深呼吸ができる場所#68
社会人時代、barに通うのが好きだった。
仕事の疲れも、ままならなさも、孤独も、ウイスキーを流し込んでいた。
今、子どもたちを送りだしてから、モーニングに行くとき、barに通っていた時と同じ気持ちになっているのに気づいた。
苦いコーヒーと、あったかいスープ。焼いたパンに、だれかがむいてカットしてくれたフルーツを500円で食べる贅沢。
barのチャージ代以下で、今はこんなに満たされる。
家でもできるけど、お店じゃないと得られない、この感じ。
席を立つとき「よし。がんばろう」と思える。
多分、人生にはそういう場所が必要だと思う。
お店には常連のご高齢の先輩方がいて、一人、顔見知りのおばあちゃんが声をかけてくれる。
「4人目はいらないよね、お金かかるもんね」といつも。
旦那と来た時に、まだ子ども産むの?ときかれて旦那が「子どもは3人でいいですね」と答えてから、なぜか私が4人目を旦那に拒否されている嫁みたいになっているが、深い話もしないからその掛け合いがちょっと面白い。
ちかくのスーパーであっても「あ!」「また!」という感じでなにか通じ合っている感じがする。何もしらない人なのに。
辛いときも、自分にご褒美をあげたいときも、ちょっと新しいことに挑戦したいときも、珈琲俱楽部でのモーニングでパワーチャージする。
営業時代が長かったから、飲食店に自分のクライアントがいることが結構あった。
通うから信頼されて、信頼されているから推す。
好きなお店と、付き合いのお店が混じって、利害とつながなければならない関係の中でお店選びをしていた。
顔が利くという意味では得をしたことも多々あったが、好きな店を単純に楽しむということはながらくできなかった。
お金に合った対価を返さないと、私の存在意義は消える。そんな、張り詰めた部分も持っていたから、頑張れた仕事も多々ある。
お客様にも恵まれていて、今も行きたいお店もある。
でも、アメーバのように脳も精神もだらっとして、深呼吸していられる場所は少なかった。
今、それが、私にとって珈琲倶楽部だ。
たくさん、たくさんじゃなくてもいいけど、そんな場所が減ることなく、少しずつもてるといいな。
人生の、止まり木みたいな場所が。
あぁ、また明日も行きたいなぁ。
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