リア充の誕生日#31
人生で一番惨めだった誕生日は、21歳の頃のあれだ。
よかった誕生日よりも、脳裏にこびりついていて花束の中のにあるしおれた1本のに目を逸らせない思い出として残っている。
遠距離中の彼氏と終わりそうで、誕生日なのに、会えないと言われたのだ。
リア充だった私は、バイト先のみんなが開いてくれた誕生日の宴会でそれを愚痴り、友人から「後悔しないように会いに行けば」という言葉を引き出して名古屋に向かった。
ゲリラ訪問のメールの返信はなく、名駅で自分でいくつかケーキをみつくろってかった。
待ってくれているわけでもない、仕事もいつ終わるかわからない、そう言われていたが、合いかぎで当たり前のように家に入ると、ワクワクドキドキしながら帰りを待った。
仕事で疲れ切った当時の彼氏は、まもなく帰宅し、うんざりした顔でテーブルの向かいに座った。
自分で作ったごちそうも、冷蔵庫のケーキも存在感を忘れるくらい重い空気がただよっていた。
不意に彼が言った。
「お前、誕生日は当たり前にみんなに祝われる特別な日と思うてるかもしれんけど、そうじゃないからな」
と、彼氏から言われた。
それは、知らなかった。
小さいころから誕生日は、たくさんの手紙やプレゼントを学校の友達にもらうイベントの日で、大学生になっても、学校の友達やバイトの友達が盛大に祝ってくれるのが当たり前だった。
誕生日はいつもパーティーだった。
「お前が周りに恵まれてるだけやぞ。みんながみんな祝ってもらえると思ったら大間違いやからな」
と。
私には、そんな世界が全く見えていなかった。
でも、彼はそんな世界が普通で生きてきたのだろう。
もちろん悲しかったが、どちらかというと新しい発見だった。
それから、誕生日が祝われて当たり前だと思わなくなった。
まあ、その後も祝われたんだけど。
社会人になって2年目、誕生日に誰にも誘われなかったから、酔いつぶれようと、家の鍵おいてドアを開けたままクラブに遊びに行った。
深夜0時半頃、ケータイをみたら、サプライズで同期が狭い部屋にケーキを囲んだ写真を送ってくれていた。
主役不在の写真は、シュールで最高だった。
祝われなかった誕生日はその2つを思い出して、結局いつもニヤニヤしてしまう私は幸せ者だと思う。
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