒に暮らした期間より、離れてくらした期間がながくなると、状況は変わる。

大人VS大人のケンカに変化し、向こうも子どもにマウントをとっていいくるめたり、子どもだからで許せなくなってしまった。

同じ土俵で勝てなくなった親が「年上に偉そう」「立てつく」といういちゃもん的言い方でプンプンしている。

こうなってくると、もうお話にならない。

「遺産をあげない」と言ってくる。

あてにしてないからどうでもいい。

親の教育が活きている。これもいい因果応報なのか。

時間は有限だ。

明日、どちらが死ぬかもわからない。仲直りした方がいい。

でも、死なないかもしれない。じゃあもういい。

こういう問いのスパイラルに入ったときに、中年という大人としては結構いい年なのに、中身の未熟さを思い知る。

意固地。

でもその意地を崩したら、相手の天上天下唯我独尊に磨きがかかる。

この意固地は、家族の防波堤だと思っている。

間違いを間違っていると言ってくれる人がいなくなる人生は、幸せなのか。

脅してそろえたイエスマンに囲まれて死んだら、ハッピーなのか。

こんなに長く生きたのに、ごっこ遊びの様なフィールドで生きて、死んだとたんに周りが解放されるようにのびのびする人生でいいのか。

反吐がでそう。

でも人は変われない。カルマの中で、多分同じような人生になるんだろうな。

気づくかな、気づかないかな。多分気づかないな。

気づかない人は、どこに行くのだろう。

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